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『日本が先進国から脱落する日』:全文公開 はじめに

『日本が先進国から脱落する日 』 “円安という麻薬"が日本を貧しくした‼ (プレジデント社)が3月1日に刊行されました。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに

 日本経済の停滞が、危機的な段階にまで達している。
 本書は、これまで数十年間の日本経済運営の反省に立ち、これから数十年間を展望する。
 将来にいかなる可能性があるか? いかなる問題があるか? いま、何をなすべきか?
 これらを知るには、日本の現状を正しく理解することが不可欠だ。
 ここでは、本書全体を通じて行なわれる議論を鳥瞰しておくことにしよう。

日本のビッグマックの価格は安い
 本書は、身近な「ビッグマック」の価格から話を始める(第1章)。
 市場為替レートでドルに換算すると、日本のビッグマックの価格はアメリカの6割程度でしかない。これが「安い日本」と言われている現象だ。
 ただし、財・サービスの価格が安いこと自体が問題ではない。賃金が決まっていれば、価格は安いほうがよい。
 問題は、日本の賃金が低いことである。
 賃金や一人あたりGDP(国内総生産)で見ても、日本の数字は低い。時系列データで比較してみると、日本はほとんど増えていないが、アメリカは顕著に増えている。韓国もそうだ。欧米諸国も着実に増えている。
 しかし、昔からこうだったわけではない。アベノミクス以前の2010年には、日本の地位はもっと高かった。アベノミクスの期間に、日本は急速に貧しくなったのだ。もっと遡さかのぼって1980年代、90年代を見ると、日本の地位はずっと高かった。
 ところが、いまや日本の国際的地位は、70年代後半と同程度までに低下してしまった。

「円安の麻薬効果」に依存したために、日本が貧しくなった
 以上は、現象の記述だ。日本の現状が深刻だと認識することがまず大事だが、そこでとどまってはならない。これへの対策が考えられなければならない。
 そのためには、現象の背後にあるメカニズムを解明する必要がある。この議論が、第2、4、5、6章で行なわれる。
 第2章では、こうした変化が生じた理由として、まず、為替レートが円安になったこと、そして、それを是正する力が働いていないことを指摘する。日本の経済政策にはバイアスがある。これが第1の問題だ。
 第2の問題は、1990年代後半以降、日本で賃金が上がらなくなったことだ。
 マーケットが正常に働いているとすれば、これらを調整する力が働くはずだ。
 考えてみよう。もしアメリカ人がドルを円に替えて日本に安いハンバーガーを買いに来るとすれば、円高になる。そして、ハンバーガーに対する需要が増えれば、賃金も上がるはずだ。このようなメカニズムが働いていないことが問題である。なぜ現状を是正するマーケットの力が働かないのか?
 これに対する本書の答えは、つぎのとおりだ。円安になれば企業の利益が増える。このため、企業は円安を求めた。
 それだけでない。円安になれば簡単に利益が増えるので、技術開発や新しいビジネスモデルへの転換が行なわれず、その結果、賃金が上昇しなかった。これは、「円安の麻薬効果」とも言えるものだ。したがって、円安はつぎの二重の意味において、日本を貧しくしたことになる。
 為替レートが円安になったため、日本円の購買力が低下した。これは、「円安の直接効果」だ。
 円安の麻薬効果によって、日本企業が技術開発やビジネスモデルの転換を怠った。これは、「円安の間接効果」だ。「亡国の円安」とか言いようがない。

「購買力平価」など難解な概念は、理解できれば面白い
 ここまでの議論だけでも、ビッグマックの価格、賃金、一人あたりGDP、就業者一人あたり賃金等々の指標が登場した。これらの指標はどう違うのか?
 しかも、「名目」と「実質」という区別がなされる。あるいは、「購買力平価」という概念が現れる。それを使った「実質実効為替レート指数」という指標もしばしば使われる。これらは、簡単に理解できるものではない。よく理解せずにこうした概念を用いると、誤解をしたり、誤った結論に導かれたりする。
 しかし、理解できると、非常に重要で、しかも面白いものであることが分かる。例えば、第1章で見るビッグマック指数は、実は「実質実効為替レート」と同じようなものだ。
 第3章では、こうした事柄についての説明を行なう。

物価が先か、賃金が先か?
 第4、5、6章が分析編だ。日本がかくも貧しくなったのはなぜか? それを、第3章で説明した概念を用いながら解き明かす。
 分析すべき第1の問題は、「物価が先か、賃金が先か?」ということだ。つまり、「物価が上がるから賃金が上がるのか?」、それとも「賃金が上がるから物価が上がるのか?」という問いだ。
 第2章で見るように、物価と賃金は同じような動きを示している。これは物価と賃金が相関していることを示している。しかし、これと因果関係は別のことである。
 これに関してどう理解するかは、経済政策についての結論に大きな影響を与える。
 もし、物価が上がるから賃金が上がるのであれば、物価の引き上げを政策の目的にすべきだろう。しかし、もし賃金が上がるから物価が上がるとすれば、そのような政策は無意味だ。賃金そのものを引き上げる政策が行なわれなければならない。その結果として物価が上がるのだ。
 この問題は、第4章で議論される。本書で強調したいのは、「賃金が上がるから物価が上がるのであって、その逆ではない」ということだ。
 その証拠として、アメリカの状況を見る。アメリカでも、工業製品の価格は上がらない。この点では、日本と違いがない。上がっているのは、サービスの価格だ。その背後には、サービス産業が高度化していることがある。
 こうしたことからも、「物価が上がるから賃金が上がる」のではなく、「産業の生産性が向上して賃金が上がるから、物価が上がる」ことが分かる。
 ところが、「物価が上がるから賃金が上がる」と考えている人が多い。日本銀行もその考えに基づいて、消費者物価上昇率を政策目標にしている。
 しかし、実際の因果関係はこれとは逆であり、「賃金が上がるから物価が上がる」のだ。

