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アホロートルともいう

ウーパールーパーの販売を始めてみた。かれこれ25年以上前に流行した生き物である。ヤツラの本名はメキシコサラマンダーというらしい。なにゆえウーパールーパーと名乗っているのか知らないけれど、本名で活動してもさしつかえはなさそうだ。

そのつぶらな瞳とアルビノの美白で、たとえ内臓が透けていても愛らしい。お値段も1260円(税込み)とお求め易いので、なかなかの人気者となっている。
しかし、ここで問題が発生した。日々世話をしているにも関わらず、なかなかの確率でヤツらは冥府に旅立つのだ。
朝イチに瓶のなかでプカプカ漂うサラマンダーを見るのはあまり良い気分ではない。
お亡くなりになった生体は仏教学科卒の私が「なむあみだぶつ!」というお経を唱えて捨てるのだが、その数は仕入れ数の30%にのぼる。損耗率が30%というと、普通の指揮官は撤退を命令するものである。私はウーパールーパーの販売を諦めようと思った。

そんなとき、店長がウーパールーパーの存在に気づいてしまった。彼はそれをすごく気に入ってしまい、売場の拡充を私に命じた。だが、私は「世話がめんどい」「死にすぎる」「手間のわりに儲からない」と具申した。
すると、彼は「廃棄率をカバーできるほどに販売すればよい」と言った。

彼がいま私に言ったことは概ね正しい。話題性があり、売場の拡充が売上の上昇に直結しているならば、多少の廃棄があろうとそれをおこなうべきである。
例えば、お皿などの類いのモノが「やたら割れるけれどもそのぶん売れる」というのなら、それもよいと思う。

ただ、今回の場合はそれが「生き物」であることが問題だ。

あらかじめ死亡すること織り込んで仕入れをおこなうということを、私の今までの34年間の常識がジャマするのである。新店長は皆から拒絶されているのだけれども、このようなデリカシーの無さが一因なのだろうな…と思う。

さて、生命活動を停止したウーパールーパーはアッという間に身体に藻がまとわりついて分解されていく。生きていたときと死んだとき、体内に血が流れているかどうかぐらいの差がないのに何とも不思議である。なぜ、肉体は生きたまま朽ちていくことはないのだろうか。精神は簡単に朽ちるというのに。

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