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備忘録3:継続的学習が貧乏から脱するカギになった話

こんばんは、そろそろ寒波が厳しくなってきて外に出るのが億劫になっているゆうきです。


去年までは同期からキャリア相談を持ちかけられることが多かったですが、今年に入ると後輩からキャリア相談を持つかけられることが多くなりました。もちろん、頼ってもらえるのは非常に光栄なことではありますが、一番大きな理由は「ある程度自由に生きている僕がちゃんと生きているのか確認したい」ということだと思っています。

というのも、「なんで大手企業を辞めたのか。」「なぜわざわざ海外に行ったのか。」は毎回聞かれるからです。

別に毎回同じ質問されることが嫌だとか、変わった生き方をしていると見られることが嫌だというわけではないです。確かに、自分が相手と同じ立場だったら、「大手企業というラベルを剥がした時に持つ人間の価値を確認する術」って他にないと思うので、同じ質問をすると思います。

これから先も同じような質問をされると、どうしても話をはしょって伝えてしまうことになるので、あえてこのnoteに僕の経験を綴ることにしました。


人とは違う道をたどってきたことでしか味わえない最高にスリリングな物語をここに記します。

「波瀾万丈って最高!生きてるって感じがするぜ!」というワイルドなタイプではないので、しっかりと凹んでしっかりと同じ轍は踏まないようにこれからは生きていきたいと思います。もちろん、様々な挑戦はこれからもしていくつもりです!同じ過ちは犯さないようにするというだけです。


人生初の超絶貧乏時代

日本に生まれ育っていると、人生で飯が食えないほどの貧乏を経験する機会はよっぽどのことがない限りないと思います。

貧乏だったと言っても、おもちゃが買ってもらえなかったとか、毎日コンビニ飯だったとか、日本における貧乏はそのあたりになるんじゃないかと感じています。(いざとなれば生活保護という初段もありますし。)


ただ、僕は半年の間想像を絶するほどの貧乏生活に直面しました。


簡単に経緯をお話しすると、前職を辞めたあと起業をして、現地に滞在している日本人フリーランスをターゲットとしたコリビング事業建設の実地調査のためにセブ島を訪れました。
(マニラではなくセブ島にした理由は、フリーランスをターゲットとしていたのでマニラに比べて気楽に過ごせるセブ島の方がフリーランスが集まっていると直感的に感じたからです。)

※コリビングとは、簡単にいうとコワーキングスペースと寝る場所が一体となった場所を指します。要するに「寝れる会社」をイメージしてもらえればわかりやすいかと思います。


ただ、いくつかのホテルやコワーキングスペースにてヒアリングをしていると以下のことがわかりました。

「ホテルやコワーキングスペースに滞在している日本人フリーランスはセブ島だけでなく、様々な場所を転々としている」

もちろん、ホテルやコワーキングスペースに出入りしている日本人を見かけることはありましたが、定住しているという条件を加えてしまうと途端に数が減少してしまったのです。


ビジネスをやる以上、売上を出さなければ意味がありません。
そもそものターゲットとしていた需要が少ないのであれば、出店したところですぐにポシャるのはわかっていました。

また、もう一つ絶対的にポシャる大きな理由としては、「顧客から徴収できる金額をあまりにも大きく見積もりすぎていた」ことが挙げられます。


当時の事業計画だと、1人あたり3万ペソ(6万円程度)を回収することができれば、毎月20万円程度の利益を挙げることができるという算段でした。しかし、セブ島では3万ペソも出せば高級コンドミニアムで暮らすことができます。
よっぽど明確な目的がある人間か変わり者でなければ高級コンドミニアムの代わりに知らない人とのルームシェアは選ばないことでしょう。


ビジネスとして望みが薄いところに対してお金をかけることはしたくなかったので、急遽別のビジネスモデルを探すことにしました。

この頃はまさか超絶貧乏生活になるとは思ってもみませんでした。


生きているだけで金がかかる

新しく考えたビジネスモデルはIT系の事業だったので、セブ島からマニラへと方向を変えることになりました。というのも、やはりマニラの方が人口も企業も多かったため、潜在的なクライアントも多いだろうと踏んだためです。


