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『中国が世界を攪乱する』全文公開:第1章の2

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これは、第1章の2全文公開です。

2  世界銀行による分析

感染が拡大しなければ「マイルド」よりやや軽微
 以上では、GDP成長率の見通しや中国の経済指標について述べた。しかし、こうした数字を眺めているだけでは、問題の全体像を捉えることができない。過去のパンデミックがどの程度の影響を及ぼしたかを把握し、それとの関係で今回の問題を捉えることが必要だ。パンデミックの経済的影響を考えるには、世界銀行による2008年の研究が参考になる★。

 図表1‐1にその推計結果を示す。ここには、3つのケースが示されている。

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 第1は、マイルド(Mild)で、1968~69年の香港風邪程度のもの。       第2は中程度(Moderate)で、1957年のアジア風邪程度のもの。
 第3は深刻(Severe)で、1918~19年のスペイン風邪程度のものだ。

 「スペイン風邪」とは、1918年から19年にかけ全世界的に大流行したインフルエンザだ。これは、抗インフルエンザ薬もワクチンもない時代のことであった。
 感染者5億人、死者5000万~1億人だったと言われる。当時の世界人口は18~20億人であったから、3~5%が死亡したわけだ。
 日本では、人口5500万人に対して39万人が死亡した。死亡率は0・7%ということになる。
 図表1‐1で「マイルド」の場合には、全世界の死亡者が140万人。「深刻」の場合には、7100万人になる。この死亡者数は、スペイン風邪の場合とほぼ同じ程度だ。
 コロナウイルスによる死者は、3月初め時点では全世界で約3000人だったが、4月初めで約7万人に近づいている。仮にこのペースで1年間続くなら「マイルド」よりさらに軽微ということになるが、そうなるかどうかは、本稿執筆段階では何とも分からない。
 世界全体のGDPに対する影響(第1年目の影響)を見ると、マイルドの場合は減少率が0・7%ポイントだ。
 OECDの予測では、世界GDPが0・5%ポイント減少するとしているのだから、図表1‐1の結果と照合すると、「マイルド」よりもやや軽微ということになる。
 そして、アジア太平洋地域と先進諸国全体で、中国で起きているような感染拡大が生じると、1・5%ポイント減少するというのだから、図表1‐1の「マイルド」の2倍くらいにはなるが、「中程度」よりやや軽微、ということになる。
 IMFの統計によると、2017年の世界の国内総生産(名目GDP)は84・9兆ドルだから、その0・5%は、0・42兆ドル程度(47兆円程度)になる。これは、日本のGDPの約1割に匹敵する程度の額だ。
 おおまかに言うと、GDPに対する影響度は、先進国より開発途上国で大きい。これは、人口密度が高く、所得水準も低いからだ。
 なお、リーマン・ショック後の世界的な景気後退では、2009年の世界のGDPは、全体で0・1%の減、先進国が3・4%の減、新興国が2・9%の減だった。

供給面でなく、需要面で問題が生じる
 経済的なコストは、どのような形で生じるのだろうか?
 これについて、前に紹介した世界銀行による2008年の研究は、いくつかのケースのうちの1つのケースについて、コストの内訳を示している(図表1‐2参照)。

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 コストは3種類のものに分類される。
 第1は、死亡。これは、労働者が死亡することによって経済活動ができなくなることのコストだ。これはマイナス0・4%ポイント。
 第2は、病欠。労働者が欠勤することによって経済活動ができなくなることのコストだ。これはマイナス0・9%ポイント。
 第3は感染拡大防止に伴うコスト。これは、感染拡大防止のために人々の移動を制限したり旅行を制限したりすることによって生じるコストだ。これはマイナス1・9%ポイント。
 これは、旅行などの需要減という形で生じる、「非必須消費」の減少だ。以上の3つを比較すると、コストの大部分は第3のカテゴリーで生じることになる。
 今回のコロナウイルスで、一般には、中国の工場閉鎖や工場再開延期などによって部品の供給が滞り、世界のサプライチェーンへの影響が懸念されている。日本の工場でも、生産できないなどの問題が指摘されている。これは、「供給面」の問題だ。
 確かにそうした問題はあるだろう。しかし、世界銀行の研究結果で見る限り、それは最大のコストではない。主要な問題は、「需要面」で生じるのだ。
 もちろん、この研究が行われた2008年当時には、現在のような世界的分業体制は確立されていなかった。だから、この結果をそのまま受け取ってよいかどうかは問題だ。
 中国のプレゼンスが一昔前に比べて格段に大きくなったことは、OECDのレポートも強調している。
 しかし、移動制限や行動制限に伴うコストが大きいことは、今日でも正しいだろう。
 このモデルでも、移動制限措置がGDPに及ぼす影響はマイナス1・9%ポイントだが、観光とサービス活動(レストランや航空、その他必須ではない消費支出)は20%減少するとしている。
 日本の実際のデータを見ても、2020年3月初めの時点で、こうした傾向がすでにはっきりと表れている。
 まず、各航空会社が減便を決めた。米デルタ航空は、アメリカと日本を結ぶ路線を約3割減らした。日本航空と全日空は、国内の路線について、減便することを決めた。国内線全路線の予約は、前年同期と比べて、4割ほど減少しているという。全日空では、北海道の空港を発着する路線で予約が半減した。
 新幹線は、2月下旬の段階で乗客数が1割減だった。
 3月2日に発表された大手百貨店の2月度の売上高速報値によると、三越伊勢丹は、2月の国内既存店売上高(グループ会社含む)が前年同月比13・6%減だった。三越銀座店は同36・2%減。松屋銀座店は同31・6%減、大丸心斎橋店は45・5%減だった。
 こうした損失は、仮に感染拡大が収まったとしても、回収できないものが多い。

