『生成AI革命』全文公開:はじめに
『生成AI革命』(日経BP 日本経済新聞出版)が1月19日に刊行されました。
これは、はじめにの全文公開です。
はじめに
革命はもう始まっている
ChatGPT など「生成AI」と呼ばれる新しい技術が登場し、利用が急速に広がっている。AI(人工知能)が人間の自然言語を理解し、人間の質問や指示に対して自然言語で的確な答えを返せるようになったのだ。
この活用によって、人間の知的活動は、これまでとはまったく違うものになる。これは、人類の歴史における大きな分岐点となる変化だ。
「生成AIのなかった世界」がこれで終わりになる。そして、「生成AIのある世界」が始まる。革命はもう始まっており、これを押しとどめることはできない。
機械やコンピュータによって人間の仕事が代替されることは、これまでもあった。しかし、生成AIがもたらす変化は、それらとは大きく異なる。
第一に、これまでの技術が主としてブルーカラーの仕事を自動化したのとは違い、生成AIの最も大きな影響は、ホワイトカラーの、それも知的に高度な仕事に及ぶ。活版印刷術やインターネットがもたらしたのと同じような変化が、これから大規模に生じる。ホワイトカラーの仕事が、これまでと同じような内容と形態で、今後も続くことはありえない。
第二に、生成AIは、特定のタスクだけを自動化するのではなく、さまざまな仕事を自動化する。一般的な用途を持つ技術をGPT(General Purpose Technology:一般汎用技術)と呼ぶのだが、ChatGPT は、まさしくGPTなのだ(注1)。だから、間接的効果も含めれば、誰もがその影響から逃れることはできない。
ただし、現時点では、その機能は完全ではない。とくに、「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる現象によって、誤った答えを出す。だから、生成AIの答えを完全に信頼して利用することはできない。このため、実際の用途は大きく制限される。それでもなお、利用可能性は大きい。また、ハルシネーションは将来解決できる可能性もある。そうなれば、影響は計り知れない。
両極端のシナリオがある
本書の目的は、「生成AIがある社会とは、どのようなものか?」を予測することだ。そして、それは生成AIがなかった世界に比べてより良い社会なのか、それとも悪い世界なのかを評価する。つまり、生成AIが経済活動と社会にもたらす影響を分析する。
両極端のシナリオが考えられる。第一は、作業が自動化される結果、生産性が向上し、豊かな社会が実現されるケースだ。つまり、生成AIは、ユートピアを実現する可能性を持っている。
しかし、自動化は失業をもたらす可能性が高い。これが第二のケースだ。所得分配がどうなるかわからない。平等化する可能性もあるが、格差が拡大する可能性もある。つまり、生成AIがもたらす社会は、ディストピアでありうる。
実際には、ユートピアとディストピアの両者が混在して実現することもありうる。ある人にとっては、夢を実現できるユートピアの世界となるが、ある人は職を失ってディストピアに突き落とされるというケースだ。このように、生成AIがもたらす影響は、非常に複雑なものとなりうる。最低限言えるのは、ホワイトカラーであるかぎり、誰もが大きな影響を受けることだ。多くの人々が、自分の仕事は大丈夫だろうかと、不安を抱いている。
しかも、問題は、ホワイトカラーの仕事だけではない。社会のあり方が根底から覆されてしまう可能性がある。本文で詳しく見るように、生成AIの用途は、事務処理の効率化だけでなく、カスタマーサービスやマーケティング、研究開発、さらには企業の意思決定にまで及ぶ。企業がこれらの分野でどのように生成AIを用いるかによって、人々の働き方は大きく変わる。
生成AIが採用されると、仕事の内容がこれまでとは大きく変化するだろう。したがって、企業組織の再編と従業員のリスキリングが必須になる。経営者の再教育も必要だ。これらは、決して簡単な課題ではない。しかも、個人が努力してリスキリングしても、仕事を失う可能性がある。
以上のような事態に関して、政策や制度の対応が重要な意味を持つ。変化があまりに大きいため、社会は対応できないかもしれない。そうすると、深刻な問題が発生する危険がある。社会的な不安が高まる危険もありうる。生成AIが生産性を高めて、省力化と経済拡大の好循環が発生することを期待したい。しかし、実際には、経済は拡大せず、新しい技術が失業を増加させるだけの結果になってしまうことが危惧される。
これは世界のどの国も直面する問題だが、日本は格別困難な条件に直面している。第7章で述べるように、生成AIによる自動化によって経済が拡大するか、それとも失業が増えるかは、需要が拡大するか否かに大きくかかっているのだが、日本の場合には、全般的な経済停滞のために、需要が拡大しない(したがって、経済拡大でなく、失業増加がもたらされる)可能性が高いからだ。
日本経済全体としては、今後、労働力不足が深刻化すると予想されるため、省力化技術は重要な意味を持つ。しかし、そこで生み出された余剰労働力が人手不足の分野に適切に再配置されるかどうかは疑問だ。また、日本経済は、デジタル化の推進という課題も抱えている。それに加えて、生成AIという巨大な問題に取り組まざるをえなくなった。
以上のような問題があるからといって、変化を恐れて新しい技術を導入しなければ、日本は世界の進歩から決定的に立ち遅れてしまう。