マニラに移った頃は、すでに僕はなんの仕事もしていませんでした。なんの仕事もしていないということはすなわち収入がないということです。個人的にブログをやっていたので、かろうじて月に2万円くらいは入ってきていましたが、そんな少量のお金は宿代ですぐに飛んでしまいました。


貯金もそこまでするようなタイプではなかったので、すぐに貯金はそこを尽きかけようとしていました。マニラに移った頃の残り貯金額は20万円で、そこから6ヶ月間生活することになります。(食費を除く必要経費で月3万円程度)

「日本に帰ってきて仕事すれば良いじゃん」と思われるかもしれませんが、意気揚々と「成功して帰ってくるから待ってろよ〜」と言って出て行った手前、手ぶらで帰るという選択肢はどうしても取ることができませんでした。


ただ生きているというだけで、住居代はかかるし食費はかかる。生きるということはこんなにも難しいことだったのか。

そんな当たり前のようで誰も教えてくれなかったことを本気で考えていました。また、同時に自分の力でお金をしっかりと稼ごうと思い、LancersとCrowdworksに登録することにしました。

LancersとCrowdworksとは、フリーランスのための案件が掲載されているサイトです。


実績がないと何者にもなれない

LancersだろうがCrowdworksだろうが関係なく、高学歴で外資系出身で英語がペラペラな自分には死ぬほど仕事が舞い込んでくるだろうと本気で思っていました。

なおかつ、会社での評価も割と上々でしたし、控えめに言っても世間的にはそこそこ優秀だったと思います。

時給2,000円

これが当初僕が自分につけた金額です。


スカウトはおろか、コンペにも1通たりとも当選しませんでした。そこで、ある日落とされたコンペの会社さんに「僕の経歴のどこに不満があるんですか。」と聞いてみることにしたのです。


すると、「経歴はあっても、実績がないと具体的にどのような仕事を得意としているのかわからないので仕事をふることができません。」という返事が帰ってきました。


「大手外資系コンサル会社で内部マネジメントを経験していたことは実績には入らないのですか。」と食い下がると、
「会社でやっていた仕事ができる仕事だという保証はないので。」とあしらわれてしまいました。
(本当は、もっと雑に扱われてイラッとしたのを覚えてる。)


適当にあしらわれたことに対してイラッとはしたものの、相手の言っていることももっともなことだったので、どうしても相手を攻める気持ちにもなれなかったのです。

「今まで会った人はそうだったかもしれないけど、僕はそうじゃない。」といくら言ったところで、そんなことを証明するすべもありません。


「実績を作ろう」

そう心に決めたのは、貯金が5万円を切った8月のことでした。まだこの頃は少なくとも1日1食は何かしらの飯を食べていました。


お金は大事

「お金は大事」

そんな当たり前のことは言わなくてもわかっているつもりでした。実際にお金を稼ぎたくても稼ぐことのできない状況に陥ってしまうと、そんな当然のこととして言及しなかった出来事が頭の中で何度も反芻するようになります。

しかし、ここまで精神的に追い込まれていても続けていたルーティーンがありました。

それは勉強と読書です。


とにかく1日でも早く成果を出すために躍起になっていたこともあり、借金してでも勉強道具(書籍等)は揃えようと決意していました。

「今じゃないと先送りにしたこの本には、もしかしたら自分にとっての成功の秘訣が隠されているかもしれない。これは消費じゃなくて投資だ。」

たかだか数千円の書籍を購入するかどうかを何時間も何時間も迷ったこともありました。


ある日、Crowdworksに

「やる気のある人歓迎!記事校閲1本300円」という見出しの案件が掲載されていました。当時は生きるためにはなりふりかまっていられなかったので、藁にもすがる思いでこの案件に応募しました。

求められてもいないのに、案件の担当者の方に対して、「文章力」「SEOに対する知識」のパワポを計50枚くらいのプレゼン資料でまとめて提出しました。幸いなことに、そのやる気を認めてもらい、無事に案件にありつくことができました。


