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『中国が世界を攪乱する』全文公開:終章の2

中国が世界を攪乱する』が東洋経済新報社から刊行されます。
・5/7(木)~5/20(水)電子書籍版の先行販売(3割引)
・5月22日(金)に全国の書店で発売します。

これは、終章の2全文公開です。

2  カミュの『ペスト』が提起した問題こそ、最重要

カミュの『ペスト』がいまの日本と重なる
 中国から広がった新型コロナウイルスの感染が、日本を含む世界各国に拡大し、予断を許さない状況になっている。
 この状況の中で、多くの人が、アルベール・カミュの『ペスト』を思い出したようだ。
 この小説は、日本で突然ベストセラーになって、品切れになってしまった。
 ここに描かれた状況が、コロナウイルスの感染が広がるいまの世界と重なってしまうからだろう。
 あらすじを紹介すると、つぎのとおりだ。
 小説の舞台は、アルジェリアのオラン。そこで突然ペストが発生した。
 医師リウーは、感染の初期の段階でこれがペストであると考え、県庁に保健委員会を招集してもらう。しかし、知事は、真剣に対応しようとしない。輿論を不安にさせないことを最優先に考えているのだ。
 そうしているうちに死者が急増し、市は突然閉鎖されて、外界から遮断される。
 あらゆる試みは挫折し、ペストは拡大の一途をたどる。つぎつぎと人命が奪われていく。後手後手に回る行政の状況は、コロナウイルスでの各国とそっくりだ。
 しかし、この小説の目的は、行政の対応の鈍さを批判することではない。


自分の職務を果たすこと
 この小説を読んで感動するのは、極限状況の中で、強制されるのではなく、自らの自由な意思で、敢然と疫病に立ち向かっていく人々が現れるからだ。
 タルーは、「数週間前からオランに居を定め、大ホテルに住んでいる」人物。志願の保健隊の結成を医師リウーに提案する。
 役人グラン、神父パヌルー、脱出を断念した新聞記者ランベールも協力する。ランベールはパリに暮らす若い新聞記者だが、取材に来ていたときにペストの流行に遭って、街に閉じ込められてしまったのだ。
 彼らは、あらゆる努力を傾けて、ペストとの絶望的な闘いを続ける。
 彼らを支えたのは、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感だ。
 タルーは、リウーに「なぜ、あなた自身はそんなに献身的にやるんですか? 神を、信じていないと云われるのに?」と問う。リウーはそれに対して「僕は自分としてできるだけ彼らを護ってやる、ただそれだけです」と答える。
 リウーはまた、ランベールに対して、「ペストと闘う唯一の方法は誠実さということです」「つまり自分の責務を果たすことだと心得ています」と言う。
 グランは、「なんらヒーロー的なものをもたぬ男」だが、保健隊の幹事役を務める。
 血清が作られて、予審判事オトンの幼子に試される。しかし、それは幼子の病状を改善することはなく、苦悶の中での死をもたらした。
 罪なき子の死に直面した神父パヌルーは動揺。
 医師リウーは、「子どもたちが責め苛まれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死ぬまで肯んじない」と言う。これは、ドストエフスキイ『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンが発したのと、寸分変わらぬ宣言だ。
 リウーは、心の平和に到達するためにとるべき道について、何かはっきりした考えがあるか、とタルーに尋ねる。「あるね。共感ということだ」とタルーは答える。
 タルーは言う。「人は神によらずして聖者になりうるか──これが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」。


「ペスト菌」は、ナチズムの暗喩
 猖しよう獗けつを極めたペストは、突然潮が退いたように終息した。そうなってからのちに、タルーがペストに倒れる。そして、町の外にいて病気療養中だったリウーの妻が死去したとの知らせが届く。
 この小説の最後は、ペスト終息の祝賀祭が開かれる晩の風景だ。遠くに花火が打ち上げられるのが見え、人々の楽しいざわめきが伝わってくる。
 この場面は大変感動的だ。少し長くなるが、宮崎嶺雄訳(『カミュ著作集2』、新潮社、1958年)を引用しよう。
 
    しかし、彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とその飽くなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そして恐らく、すべての人々―聖者たりえず、天災を受け入れることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼等の個人的な分裂にも拘わらず、更にまたやり遂げねばならなくなるであろうこと、についての証言でありえたに過ぎないのである。
 事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦がつねに脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである―ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。

 
『ペスト』は、第二次世界大戦時にドイツ軍に占領されたフランスの隠喩だといわれる。

 「ペスト菌が決して死ぬことも消滅することもない」というのは、ナチスが崩壊しても、それと同じようなものが再び現れることへの警告なのだ。

コロナウイルスはいつかは終息するが……
 コロナウイルスの感染がいつ終息するのか、現時点では見通しがつかない。しかし、疫病は、いつかは止まる。人類は、何度もパンデミックに見舞われたが、それらは、必ず終息した。スペイン風邪ですらそうだ。多数の人が犠牲になったのは事実だが、人間の社会がウイルスによって崩壊してしまうことはない。
 経済に対する影響はしばらくの間は残るし、人によっては、極めて大きな損害を受けるだろう。だが、経済の動揺もいつかは収まるだろう。第1章で述べたように、中国経済に対する影響は甚大だろうが、中国の長期的成長がこれによって影響されることはない。
 しかし、カミュがペスト菌によって喩えた全体主義体制は死なない。
 コロナウイルスは、「国家体制と疫病」という重大な問題をわれわれに突きつけたのだ。