こうした問題があるにもかかわらず、日本企業は、生成AIの影響を、文書処理の効率化程度としか捉えていない場合が多いように見受けられる。また、政策担当者が適切な問題意識を持っているのかどうかも、大いに疑問だ。考えれば考えるほど、日本の将来に危機感を覚える。本書の目的は、こうした事態に対して警告を発することだ。
「いいえ、陛下。これは革命です」
革命が勃発した時点において、その意味を正しく認識できるかどうかは、きわめて大きな差異をもたらす。
1789年7月14日、パリから10マイル離れたヴェルサイユ宮殿において、バスティーユ監獄襲撃の報告を受けたフランス王ルイ16世は、口ごもり、「それは反乱か?(C’est une révolte?)」と言ったそうである(注2)。
知らせをもたらした側近のラ=ロシュフコー=リアンクール公は、「いいえ、陛下。反乱ではありませぬ。これは革命です(Non sire, ce n’est pas une révolte, c’est une révolution.)」と指摘した。
この言葉をルイ16世が正しく理解できたとしたら、そして、すぐさまパリに駆けつけて事態収拾の指揮をとったとしたら、世界の歴史は大きく異なるものになっただろう(注3)。
実際には、国王は、日記帳のその日―現在にいたるまで革命記念日としてフランス国民が祝う日(Quatorze Juillet)―の欄に、「何もなし(Rien)」と記入した。そして、寝てしまった。そして、3年半後の1793年1月21日、ギロチンで処刑された。
◆ ◆ ◆
本書の各章の概要は以下のとおりだ。
「生成AIをどう使っているか? どう使えるか?」ということに、多くの人が関心を抱いている。そこで、第1章では、人々や企業が、いま生成AIをどのように使っているかという「現状」を見る。ここでは、私が行なったアンケート調査の結果をはじめ、いくつかの調査結果を紹介する。ビジネスでの利用は、アメリカでは進んでいるが、日本では進んでいない。
第2章では、「生成AIをどのように使うことができるか?」という「可能性」を見る。生成AIの可能性は、日本で一般に考えられているより、ずっと大きい。ここでは、日本企業で積極的に活用しているケースを見る。また、最先端では、創薬への応用などが試みられていることなどを紹介する。
第3章では、生成AIの最も高度な利用法の一つであるデータ駆動型企業経営について述べる。これに成功するか否かは、将来の企業業績に大きな影響を与えるだろう。しかし、これは、企業の仕組みと密接に関わる問題であり、実現は容易でない。
第4章では、生成AIが、医療関係者や法律関係者などの専門家の仕事に、すでに進出しつつあることを見る。また、アメリカで現実化しつつあるコピーライターの失業問題を取り上げ、仕事の質とコストの問題を考える。
教育は、生成AIによって本質的な影響を受ける分野だ。これについて第5章で考える。この章では、生成AIの事前学習用データの使用料の問題についても考える。
ChatGPT を動かしている大規模言語モデル(LLM:Large Language Models)のメカニズムは複雑だが、これを正しく理解していないと、正しい使い方ができない。とくに、トランスフォーマーモデルの仕組みの基本を理解する必要がある。これについて、第6章で説明する。
第7章では、「生成AIによる作業の自動化が、失業を増やすのか? それとも、経済を拡大させるのか?」という問題を考える。これに関してはすでにさまざまな分析や調査が発表されているので、それらを紹介する。失業か経済拡大かを決める最も重要な要因は、先に述べたように、生産性向上に対応して需要が増えるかどうかだ。
第8章と第9章では、生成AIによって社会がどのように変化するかを考える。第8章が描くのは、調整がうまく進まず、失業が増えて社会的不安が高まるディストピアの世界だ。最も大きな問題は、人間が働くことの意味を見いだしえなくなってしまうことだ。
第9章では、それと正反対に、生成AIが実現しうるユートピアの世界を描く。仕事が自己実現のための手段と考えられる世界、マズローが夢見た5段階の最上階の世界だ。
なお、本書が対象としている生成AIとは、正確には「大規模言語モデル」(LLM)と言われるものだ。ただし、「ChatGPT」「生成AI」などという言葉も、LLMとほぼ同義のものとして、あまり厳密に区別せずに用いている。これらの概念の正確な関係については、第6章の2を参照されたい。
2023年12月
野口悠紀雄
(注1)ChatGPT でのGPTは、Generative Pretrained Transformer(「事前トレーニングされた生成系のトランスフォーマー」)の略。なお、「一般汎用技術」の意味でのGPTについては、つぎを参照。野口悠紀雄、遠藤 諭『ジェネラルパーパス・テクノロジー』アスキー新書、2008年。
(注2)シュテファン・ツヴァイク(中野京子訳)『マリー・アントワネット』(角川文庫、2007年)第18章。
(注3)ただし、ツヴァイクは、つぎのようにも述べている(前掲書、第19章)。第一に、新民衆運動の主導者も、のちの残忍な革命家も、この時点では、革命の真の姿を予想していなかった。第二に、ルイ16世は革命に無関心だったのでなく、理解しようと努力していた。ただ、その理解が誤っていた。
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