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『アメリカはなぜ日本より豊かなのか』     全文公開:はじめに

 『アメリカはなぜ日本より豊かなのか』(幻冬舎新書)が8月28日に刊行されました。
 これは、はじめに全文公開です。

はじめに

 アメリカはなぜ豊かなのか?
 これは、50年以上にわたって私が抱き続けてきた疑問である。
 1969年のその日のことを、いまでも鮮明に覚えている。私は、見てきたばかりのティファナの様子を思い出して、この問いを繰り返していたのだ。
 ティファナは、アメリカとの国境に接したメキシコの町。カリフォルニア州から高速道路で国境検問所を通過した途端に、道路は狭く、舗装も不完全になる。立ち並んでいるのは、みすぼらしい建物ばかり。その年に人間を月に送り込んだほど豊かなアメリカとは、全く別世界だ。
 国境を越えただけで、なぜこれほど大きな差が生じてしまうのか?
ティファナの地理的条件はカリフォルニアとほとんど同じだから、気候や土地の肥沃さなどの自然条件の違いが原因ではない。では、何が原因なのか?
 実は、「アメリカはなぜ豊かなのか?」とは、ティファナを見てから抱いた疑問ではない。当時の私は留学生だったが、着いたその日から、目も眩くらむようなアメリカの豊かさに圧倒されていた。そして、「アメリカはなぜ日本より豊かなのか?」と、問い続けていたのだ。
 教室で見るアメリカ人の学生たちは、さほど優秀とは思えなかった。だから、これは国民一人ひとりの能力の差がもたらしたものではない。国民の能力に差がないのに、国の豊かさになると、なぜこれほどの違いが生じてしまうのか?
 その原因は、アメリカという国の政治や企業などの仕組みにあるとしか考えようがない。それが人々の能力を最大限に発揮させる働きをしているのだろう。
 「国境を越えただけで、大きな差が生じる」と述べたが、「国境を越える」ことこそが、違いをもたらすのだ。自然条件ではなく、社会の仕組みの違いこそが重要なのである。
 では、具体的には、それはどのようなものか? この疑問を、私は考え続けた。たどり着いた答えは、55年前に漠然と考えていたことと同じだ。
 その具体的な内容を、本書の以下の章で述べる。抽象的に言えば、「アメリカの豊かさの源泉は、異質なものへの寛容と多様性の容認」ということだ。
 本書はアメリカとの比較によって、日本の現在と将来を考える。こうしたアプローチをとるのは、アメリカ社会を支えている理念との関係で、日本社会を見直す必要があると考えるからだ。

 世界中の人々が、2024年11月のアメリカ大統領選挙を強い関心を持って見守っている。誰がアメリカ大統領になるかによって、自分たちの生活や仕事が大きな影響を受けるためだ。ウクライナやパレスチナなど戦争・紛争地域の人々にとっては、生活の条件が基本から変わることがありうる。
 全世界の人々に大きな影響を与える国を「覇権国」(hegemon)と呼ぶことにすれば、現代世界における唯一の覇権国がアメリカ合衆国であることは、間違いない。
 アメリカが覇権国である理由は、アメリカが豊かな国である理由と同じだ。それは、異質なものを認める「寛容」である。多くの歴史家が指摘するように、寛容こそが、古代ローマから続く覇権国の条件なのだ。
 しかし、まさにこの点を否定するのが、ドナルド・トランプ前大統領だ。アメリカは、この点をめぐって、かつてないほど激しい世論の分裂に直面している。世界がアメリカ大統領選挙を注視するのは、このためだ。

各章の概要
 第1章では、アメリカと日本の報酬の格差を見る。一人当たりGDPで見れば、アメリカは日本の2.2倍程度豊かだ。しかし、専門家の報酬を見ると、アメリカは日本の7.5倍程度にもなる。

 第2章では、アメリカには新しい産業が登場するが、日本は古い産業構造から脱却できないことを見る。アメリカでAI(人工知能)を中心にする新しい経済構造が構築されつつあるのに対して、日本ではそうした活動が起こらない。こうなる基本原因は、高度専門家の教育体制にある。
 世界が半導体ブームに沸いているが、日本は、一部の企業を除けば、最先端の半導体生産からは大きく立ち後れている。

 第3章では、円安で日本が衰退したことを見る。円安になると、日本円に換算した売上額は増加する。原材料価格の上昇分は売上げに転嫁されるため、企業の利益が増加する。このため株価が上がり、歓迎される。しかし、日本企業は、円安による利益増に安住して、技術開発の努力を怠った。
 日本の経済が停滞する基本的な原因は、デジタル化を実現できないことだ。これは、日本社会の基本的な構造に起因する現象だ。

 第4章では、賃金と物価の問題を分析する。春闘賃上げによって「賃金と物価の好循環が実現した」という見方が強まっている。しかし、重要なのは、賃金を上昇させるメカニズムだ。生産性の上昇を伴わない賃金上昇は、コストプッシュインフレをもたらす危険がある。
 日本経済を衰退させた基本的原因は、長期にわたる低金利政策によって、生産性の低い投資が行なわれたことだ。この状態を変えるために、金融正常化が必要だ。

 第5章では、アメリカの強さの基本は、多様性の容認にあることを指摘する。アメリカの科学・技術は、外国からの移民が切り開いた面が大きい。とりわけ顕著だったのが、第二次世界大戦時にヨーロッパから来た科学者の貢献だ。IT(情報技術)革命も、中国人とインド人によって実現された。この動きは現在に至るまで続いている。

 第6章では、中国とアメリカの関係を見る。工業化に成功した中国は、その後、IT革命にも成功し、ごく最近まで、デジタル技術でアメリカに肉迫しつつあるように見えた。これを先導したのが、BATと言われる企業群だ。
 しかし、習近平政権の強圧的政策により、こうした経済活動が弾圧されている。中国は、アメリカのような覇権国家にはなりえないことが明らかになった。

 第7章では、トランプ前大統領復活の可能性について考える。アメリカへの不法移民の急増は、社会的な混乱をもたらし、大統領選の最大の争点になっている。
 しかし同時に、労働力の供給を増やし、インフレを緩和させる効果を持つことも注目されている。トランプ氏が再選されれば、アメリカは、その強さの源泉である「寛容性」を捨て去ることになる。

2024年5月 野口悠紀雄



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