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『超「超」勉強法』潜在力を引き出すプリンキピア 全文公開 はじめに

『超「超」勉強法』(プレジデント社)が3月31日に刊行されました。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに

人間だけが「勉強」で運命を変えられる

「超」勉強法の3原則

 本書は、勉強の方法について述べています。
「どのような方法で勉強するか」は、きわめて重要です。正しい方法で勉強しないと、いくら時間をかけても良い成績をあげることができません。
 例えば、「数学の問題の解法は自分の頭で考え出せ」と言われるのですが、この教示は誤りです。
 初めて出会った数学の問題を、自分の力だけで解こうとしても、できません。すると、「解法を考え出せないのは、私の能力が低いからだ」と落ち込み、数学が恐ろしくなり、成績が悪くなります。こうして、数学嫌いが大量に生産されるのです。「自分の頭で考えよ」は、最悪のアドバイスです。

 本書は、「数学の問題は、解き方を覚えて、それに当てはめればよい」としています。数学は暗記だと割り切れば、成績が上がり、数学が好きになります。そして、ますます勉強します。
 もう一つのポイントは、平板に勉強せず、重点的に勉強することです。勉強する対象のどれもが、同じように重要なわけではありません。そこで、幹と枝を区別し、重要なことに集中すべきです。成績が良い学生とは、この勘所が分かっている学生です。そして、重要な箇所を重点的に勉強している学生です。
 本書はさらに、「基礎から一歩一歩進むべきだ」という方法にも異議を唱えています。数学で基礎ばかりやっていても、興味が湧きません。それよりは、「ある程度理解したら、先に進んだほうがよい」と主張します。部分を積み上げて全体を理解しようとするのでなく、全体を把握してから部分を理解したほうがよいのです。
 英語の勉強も同じです。単語を覚え、文法でそれを組み立てるという方法ではなく、文章をひたすら丸暗記すべきです。つまり、英語を構成する「部分」である単語から出発するのでなく、最初から、文章によって「全体」を把握するのです。これも、普通に行なわれている勉強法とは違います。しかし、文章を丸暗記しない限り、外国語を習得することはできません。

 以上で述べたことをまとめれば、つぎのようになります。

1.問題の解き方を覚えて、それを当てはめる。
 2.平板に勉強するのでなく、重要なところに努力を集中する。
 3.全体を把握して、部分を理解する。英語は文章を丸暗記する。

 この勉強法は、私自身の経験から導き出したものです。私は、こうした勉強法が最も強力なものだと強く信じています。
 ただし、これは通常いわれている勉強法とはかなり異質のものです。このため、「超」勉強法と称しています。右の原則は、「超」勉強法の3原則として、第7章で再論します。
 本書は、主として学校での勉強を想定し、どうしたら良い成績を取れるか、そして入学試験に合格できるかを示しています。
 ただし、「超」勉強法の有効性は、学校での勉強に限ったものではありません。社会人が勉強する場合にも、基本的な指針になります。資格試験のための勉強や、リスキリングにおいても偉力を発揮します。

 成績が悪いと、「勉強は敵だ」と思うようになります。勉強は辛いものであり、嫌いだけれどもやらなければならない義務だと考えます。それによって、ますます成績が悪くなります。
 しかし、3原則に従った勉強をすることによって、成績が上がります。そして、勉強は苦しい義務ではなく、楽しいものになります。勉強は最も力強い味方だと実感できるようになります。それによって勉強がさらに進みます。
 社会に出てからの仕事では、成果はさまざまな要因によって左右されるため、努力をしたのに成果が上がらないこともしばしばあります。運に左右されることもあります。しかし、勉強の場合には、結果が運に左右されることはほとんどありません。「超」勉強法の原則に従って勉強をすれば、確実にリターンがあります。勉強で得られる成果は、努力によって確実に獲得できる最大のものです。

 私は、1995年に『「超」勉強法』(講談社)を上梓しました。数学が暗記だとか、英語の文章を丸暗記すべきだということは、ここで述べたものです。
 この本は、幸いにして多くの方に読んでいただくことができました。そして、刊行後ずいぶんたってからも、「この本のおかげで受験に成功できた」という経験談を何度も聞くことができました。私の提唱した方法が、多くの方々の人生に役立ったのです。これほど嬉しいことはありません。