大体記事の校閲作業は1件あたり1時間程度の時間がかかりました。要するに、時給に換算すると300円です。日本でアルバイトをすれば余裕で稼げるような額のために、わざわざプレゼンまで作って仕事をもらうという経験はある意味特殊と言えるかもしれません。


「わざわざそこまでしてその仕事をする意味なんてあるの?」と言われてしまえばそれまでだと思います。
そして、特に意味はないです。時給300円の仕事はどこまで行っても時給300円です。


しかし、これは自分の中では大きな成功体験の1つとして位置付けています。今までの人生で頑張りが報われることはあっても、それは数ある人間の中の1人としての自分でした。

受験に合格した時も、難関大学に合格した人間の中の1人。
外資系企業に内定をもらった時も、外資系企業に内定をもらった人間の中の1人。

入社や入学の難易度はあれど、あくまでもカテゴライズされた中の1人という枠から飛び越えることはできませんでした。


しかし、この時給300円の仕事は他ならぬ「僕に依頼された僕だけの仕事」だったのです。
どんなに壮大に説明したところで、客観的にみると時給300円の仕事に変わりはありません。これはどこまで口で説明しても伝わらないと思います。


この仕事をもらえたことはもちろん嬉しかったですが、300円は300円。「頑張ったから1,000円の価値にしてあげるよ」とはなりません。これでは貧困から抜け出すことはできず、根本的な問題は解決しませんでした。


そこで僕はいかにしたら自分の給料をあげることができるのかを必死に考えることになるのです。


頑張ってるから給料上げろは通用しない

300円の仕事をいくら頑張ったところで、300円以上の価値を生むことはできません。どんなにコンビニや飲食店のアルバイトを頑張っても時給が1万円になったりはしないのと同様です。


これはビジネスを考える上では必然的なことですが、努力至上主義の日本では「頑張った」ということに対して過剰に報酬を求める傾向があります。

例えば、以下2人の人材がいる時にあなたならどちらをとりますか。

A 毎日5時間残業して90のアウトプットを出す人間
B 毎日3時間しか働かずに90のアウトプットを出す人間

同じアウトプットなら当然3時間しか働かない人間をとります。なぜならリソース的に余裕があれば他の仕事も投げることもできるからです。


この点に関しては、ファーストキャリアに外資系企業を選んだこともありよく理解していました。「頑張らないためにはどうすれば良いのか。」をひたすら考え抜きました。


この時はすでに残金が1万円を切っており、上記の仕事の給料日までは3日に1回飯を食って、基本的には水で腹を満たす生活に突入していました。


「記事校閲に1時間かかるなら30分、15分にするならどうすれば良いのか」ということをひたすら考え、少しずつ作業の効率を上げていきました。


しかし、ある日気づいてしまったのです。

「仮に1つの記事校閲を15分でやったとしても、1時間で4本が限界。つまり時給換算で1,200円しか稼げない。」


どんなに考えても時給が1,200円にしかならないのであれば、別の方向から物事を考える必要があるのではないかと。また、そんな中雇い主から「君の校閲のクオリティは他の校閲者と比べて高いから、時給をあげる代わりに稼働を増やしてくれないか。」という依頼を受けました。

どこまで行っても、時給稼働では正直稼げる未来が見えないのでお断りさせていただくことにしました。

ただ、どうしてもこのイシューは解きたかったので、「誰もが僕と同じレベルで校閲できる状況を作り出せば無条件で時給を上げてくれないか。」と提案することにしたのです。


そんなこんなで考え抜いた自分なりの答えが、「校閲時に確認している共通項を徹底的に洗い出して校閲者に参考資料として配り、それをマニュアルとして校閲作業をしてもらう」という方法でした。


この方法がそのメディアの成果につながり、メディアマネージャーという職種に職位が上がることになったのです。(時給も1,000円に上がった)

この時はもはや口座にお金がなくなって、クレジットカードで支払いを先延ばしにする生活をしていました。ちなみに、パンを電子レンジで真っ黒にしたけどもったいないから食べるというくらいに貧乏でした。⇦本当に料理はできるようになっといた方がよかった...。


ちなみに、今でも電子レンジとトースターは使えない...。先週は唐揚げを焦がしてしまった...。


マネージャーとは?働かないことの難しさを実感

皆さんは、優秀なマネージャーと聞くとどのような仕事を思い浮かべますか?

