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パンを焼く大学生の現状

暇すぎると、大学生男子であっても母とパン作りをするんだなぁ。

あまりにも暇そうな息子に、私の仕事(ほぼ在宅)の合間にパンでも焼いてみることを提案したところ、乗ってきた。
キッチンで二人でわちゃわちゃとパンを捏ねていると、この子が小さい頃にはなかった時間を持つことが不思議に感じる。

息子は新大学生だ。受験以来、一度も大学に通ったことがない。

今、ちょっと話題の取り残された大学生。

一人暮らしをしたいと念願の大学に合格し、地方に行った。
本当は親の目から逃れ、サークル、バイト、大学での友人作り、新しい学び等、チヤホヤもされ、楽しいはずの1年生。

それが、一転した。

話題の通り、授業はすべてオンライン。しかもオンデマンドがほとんど。
リアルタイムで実施している授業も、ビデオ画面はOFF(重たいから)。
唯一、顔を見た同級生は、語学授業でグループ分けして話し合う授業で知り合った片手分のみ。

交際費も発生しないし、食事を切り詰めれば、細々と暮らしていける。

受験で遊ばない生活に慣れた。
Stay homeに慣れると、映画を見たり、何となく日々が過ぎる。
高校の友達とLINE通話しながらゲームを一緒にやるのが唯一の会話らしい。

「この状況じゃ、サークルとかもないからねぇ」と人は言うが、そもそもサークル活動の存在を見たこともない訳で、話しには聞いたことがあるが、どんなものがあるのかももちろん、その自分に対する価値も分からない
ネットで見る海外の有名な観光地の写真みたいな感覚。

初めてのGW、初めての夏休み。
合宿だの、免許取った友達とドライブだの、海外に行ってみるだの、手に入れた自由に忙しすぎて帰省もしない。そんな生活のはずだったろう。

それが、実家に戻り、自粛続きで家にこもることに慣れ、母とパンを焼く息子に、予期せぬ親子時間が楽しくもあり、いやいや、ホントに暇なんだよなと複雑な想いで見てしまう。

コロナにより、老若男女問わず、国を問わず、大打撃を受けた。
これは誰のせいでもなく、仕方がない。

大学側も悩んで、想定外のことに何とか対応しようとしていると思う。
実際、PC環境を個別に確認したり、上の学年の先輩と話す機会を作ってみたり、課題提出方法を工夫したり、家出来る実験を課題にしたり、学びを提供しようと工夫していると思う。
先生方も誰の反応のない状況で自分の様子を録画して配信など、苦労されていると思う。

それを分かった上でだが。

現状について思うことが2つある。

1つ目は、今年の大学1年生は、「高校4年生」だよな、ということ。

通えない暇な大学生の話題がネットに出ると、「いやいや、大学生なんだから、自分でどんどん学びを得る工夫をすべき。オンラインもあるだろう。」とか「貴重な自分だけの時間、やれることを見つけてやるべき。どれだけうらやましい環境か!」とか「色々工夫できるのに、やらない方が悪い」のコメントが出る。

でも、考えてみて欲しい。

多くの日本の学生は、高校生までは先生が言われたことをやることを良しとしている。与えられたものをきっちりとやることが基本。校則も沢山あり、自由な服装、髪型、バイトも禁止。ルールに従うことを学ぶ。

積極性を重視、だの、自由な発想を!だの言われるが、しょせんそれは学校や親が許す範囲内での自由だ

それが、大学生になってやっと、親を離れ、少しずつ自分で考えて、自分で何かを実現していくこと、より社会と繋がって、人と何かをすること、本当の「学び」とは何かを経験していく。沢山失敗をして、気づき、学び、成長するのだ。

だからこそ。

「やっちゃダメ」と頭を押さえられ、真面目にルールに従って、先生の言うことを守ってきた高校生。答えがある中で、正しい答えを導くことに一生懸命だった高校生。そんな子達に突然入学式もなく大学生になり、「さぁ、大学生なんだからやりたいこと何でも自力でやりなさい!」「大学生だから大丈夫だよね」と言われても、それは無理ではなかろうか。手放しすぎではないだろうか。

もちろん、出来る子もいるだろう。
でも、今年の大学1年生の圧倒的多数は、受け身の「高校4年生」だなと思う。

決して真面目だった訳ではなく、そこそこイタズラも遊びもやってきた息子でさえこの調子。世の中の大学1年生はきっと同じような感じだろうなと思う。

本人たちだけの理由ではないコロナの影響がここにある。

2つ目は、現状を踏まえ、後期カリキュラムを工夫して欲しいなということ。

このコロナで、後期もオンラインになる可能性は高い。それは致し方がない。ならば、せめて、変化に沿って「大学」のポジショニングを再考し、より人間性を育てる方向での授業提供の工夫を増やして欲しいと思う

実際、大学で学んだ専門知識は、そのまま社会での仕事に直結していないものが多い(私もそうだった・・・)。
世の中の変化が激しい今、社会で最新情報を学びなおす必要があることがほとんどだ。だからこそ、学びの専門性の深さを追求するより、専門性をネタにしつつ、社会に出て必要なコミュニケーション力、思考力を育てる工夫にシフトして欲しい。

オーストラリアでは、コロナになって早々にオンラインに切り替え、大学生をグループに分け、課題を出し、あとはグループ内で議論をしてプレゼン資料をまとめあげる方法を取っているとのこと。だから、ずっとオンラインでグループで議論をしているらしい。そして、定期的に講師のところに途中悔過を報告し、助言を得る。まさにMBAスタイルだ。

そんなスタイルが取れないものか。

ただ、「高校4年生」に対しては、まずはティーチングが必要だろう。

議論をするとはどういうことか。正解がない中で考えて一つの結論を導き出すことはどういうことか。どんな結論もある意味正解。第三者がそれを納得・理解するようにするにはどんな工夫が必要なのか。

それをオンラインで説明するにはハードルはあるし、講師には求められていなかったスキルが要求されるようになるだろう。が、コロナ禍が長引くのであれば、そんな工夫が出来ないものだろうか・・・と思ってしまう。

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仕事柄、インターンの準備をする大学3年生、就活準備中の大学4年生、そして、卒業式もなく、新人研修もないままに社会人になってしまった新入社員達と接することが多い。

今日書いたようなことは、それぞれの立場についても熱く語れるくらい、想いがある。

数年後「これだからコロナ世代は」と言われるようになることは目に見えている。
息子もそうなるかもしれない。

行動を起こすも起こさないも本人次第で、何が出来るかというと、私が大きくできることは何もないかもしれない。

でも、この時期に節目の大学一年生の親であり、状況を理解しているのも何か意味があるのだろう。

彼/彼女らにキャリア支援が必要な時はきっとくるだろう。
その時に力になれるような存在でいなければ。

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