 ところで、この本を書いたときから、勉強を進めるための技術は大きく変わりました。とりわけ変わったのは、情報を入手する方法です。インターネットを通じて情報を得ることが、飛躍的に容易になりました。
 こうした変化にもかかわらず、「超」勉強法の有効性は変わりませんでした。むしろ、ますます強まったと、私は考えています。
 この経験を通じて、「超」勉強法は技術の変化を超えて正しいものであると、私は確信しています。「超」勉強法の方法論は、知的活動の本質的な部分を捉えたものだと自負しています。だから、何度でも強調すべきものだと考えているのです。
 本書は、『「超」勉強法』の基本的方法論を受け継ぎ、その後の経験を踏まえて、それを拡張したものです。

勉強によって、生まれたときの運命を克服できる

 人間以外の動物は、生まれたときに運命を決められています。努力によってそれを克服するのは、まったく不可能といってよいでしょう。
 人間の場合も、生まれたときの条件は人によって大きな違いがあり、それが人生に大きな影響を与えることは、間違いありません。しかし、人間は努力することによって、運命を変えることができます。努力の中で、勉強は最も重要なものです。人間は、勉強によって、生まれたときの条件を克服できるのです。勉強こそが、人間に無限の可能性を与えてくれます。勉強こそが、人間を他の動物とはまったく異なる存在にしているのです。
 貧しい家庭に生まれながら、勉強によって国家の指導者になったベンジャミン・フランクリンやエイブラハム・リンカーン、やはり貧しい家庭の生まれで満足な学校教育を受けられなかったが、独学で勉強を続け、事業に成功したアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・フォードなど、いくらでも例を挙げることができます。こうしたことが実現する社会は、健全な社会です。人々が勉強を通じて能力を高められることは、社会の発展にとって不可欠の条件です。

 私たちの世代には、経済的理由で大学進学を断念した者が大勢います。その人たちの無念を、私はよく知っています。そうしたことがある社会は、「悪い社会」です。
 その後、日本は豊かになり、経済的理由で進学を断念せざるをえないケースは、大きく減りました。大学に進学する機会も、多くの人に与えられています。貧しい家庭に生まれても、教育の機会を活用して自分の能力を高め、無限の可能性を追求できます。経済的理由で大学に進学できなくとも、独学で勉強して資格試験などに挑戦し、新しい進路を切り開くことができます。
 ところが、今度は、子供たちが親から勉強を押しつけられるようになってしまいました。つまり、勉強は、辛いけれどもやらなくてはならない義務になってしまったのです。
 こうなると、子供たちは逃げたくなります。経済的に恵まれた家庭に生まれ、望めばいくらでも勉学を続けられるにもかかわらず、勉強は嫌だと言って遊び呆けている若者もいます。こうした人たちを見ると、私は、大きな憐れみと強い憤りを覚えざるをえません。
 勉強こそが人間に与えられている最大の贈りものであることに、ぜひとも気づいてください。

* * *

 本書のタイトルに使っている「プリンキピア」ですが、これは、ニュートンの(あるいは、ホワイトヘッド、ラッセルの)『プリンキピア・マテマティカ』Principia Mathematica(数学的原理)からの借用です(正確には、アイザック・ニュートンの著書は、Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica 。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルの著書は、Principia Mathematica)。
 およそ本を書いている者であれば誰しも、「タイトルにいつかプリンキピアを使ってみた
い」と夢見ているでしょう。しかし、それは大それたことだと、自粛します。私もそうでした。
 しかし、最近の日本では、タイトルに「大全」を名乗る書籍が増えているではありませんか。それなら「プリンキピア」を使うことも許されるかと考え、臆面もなく借用した次第です。

 本書の刊行にあたっては、株式会社プレジデント社の村上誠氏、株式会社マーベリックの大川朋子氏にお世話になりました。御礼申し上げます。
 本書は、2021年6月から2022年5月まで未来ネットで行なったオンライン講座『野口悠紀雄の小中高生に語る「超」勉強講座』を出発点としています。貴重な機会を与えてくださった未来ネットの故濱田麻記子氏に感謝します。
 また、本書の一部は、「現代ビジネス」「ダイヤモンド・オンライン」に公開した記事を元としています。これらの掲載にあたってお世話になった方々に御礼申し上げます。

2023年2月
野口悠紀雄


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