僕は「自分で手を動かさない人」だと思っています。


ただ、言うは易く行うは難しなのがマネージャーというポジションで、僕はこのメディアマネージャーというポジションで結構苦労することになります。

ポジションが上になったこともあり、記事の校閲作業自体は担当者が行ってくれるようになりました。とはいえ、記事を書く側のライターにとってはそんなことは御構い無しなので、各々が好き勝手書いたバラバラのフォーマットで上がってくることになります。つまり、いくら校閲側を統制したところで記事毎にズレが生じることになります。

となると、メディアの趣旨に合うように文言を調整したり、タイトルを変更したりするのが結局僕の仕事になってしまったのです。せっかく頑張ってマネージャーというポジションを手に入れたにもかかわらず、実際にやっている仕事はフォーマットの修正。

これでは、ただ時給が上がった作業を行う人の1人に過ぎませんでした。


どうやったら自分は仕事をしないという”仕事”をすることができるのか考え抜きました。同じような作業を1週間程度行っていると、「めんどくさいな〜。みんな同じフォーマットで出してこいよ。」とふと思ったのでした。


「あ、みんな同じフォーマットで出せば解決するじゃん。」

そう考えた私は、当時閲覧数が多い記事を書いているライターの記事を徹底的に分析して、語尾や頻発する言葉などを洗い出しました。そして、誰が書いてもメディアに合った最適の記事になるというテンプレートを完成させたのです。

はたからみると、「簡単なことじゃん。そんなこと。」と思われるかもしれませんが、これまた難しい話で、実際の当事者として仕事をしていると意外と見落としてしまう観点だったのです。


そこからはある程度仕事もうまく行き、最終的には経営に関わるようになったり、事業計画に関するコンサルティングの仕事も舞い込んでくるようになりました。(時給で3,000-4,000くらい)

別に今とりわけ成功しているわけではないですが、あの時僕の行った「仕事を辞めるという選択」の「良い面」ばかりにフォーカスすると、自由を求めて僕と同じような選択をした人が「こんなはずじゃなかったのに...。」となると思うので、あえてこの選択をした「辛い面」をこの記事では取り上げてみました。


今はある程度楽しいと思えることも増えてきていますが、辛いことはそれ以上に多かったです。それでも、自分の力で行きていく決心がなければ自由なんて求めない方が身のためだと思います。
「自由と責任は表裏一体だ」とよく言われますが、僕はさらにその表裏にはもう一層加えてもいいと思っています。それは「覚悟」です。

責任を取るのも「覚悟」、自由を選ぶのも「覚悟」
ある程度「覚悟」を決めれば割となんとかなることもあります。自分の許容できる「覚悟」の閾値はどこまでなのか若いうちに探りを入れとくのもありかなーと思ったりもしています。(僕の場合、もう一生貧乏生活はしたくないのでその覚悟はないです。別の覚悟にします。)


昔読んだ哲学書で印象的な言葉があります。(確か、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」だったと思います。)全く同じではないですが、意図したいことは同じだと思います。

「人間は自由を求めているが、いざ自由になってみると何をすれば良いのかわからないものだ。」

二律背反的側面を持つ「自由」という状態を、「自由」だと捉えることができるのは「抑圧された自由なのか」それとも「覚悟と責任が伴うが自由なのか」しっかりと自分の中で理解することが人生の中での大きな指標の1つになるんじゃないかなと思います。


長くなりましたが、僕はとにかく勉強を続けていると、またいつかチャンスは回ってくると思うので、これからも逃さないように待ち構えていたいな。と常に思いながら生きていたいと思います。


それじゃ!

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