『ブロックチェーン革命[新版] 分散自律型社会の出現』はじめに
『ブロックチェーン革命[新版] 分散自律型社会の出現』が、日経ビジネス人文庫から刊行されました。
・8月5日(水)から全国の書店で発売されています。
これは、はじめに の全文公開です。
はじめに
人が新しい技術に出会ったときの反応は、それがどんなものであれ、つぎの3つの段階を経る。
第1段階。こんなものはまやかしだ。こんな凄いことができるのなら、世界はひっくり返ってしまう。だから、これはインチキでペテンだ。悪質な詐欺かもしれない。誰かが、ひと儲けを企んでいるのだろう。引っかかったら、後で大変な目にあう。クワバラ、クワバラ。賢い人は、こんなものには手を出さない。
第2段階。ひょっとすると、何か大変なことが起きているのかもしれない。うまく対応しないと、後れをとる。気の早い連中はすでに走り出しているから、私もじっとしてはいられない。しかし、この得体の知れないものは、一体何なのだ?
第3段階。このすばらしい技術は世界を変えた。私が最初から考えていたとおりだ。
1903年、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功した。本書冒頭のエピグラフに引用したのは、その2年前の01年、キティホークからデイトンに帰る列車の中で、ウィルバーが弟のオーヴィルに言った言葉である1。飛行機の場合、第1段階においては、開発者自身ですら弱音を吐いていたのだ。
それも当然。飛行機はあまりに画期的な技術だったので、飛行実験が成功した後でさえ、人々はこのニュースを信用しなかった。大学教授をはじめとする科学者たちは、「機械が飛ぶことは科学的に不可能である」というコメントや論文を発表した。
インターネットについていえば、90年代の初めが第1段階だった。地球のどこにでもほぼ無料で情報を送れるというが、そんなことが実際にできれば世界はひっくり返ってしまう。だからそんなことは起こり得ない。人々はそう考えた。クリフォード・ストールは、『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社、97年。原書は95年刊行)の中で、インターネットが実用になることなどあり得ないとして、いくつもの証拠を挙げている。
90年代の末から2000年代の初めに、インターネットは第2段階に入った(95年にインターネットは日本で流行語大賞を獲得した)。現在は第3段階だ。社会は実際にひっくり返った。
ブロックチェーンやビットコインについて言うと、ついこの間まで第1段階だった。
この段階において、ビットコインがなぜまやかしかについて、飛行機がなぜ飛べないかという論証と同様に、さまざまな科学的解説がなされた。
最も分かりやすいのは、「中央銀行のような管理主体がなければ、通貨は機能し得ない」というものだ。「ところで、ビットコインには管理主体がない。したがって、それは機能し得ない」という論理である。
コンピューター・サイエンスを勉強した人であれば、つぎのように説明しただろう。「互いに信頼できない人々が形成するコンピューター・ネットワークが機能し得ないことは、『ビザンチン将軍問題』として知られている。この問題を解決する方法は存在しない。したがって、ビットコインの仕組みは成立し得ない」。
ブロックチェーンが第1段階にあった2014年の2月20日、私は、「ビットコインは社会革命である。どう評価するにせよ、まず正確に理解しよう」という連載を『ダイヤモンドオンライン』で開始した。
その直後の2月23日、ビットコインの取引所であるマウントゴックスが破綻した。多くの大新聞が1面トップで、「ビットコインは破綻した」と報道した。この数日後、ある人は、ニヤニヤしながら現れ、「やっぱりビットコインは偽物でしたね」と得意顔で言った。私はビットコインは死んでいないと説明したのだが、納得してくれなかった。
よくよく考えれば分かるように、この記事を書いた人たち、そしてそれを信じた人たちは、「ビットコインを盗んだ人は合理的でない行動をした」としているのである。なぜなら、合理的な泥棒は、価値がないものは盗まないからだ。より正確にいえば、「盗むことによって価値がなくなってしまうようなもの」は盗まない。これは、私が「泥棒の基本法則」と名付けているものである。ビットコインを盗んだ人は、「ビットコインを盗んだところで、ビットコインは破綻することはなく、したがってその価値には何の影響もない」と知っていたから盗んだのだ。言い換えれば、マウントゴックス事件は、ビットコインの脆弱性を示したのではなく、その強靭性を示したのである。
ともあれ、この事件以降、何人もの友人たちから、「アベノミクスの批判をするのは構わないが、ビットコインのようないかがわしいものに関わっていると信頼を落とす。ぜひやめるべきだ」と忠告を受けた。
実際、私は胡散臭い目で見られていたようだ。その証拠に、ある週刊誌の記者から、「破綻したビットコインを、破綻していないとあなたが言うのは、関連事業に投資をしているからだろう」と探られた(このことがあったので、利害関係者との疑いを持たれないよう、私は未だにビットコインを保有していない)。その週刊誌の目次タイトルは、私が「(ビットコイン破綻について)言い訳をしている」というものであった。
比較的最近のことだが、ある大新聞のインタビューがあった。やっとブロックチェーンの重要性を認識してくれたかと、喜び勇んで長々と説明したが、記事には、私がブロックチェーンの将来性について「真顔で語った」とあった。
否定的な評価は、外国でも同じだった。JPモルガン・チェースのCEOであるジェイミー・ダイモンは、ビットコインは、17世紀のオランダで起こったチューリップ球根バブルのようなものだと嘲笑した。投資銀行のゴールドマン・サックスは、14年3月の報告書で、「ビットコインは通貨ではない。その信奉者は頭を冷やして出直すべきだ」とした2。