◆賃金が上がるアメリカに学ぶ必要がある
 日本で賃金を上げるには、賃金が上昇しているアメリカの状況を調べる必要がある。
 日米で何が違うのかを知れば、日本で賃金を上げる手がかりを掴むことができるだろう。そこで第5章では、アメリカでいかなる変化が起きているかを見る。
 アメリカでは、1990年代中頃から生じた大きな技術革新の流れに対応して、情報データ処理などの高度サービス産業が成長した(この中核が、GAFAと呼ばれてきた巨大IT
企業群だ)。このため、アメリカの賃金が上昇した。
 それだけではない。金融業が新しい技術を取り入れているため、情報処理産業との区別が曖昧になってきている。さらに製造業の一部では「ファブレス」(工場を持たない製造業)という変化が起きており、ここでも情報処理産業との区別が曖昧になっている。
 ところが、日本では、こうした変化が起きていない。このために賃金が上昇しないのだ。そして物価も上昇しない。
 結局のところ、日米の違いは、産業構造にある。日本で高度サービス産業が育たないから、賃金が上がらないのだ。

◆大学の情報化も、デジタル化も、円安の是正も進まない
 賃金を引き上げるには、技術開発によって生産性を高める必要がある。
 技術革新の源となる基礎研究を行ない、人材を教育するのは大学だ。第6章では、「高度教育力」や「大学の情報化度」という指標を作って、各国の技術開発力の源泉を見る。日本の状況は危機的だ。
 日本の成長が止まったのは1995年頃だが、これは、その頃に生じたIT革命と中国の工業化に日本が対応できなかったからだ。こうして日本のデジタル化は、どうしようもないレベルにまで遅れてしまった。
 停滞する日本の状況は、アジア通貨危機で危機感を強めた韓国が、その後、高成長に転じたのと対照的だ。
 第7章では、為替政策の経緯を見る。2000年代以降、円安政策がとられるようになった。そして、アベノミクスで円安がさらに進んだ。
 現在は危機的な円安になっており、これまでとは違って、企業から見ても「悪い円安」になっている。それにもかかわらず、円安是正への動きが見られない。

日本の状況を変えるには、どうしたらいいか?
 以上のような分析に立って、第8章以下では、将来への展望を行なう。
 日本政府はさまざまな将来推計で、高い成長率が実現すると仮定している。しかし、実際には実質1%の成長も難しいだろう。高すぎる成長率を想定することによって、財政や公的年金制度が抱える深刻な問題を隠蔽している。これが、第8章で説明される。
 今後の日本経済を考える上で基本になるのは、人口の高齢化がさらに進むことだ。これは、「人口オーナス」と呼ばれる抑圧効果を経済にもたらす。賃金が上昇しなければ、社会保障が直面する「2040年問題」を解決できない。これが第9章で説明される。
 現在の日本が置かれた状況を変えるには、どうしたらよいか?
 いまの日本人は、外国に学ぶという謙虚な態度を失ってしまったように見える。何よりも必要なのは、現在、日本が置かれている状況を正しく認識することだ。そして、一歩一歩、改革を進めることだ。ただし、それは決して簡単な課題ではない。政治の現状を何とか変えることは、不可欠の条件だ。

◆不可解な現象が起きているわけではない
 どんな国も、歴史のある時点で不調に陥ることがある。アメリカも、1970年代から80年代にかけてそれを経験した。経済停滞というだけでなく、国の将来が危ぶまれるような事態だった。
 中国は、明時代後期の16世紀頃から第二次世界大戦後に至るまで、実に400年以上にわたる長期の停滞に陥った。産業革命を実現できず、国を改革することができなかったからだ。
 停滞から脱却できずに消滅した国も、歴史上多数ある。現代でも、ソビエト連邦が消滅した。しかし、いくつかの国は、停滞から脱却して繁栄を取り戻した。アメリカも復活した。中国も、長い眠りから覚めて復活した。
 日本の現在の状況はきわめて深刻だが、決して克服できないものではない。私たちの世代は、日本が三等国である時代を経験した。そして、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界の人たちが賞賛した時代も経験した。イギリスのサッチャー首相や中国の鄧小平副首相が日本を訪れ、日本をモデルにすべきだと世界に向かって紹介してくれた。
 いま考えれば、これまで起こったことの全てに対して、納得できる原因を見つけることができる。急成長した原因の説明もつくし、その後に貧しくなったことの説明もつく。これらは、決して不可解事ではない。起こるべくして起きていることだ。
 そもそも、訳の分からないことが起きているのか、それとも、説明がつくことが起きているのかの違いは重要だ。なぜなら、前者の事態には対処しようとしてもどうしてよいか分からないが、後者であれば対処の仕方は分かるからだ。つまり、われわれが直面している問題は、対処の仕方によっては、解決できる性質のものなのだ。
 もちろん、その解決法を実行に移すのは、決して簡単なことではない。というより、絶望的と思えるほど難しい。われわれは、20年後、100年後の日本人から賞賛され、感謝される行動をとれるだろうか?

2021年12月
野口悠紀雄


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