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『だから古典は面白い』全文公開:第9章の3

『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう。
これは、第9章の3の全文公開です。

3 生産者の論理は消費者の論理と違う

生産者の論理では、古典は供給されにくい
古典は、いま新たに生産されている音楽や文学より質が高いのですから、古典だけが供給されて、新しい作品は供給されなかったとしても、不思議はありません。
しかし、実際には、その逆のことが起こっています。つまり、新しいものがどんどん供給されているのです。
出版科学研究所のデータによると、2018年の書籍の販売額は、ピークだった1996年に比べて、36%減りました。それにもかかわらず、新刊点数は13%増加しています。つまり、「刊行数を増やして売り上げ減を補う」という負のスパイラルに陥っています。
これはいったいなぜでしょうか?
それは、生産者の論理と消費者の論理は違うものであり、本章の2で述べたのは、消費者(鑑賞者)の論理だからです。
「生産者の論理」とは、ビジネスの論理です。その活動からいかにして利益を生み出すかが目的です。
音楽や文学の生産過程に「生産者の論理」が影響することは、避けられません。
生産者の論理から見ると、古典のビジネスは成り立ちにくいのです。そして、新しいものを供給するバイアスが働きます。その理由はつぎの通りです。
古典のビジネスは、すでに存在する作品の再生産です。そこでは、付加価値を付け加える余地は、あまりありません。したがって、ビジネスの収益性という観点から見れば、あまり魅力的なものではないのです。
他方で、新しい作品を宣伝して売り出す過程は、リスクはあるものの、成功すれば、付加価値が高いものとなり得ます。
したがって、生産者の論理から言えば、新しいものを大量に供給して成功を狙うことになります。

情報洪水で、供給される情報の平均的価値が下がった
大量に生産されれば、平均的な情報の価値は低下します。
このことは、文章に関して明らかです。
紙に印刷することが必要であった時代には、ある程度以上の価値のものしか供給されることがありませんでした。
しかし、インターネット配信の場合には、複製と配送のコストはほぼゼロです。このため、極めて価値が低いものも供給されるようになってしまったのです。そして、供給量が爆発的に増えています。
オスカー・ワイルド(19世紀のアイルランドの作家、詩人)は、かつてつぎのように言ったことがあります。

昔は、文学者が本を書いて、大衆が読んだものだ。いま、大衆が書いて、誰も読まない。

天才詩人は、100年以上前に、現在の状況を正確に見通していたのです。
もちろん、現在生産されているものの中から、選ばれて残っていくものはあるでしょう。
いま世界中の中高生の間で人気の動画サイトTikTok では、まったく無名だった20 歳のリル・ナズ・XのOld Town Road が人気を集め、その結果、全米シングルチャートで19週連続1位という史上最長記録を達成し、2019年最大のヒット曲となりました。
しかし、新しく生産されるものの総数に対するヒット作品の比率は、極めて低くなっています。その中で、さらにごく少数の作品だけが古典となって残るのです。
言い換えれば、新しく生産されるものの中で本当に価値のあるものの比率は、極めて低いということになります。



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