管理国家だから封じ込められるのか?
 本章の1「医師の警告を活かせなかった中国国家体制の重大な欠陥」で、医師の警告を活かせなかったのは、中国の国家体制の重大な問題点だと述べた。
 そして、「この問題を契機として、中国でも言論の自由化が進まないか」と言った。
 しかし、残念なことに、現在までのところ、その兆候はない。それどころか、まったく逆の方向に進んでいると考えざるをえない。
 SNSに見られる世論には、微妙な変化が見られると言われる。当初は当局の対策の不手際を指摘する声もあったが、その後は、政府の対応ぶりを賞賛する声が多くなっているという。
 また、韓国、イタリアなど、外国での感染拡大を伝える記事が目立つという。「世界的な感染拡大は、諸外国の失敗だ。中国は感染封じ込め策に成功したが、外国は拡大防止に失敗した」と強調しているわけだ。
 また、「人口が1000万人の大都市を封鎖したり、わずか10日間で病院を造ってしまうようなことは、中国だからこそできる」といった声も増えているという。

プライバシーがなくとも、安全な管理社会の方がよいのか?
 いま述べたことは、中国政府のプロパガンダだと解釈することが可能だ。しかし、この問題は、それだけでは片付けられない、極めて複雑な要素を持っている。
 それを示したのが、感染の可能性がスマートフォンでわかるアプリだ。
 これは「密接接触者測量儀」と呼ばれ、中国国家衛生健康委員会が2020年2月10日に発表したものだ。
 アリペイかウィーチャット、あるいはテンセントQQを用いて、QRコードを読み取る。すると、政府のサーバーに接続されるので、電話番号、氏名、身分証明書番号を打ち込む。
 ユーザーが、コロナウイルス感染患者と接触した可能性があると、警告文が表示される。知人など2名までのIDを入力して調べることもできる。
 公開されてから3時間にならないうちに、500万件のアクセスがあったそうだ。
 患者の居所とアプリユーザーの居所を割り出すには、国家衛生健康委員会の医療データや、鉄道、航空機の乗客に関するデータなどが用いられる。つまり、ビッグデータが利用されているのである。これこそ、中国が築きつつある世界最先端の情報システムだ。
 個人の行動がこれほど詳細にわかってしまうのは、恐ろしいことだ。
 しかし、「では、感染状況がわからないのと、どちらがよいのか?」と問われれば、答えに窮してしまう。これは、非常に難しい問題だ。
 この問題は、信用スコアリングや顔認証などについて述べた問題(第10章)とまったく同じものである。
 これまでは信用がないからできなかった取引が、信用スコアリングによってできるようになった。これは、明らかに望ましいことだ。社会信用システムでは、善行を積む人のスコアが高くなるから、社会をよくするのだと言われる(第12章)。
 顔認証によって個人が特定されても、捕まえられるのは悪い人なのだから、社会の治安を高めるのだと言われる。
 それはそのとおりだろう。
 しかし、それは、国家による管理と裏腹なのだ。「密接接触者測量儀」も、まったく同じだ。
 この問題は、決して簡単に答えが出るものではない。
 しかし、自由と安全のどちらをとるのかという極めて困難な問題から、われわれは顔をそむけることはできない。

日本人は、中国型の「ハードな対応」を望んでいない
 コロナウイルスの問題について、私はnoteというウェブサイトで、3月始めから数回のアンケート調査を実施した。ここに、その一部を紹介したい。
 「コロナウイルスに対して政府がなすべき施策に関するアンケート調査」(3月4日)については、83件の回答が寄せられた。
 圧倒的多数の回答が、「医療支援:検査・治療体制の充実」(全回答中の71・1%)と「状況の正確な把握と情報提供」を求めていた(同67・5%。複数回答可としたため、比率の合計が100%を超える)。
 これに続いて、「所得喪失者の援助」(39・8%)、「金融支援(資金繰り対策)」(38・6%)があった。
 これに対して、景気対策・金融緩和を求める意見は、15・7%しかなかった。もし現政権が株価対策に走るなら、多くの国民の離反を招くだろう。
 コロナ対策での究極的な選択は、「疫病の拡大を防ぐために、私権の制限がどれだけ認められるか」だ。
 日本では、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正案が成立し、それに基づいて「緊急事態」の宣言が出された。
 これに先立つ3月6日に、この問題に関するアンケートを実施し、120件の回答を得た。
 改正案については、「賛成」が33・9%、「反対」が66・1%だった。また、「緊急事態宣言」に対しては、「賛成」が27・7%、「反対」が72・3%だった。
 このように、約3分の2が、改正にも宣言にも反対の立場だ。
 この問題に関する自由回答では、非常に多数の意見が寄せられた。その中では、強い反対意見の表明が大部分を占めた。
 現政権を信頼できないとする意見を、強い言葉で表明する意見が数多くあった。
 また、中国型対応との差を意識して指摘する、つぎのような意見もあった。
 すなわち、「(1)個人の権利や自由を侵害してもなすべき対応策があるとするのか、それとも、(2)日常生活を続け、社会・経済・文化活動を阻害したり心理的ストレスを増やさないように努めるか、の選択がある」とし、「(1)のような中国型の『ハード』な対応ではなく、(2)を選び、重症化した患者のためのセーフティーネット作りと情報の透明性を保つことに力を注ぎ、市民権を重んじる『ソフト』な対応策をとるべきだ」との意見だ。
 これに対して、「安全のためには私権制限やむなし」と認める意見は、あったものの、少数派だ。


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