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立ち会いは積極的に。

こどもたちが産まれる時、自ら望んでその瞬間に立ち会った。3人のうち、長男、次男は立ち会えたがさいごの長女は立ち会えなかった。———陣痛がきたと電話をもらって職場から急いだって、30分後には産まれていたのだからそりゃ無理だ——-

ひとによって考え方はちがうし、それがふつうなのかどうかは分からないが、わたしの場合は純粋な好奇心がほとんど、立ち会わなかったらあとあと言われ続けるだろうなぁというのが少しだけ(これは秘密)。

結果的には立ち会ってほんとうによかったと思っている。お尻のあたりをテニスボールで強く押し込むなんてこの先の人生でまずできることじゃない。壮絶な時間のあとでてきてくれる血だらけのこどもを見ると畏怖のような感謝のようなはじめての感情が胸に込み上げてくる。どろりとした胎盤とちらりと目があった瞬間は、ひぇっとなるが。血は苦手なのー。

もし、これを読んでいる男性でこれからチャンスがあるなら立ち会うのをオススメします。あれを見ないのはもったいない。



たのまれてもいないのに付け加えると、出産の立ち会いは医療関係のプロの仕事への立ち会いでもある。看護師さんが数値をはかり、正確に器具を取り付けタイミングをみて医師が登場する。滞りなくおわったら意外とあっさり医師は去っていく。なんというプロ仕事。命をあつかう現場。出産を終えてまたすぐに診察にいくこともあるだろう。当たり前のようにやっていることの凄みを今も思い出す。

たぶん、わたしはプロの仕事を見たり感じるのが好きなんだと思う。またこの辺はいつか書こう。


さて、なぜこんな話を書いたかというとあんなに小さな足だった長男も5歳で、あしたは保育園の運動会。しみじみとしていたらふと思い出したので、書いてみた次第だ。

なんとか天気がもちそうな感じになってきた。

場所取りで早起きしなきゃ、をこのまとまりのない文章の言い訳にして終わることにする。

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