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思い出の代わりに頭痛がある

 快晴で、酷暑だ。今日で8月が終わる、すなわち夏が終わる。夏は私に二つの異なるイメージを想起させる。一つは活力で、一つは退廃だ。
 二つのものは私の中で奇妙に親密に結び付き、活力が退廃を、退廃が美を伴い、官能的な魅力を引き起こす。しかし、活力に同伴した退廃以外は、ただの怠惰だ! 私の今年過ごした夏は、イメージとは異なり、ただの退廃した季節。ひたすらに暑さを憎み、日光を憎み、世間を憎んだ、ただ暗く、ジメジメとした、腐敗した季節であった。
 そんな夏が、今日で終わる。俗な言い方をすれば、「人生で一度きりの、18の夏」が今日で終わった。
 
 既に述べたように私は夏を夏として過ごすことができなかった。夏の構成要素が、活力と退廃である以上、その構成要素を享受できなかった私にとって、この季節は、ただの気温が暑い日々であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 
 アウトドアが好きなわけでもなければ、普段から活動的な人間というわけでもない。むしろ内向的で、インドアな人間が私だ。
 燦々と輝く太陽にカッと横顔を照らされながら、汗を流して街を闊歩することを私は好まない。ひたすらに大きく、青く透き通った海の飾らない堂々とした姿に、私は魅力を感じない。鮮緑に燃える木々と生い茂る草花の中を生き生きと飛び回る虫たちに私は生命の美しさを感じない。闇黒を彩る、煌びやかな大輪の火の花に私は心を動かされない。
 これらは夏だ。夏の活力だ。夏の退廃だ。夏の官能だ。だが私はこれらを好まない、そんな私がどうして夏を楽しめよう?

 しかし、一抹の後悔が私の胸をつく。それ故、今日こそは真っ当に夏を楽しもうと思った。早く起き、散歩に出、電車に乗り海に行き、そして夜は手持ち花火をしよう。そう思った。決意した。私は心に誓ったのである。
 ……。


 目が覚めた時、時計の針は10時すぎを指していた……。しかし、まだ間に合う、散歩は無理でも、海へ行くだけの時間はある。
快晴で、酷暑。さらには体がだるい。……、体調が悪い気がする。頭痛がする、咳と鼻水も止まらない。
 熱を測る……。
 どうやら私は、夏に愛されていないようだ。どうやら私は、夏を楽しむ才能がないようだ。夏を求めても、夏が私を遠ざける。やはり、私は夏が嫌いだ。今日で終わって、せいせいする気分だ。

 まだ頭が痛い。それは単調な鈍痛だ。まるで私が過ごした夏の日々のように、変化のない、しかし活力を奪うような、そんな痛みだ。

 嫌いな夏が今日で終わる。夏の総決算たる頭痛は、おそらく明日になるまで引くことはないだろう。

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