ところが、この2年の間に、世界は大きく変わってしまったのだ。
『仮想通貨革命3』を書いたときに、「現在では夢のような話にすぎない」として紹介したことが、いまは実際に動いている(これは、「ビットコイン2・0」とか「ブロックチェーン2・0」といわれるものである。これについては、本書の第8章、第9章で説明している)。変化は予想以上に急速だ。
ブロックチェーン導入の取り組みが進んでいるとのニュースが外国から入ってくるため、日本でも、この1年程度の間に、状況が大きく変わった。特に金融業では、この技術の導入に向かって雪崩現象が起きている。日本も第2段階に入ったようだ。
「黒船」と言うのはあまりに言い古された表現だが、「黒船が水平線上に姿を現し、太平の眠りを覚まそうとしている」と人々が認識し始めたのは間違いない(黒船というよりは、宇宙のどこかからやってきたエイリアンに譬えるほうが適切だと、私は思っている)。
ただ、社会全体の認識はまだ低い。当然のことだが、あまりに革新的なので、理解されていない。つまり、まだ第3段階には至っていない。
また、第2段階に特有の現象として、混同がある。
いま金融の世界では、フィンテックと呼ばれる技術革新が話題を集めている。これは、第4章で説明するように、モバイル決済や、インターネットを通じた資金調達などの新しいサービスだ。日本では、フィンテックに対する関心は、異常ともいえるほど高まっており、「フィンテック」という言葉は流行語になっている。
金融の世界に大きな変化が起きているのは事実だ。しかし、さまざまなものが同時に進行しているので、どれが重要でどれが重要でないかが、識別されていない。具体的には、在来技術型のフィンテックと、ブロックチェーン技術利用型のフィンテックがまったく異なる次元のものであることが、正しく理解されていない。革命を起こすのは、前者ではなく、後者だ(この区別については、第1章の4で述べる)。
私は、ブロックチェーン以外のフィンテックを否定するものではない。それらは、生活を便利にするだろう。しかし、それらは、パラダイムの変革をもたらすような技術革新ではないのだ。
また、ブロックチェーンには、2つの異質なものがある(第3章の2で説明するパブリック・ブロックチェーンとプライベート・ブロックチェーン)。これらの間には大きな違いがあるのだが、そのことは、ほとんど意識されていない。
私は、『仮想通貨革命』の「はじめに」で、「これは反乱ではありませぬ。これは革命です」という言葉を引用した(フランス革命が勃発したその日に、リアンクール公爵がルイ16世に向かって言った言葉)。
飛行機が革命であったように、そしてインターネットが革命であったように、ブロックチェーンも革命だ。それはパラダイムの変革をもたらす。つまり、世の中をひっくり返す。
ただし、フランス革命がそうであったように、革命が始まった段階では、それが社会を良い方向に持っていくのか、悪い方向に持っていくのかは、分からない。飛行機は、地球上のどこにでも短時間で到達できることを可能にした半面で、初飛行から10年少々しかたたぬ第一次世界大戦においてすでに、強力な兵器として利用されていた。
インターネットは社会を変え、経済をリードする主役の交代をもたらした。しかし、当初予想されたように社会がフラット化することはなく、少数の大企業が世界を支配するようになった。
なぜこうなったのか? この問題は、終章で論じられる。最も本質的な理由は、インターネットの世界では、何が正しいデータかを確かめることが容易でなかったために、小組織や個人が信頼を確立することができなかったからだと、私は思う。組織が大きいことが人々の信頼の基礎になったのだ。
ところが、ブロックチェーンは、組織に頼らずに、何が正しいかを立証することを可能とした。それが実現することにより、社会が大きく変わる。
そうなれば、組織に頼らずに、個人の力を発揮できる社会が実現する。経済活動の効率が上がるだけでなく、組織のあり方が変わり、人々の働き方が変わる。そして、人々が直接に連絡し、取引する社会が実現する。
しかし、正反対の可能性もある。銀行などの大組織が、プライベート・ブロックチェーンを利用して、効率性を高める可能性だ。この場合には、信頼はブロックチェーンが確立するのでなく、組織が保証することになる。したがって、大組織が社会を支配する構造が続く。
通貨についていえば、この方向の極限は、中央銀行が仮想通貨を発行して経済をコントロールする体制だ。それは、ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いたビッグ・ブラザーの世界だ。この問題は、第5章の4で論じている。
つまり、ブロックチェーンが引き起こす社会変化として、大きく異なる2つのものがあり得るわけだ。どちらが実現するかは、これから決まる。われわれは、いま大きな岐路に立っている。変化の方向に影響を与えるためには、正しい理解が必要だ。
本書は、このような問題意識から書かれている。そのため、ブロックチェーンの技術面についての説明にとどまることなく、それが具体的にどのように利用されるかを説明している。金融以外の用途についても詳しく取り上げる。そして、ブロックチェーンが社会構造に与える影響を強調している。
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本書には、『ダイヤモンドオンライン』『週刊ダイヤモンド』に掲載した記事をもととしている部分がある。利用を許可してくださったダイヤモンド社の方々に御礼申し上げたい。
本書は、企画の段階から、日本経済新聞出版社エディター田口恒雄氏にお世話になり、草稿の段階から有益なコメントをいただいた。御礼申し上げたい。
2020年8月
野口悠紀雄
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