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【書評】 『スローシャッター』が教えてくれる、日々の仕事の尊さと誇り

『スローシャッター』は紀行短編集である。

紀行とはなんだろうか。手元の広辞苑を開いてみた。

【紀行】旅行中の出来事・見聞・感想などを記したもの

広辞苑 第五版

なるほど。

しかし、「旅行」とひと言でいっても、目的や中身は千差万別だろう。だからこそ、「紀行」も多種多様で、文学のジャンルとして確立しているはずだ。

若者が自分探しの旅を記すのは、紀行。小説家が新作執筆のため海外を転々と生活する様子を記すのも、紀行。ジャーナリストが、紛争地帯の実態を目と耳で確かめて記すのも、紀行。各地における長期にわたる気象の平均状態は、気候。戦車・装甲車は機甲。これを読んでいるあなたは、貴公。僕が今しているのは、奇行で起稿。

『スローシャッター』はどのような紀行だろうか。

著者の田所さんは水産系商社に勤務する会社員で、『スローシャッター』に記されているのは、彼が仕事で訪れた世界各地での体験だという。つまり、出張。仕事紀行なのだ。

紀行をほとんど読んでいない僕ではあるが、「出張」で行った土地、出会った人との文章であることが『スローシャッター』の独自性だと感じた。

まずもって、訪れている土地が観光とは無縁である。聞いたことのない地名や空港ばかりだ。

最初の一遍である『アプーは小屋から世界へ旅をする』は、アラスカ・アリューシャン列島のチグニックという集落での話である。

この時点で「はいはい」となるのは「アラスカ」だけだ。ためしにチグニックとGoogleに入れてみたが、「チュニックですか?」と言われ、キレイな女性の画像がたくさん出てきた。ありがたい。

ありがたい。

著者が訪れる「キングサーモンサーモン国際空港」は嘘のような本当の名前で、これまた嘘のような本当の外観が掲載されている。最後に降り立つ「チグニック空港」の外観は、「空港」の概念を540度覆される。

しかし待ってほしい。それらの地名や空港を知らないのは、僕だけではないか。

その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かわずに、手元のスマホでメルカリを起動し『地球の歩き方 アラスカ 2017〜2018』を手に入れた。さっそく開いてみたが、確認できたのは「アラスカ」「アリューシャン諸島」までだった。

「チグニック」はもちろん、「キングサーモン国際空港」という言葉もない。

「地球の歩き方」に載っていないのだから、観光目的としては知られていないと言っても大丈夫そうだ。

『スローシャッター』は全篇を通じて、観光地とはいえない、聞いたこともない街でのお話だ。映画「007」シリーズや「ワイルド・スピード」シリーズのような、風光明媚な景色や文化についての描写は出てこない。観光の高揚感は、ない。

聞いたことはないが、確かに存在し、そこで人々が当たり前に生活している様子が、鋭いながら淡々とした著者の目線で切り取られ描写されている。

著者が「人」好きだからという理由もあるだろうが、そもそも「人」しかないのかもしれない。だからこそ、地球のどんな場所でも暮らせる人間のたくましさを感じられるのだと思う。

『スローシャッター』は、仕事紀行だと書いた。著者が仕事で交流する人の話が多い。観光では決して分からない、世界の人々の営みが描かれている。

僕は、多くの人は仕事をすると大なり小なり変わると思っている。家族や友達には見せない姿や態度を見せる。忌野清志郎の言葉を借りるならば、「昼間のパパはちょっと違う 昼間のパパは光ってる」だ。

仕事を通して「より良い人間であろう」とするのではないか。損得が絡んでいるという側面も当然あるだろうが、それを照れ隠しにしながら「こうありたい」と望む人間に近づこうとする。

『スローシャッター』に書かれているのは、目玉が飛び出る額のお金の話ではない。人類の歴史がひっくりかえる新技術の話でもない。普通の人々の、普通の仕事かもしれない。しかし、著者のフィルターを通すことで、たしかな輝きを読み手に届けてくれる。

それが最も顕著に表れているのが、『160人の家族』だろう。書籍化のための書き下ろしで、最後に収録されている。

コロナ禍の長い断絶を経て、著者はベトナムのニャチャンを訪れる。長く仕事を共にしてきた食品工場のスタッフに再会し、彼女たちがこの数年間をいかに過ごしてきたかを聞いていく。厳しい現実に言葉を失い、同時に心からの敬意が湧いてくる、『スローシャッター』の白眉といえるエピソードだ。この一遍だけで、1,980円の価値があると断言できる。

ウィルスが奪ったものの大きさと、それすらも乗り越えんとする人々の強さに溢れている。本編で、ここにだけカラー写真が使われていることにも、意志と希望が感じられる。

誠実に仕事に向き合うとは、どういうことか。それは特別なことではなく、当たり前のことの積み重ねである。それがいかに難しく、尊いのか。

普段より少し背伸びした人間同士が、ひとつの目標やゴールに向かい、それぞれの役割を果たそうとする。そこに、敬意や誇りが生まれるのが「仕事」なのだと『スローシャッター』は教えてくれる。

そしてそれは、自分の日々の仕事にも繋がるのだと思わせてくれる。名前も知らない土地と、自分の暮らす街が地続きなように、「仕事」も世界共通なのだろう。

明日、玄関を出る最初の一歩は、いつもより力が入りそうだ。

『スローシャッター』は、僕にとっては「仕事の本」だ。

正直にいうと、僕は旅に強い思い入れや執着がない。アマゾンの奥地に調査に行くより、床暖房の効いた家で猫を撫でながら『地球の歩き方』を眺めている方が、好みだ。

しかし、先のことは分からない。『スローシャッター』を何度も読むたびに気持ちが変わるかもしれない。それもいいな。観光ガイドと、鞄に忍ばせる相棒は既にあるのだから。


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