施策は慎重に行われる必要がある
 以上を考えると、行動制限にあたっては、慎重な判断が必要だ。
 つぎの2つを判断する必要がある。
 第1に、行動制限は本当に効果があるものなのか?
 第2に、行動制限に伴う経済的損失をどう補てんするか?
 第1点について言うと、日本では、すでに2月16日に不要不急の会合の自粛要請が行われた。さらに、2月27日、安倍晋三総理が小・中・高校の休校要請を表明した。
 しかし、休校措置の効果が疑わしいことは、素人でもわかる。
 両親が働いている場合には「学童保育」に任せる親が多いが、この多くは、学校より密集した空間であると言われる。この場合には、かえって感染の可能性を高めてしまうわけだ。この点は、国会でも議論になった。そして、満足のいく回答が得られなかった。
 事実、栃木などいくつかの県が休校しなかった。休校要請が本当に必要な措置だったのかどうかは、大いに疑問だ。

補てんは公平に行われなければならない
 つぎに、前記の第2点について考えよう。
 日本では、これについても、一部はすでに実施が決まっている。すなわち、臨時休校に伴って仕事を休む保護者への支援策として、賃金を支払った事業主に最大で3分の2程度を補てんする新たな助成金を創設するとしている。
 これも問題が多い。
 なぜなら、休校措置についてはこの施策が行われたが、その他のケースについては、何もなされていないからだ。たとえば、イベントの中止により大きな損失が生じるが、それは補償されない。
 「不要不急」であるとしても、政府の要請によって中止され、それによって所得が失われるのは、間違いない事実だ。
 今後、大規模なスポーツイベントなどを中止せざるをえない状況が想像される。そうした場合に、予定していた収入が得られなくなることにどう対処するか、という問題が生じる。
 これは、仮にコロナウイルスが早期に収束するとしても、必ず生じる問題である。そして、「政府は要請しただけであって、禁止したわけではないから、補償の責任はない」という論理は成立しない。なぜなら休校は自粛要請だったにもかかわらず、救済措置を約束したのだから。

アンケート調査の結果
 休校要請問題について、私はnoteのウェブサイトでアンケート調査を行った。
 ここには、批判的な意見が多く寄せられた。
 まず、52・5%が「休校措置の効果は疑わしい」とした。「適切な措置だ」との回答は、8・2%しかなかった。
 26・2%が「フリーランスや自営業者が対象外なのは不公平」、19・7%が「フリーランスや自営業者は、イベント自粛要請で収入そのものが減る。この対策の方が重要」とした。
 この他、つぎのような意見があった。
 「私もフリーランスなので、本当に切実な問題」
 「一斉休校そのものが専門家会議や専門家を無視した政策で、実行するリスクとベネフィットがバランスしていない。ベネフィットがないか、限りなく少ない。一方、イベントなどや外出を控える短期的な経済的な損失は計り知れない」
 「子ども対象の学習教室を運営しています。休校に伴い教室も休まざるをえず、スタッフも休みにすると、スタッフの給与も減ります。スタッフは、小学生の親でもなく、仕事を休まざるをえないという対象でもないので、補償が得られません」

給与所得者と自営業やフリーランスの差
 以上で述べた問題に関して、給与所得者と自営業やフリーランスの差を痛感せざるをえない。会社に雇われている人は、仮に自宅待機になったとしても、それによって給料を減らされることはないだろう。会社が倒産するのでない限り、所得を保障されている。大企業であれば、まず大丈夫だろう。
 しかし、自営業者やフリーランスは、これとはまったく違う状況に直面している。直接に所得がなくなってしまうのだ。
 資金繰りに対処できなければ倒産してしまう。それが連鎖的に影響を及ぼすということもありうる。
 観光業が深刻な問題に直面しているが、問題に直面しているのは、観光業だけではない。
 株価が大きく下がっている。しかし、これは大企業の状況を表す指標だ。中小零細企業や個人事業の状況はもっと深刻だ。
 コロナウイルスが経済に与える影響として、生産がどの程度減るかとか、GDPがどの程度減るかなどが、普通は議論される。しかし、これらはマクロの数字だ。前述したような問題、つまり、組織として仕事をしているか個人として仕事をしているかの差は、考えられていない。
 私は、人々が組織に依存することから離れて、独立して働くことが望ましいと考えていた。しかし、このような異常事態に直面すると、考え込まざるをえない。


★ World Bank, "Evaluating the Economic Consequences of Avian Influenza."

これは、2006年に公表された以下の論文をアップデートしたものだ。

Warwick J. McKibbin, and Alexandra A. Sidorenko, "Global Macroeconomic Consequences of Pandemic Influenza."



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