見出し画像

『円安が日本を滅ぼす』:全文公開   はじめに

『円安が日本を滅ぼす』-米韓台に学ぶ日本再生の道 (中央公論新社)が 5月23日に刊行されます。
これは、はじめにの全文公開です。

はじめに―日本はどこで間違えたのか?

 日本は先進国の地位を失うか?
 日本はいま、先進国の地位を失う瀬戸際に立たされている。さまざまな経済指標がそれを示している。
 1人あたりGDP(国内総生産)がOECD(経済協力開発機構)平均に追いついたのが1970年代の初めだった。この時に日本は先進国の仲間入りをし、一時はアメリカより豊かになった。
 しかし、1990年代の中頃以降、日本の成長がストップし、日本はさまざまな国に抜かれた。
 これを食い止めなければ、約50年間続いた日本の先進国時代は終わってしまう。
 本書は、日本経済の衰退がなぜ生じたのか、それを克服するには何が必要かを考える。

日本とアメリカ、韓国、台湾の比較から、日本再生の手がかりをつかむ
 この問題は、日本だけを取り出して考えても、的確に理解できないところがある。日本は島国であるために、海外の状況を実感することができないからだ。日本が「ガラパゴス化」している間に、世界の情勢が大きく変わってしまった。
 現状からの脱却を図り、日本を再生させるために何が必要かをつかむためには、海外の状況を知る必要がある。そして、学べるところがあれば、謙虚に学ぶべきだ。
 アメリカ、韓国、台湾の事情は、日本にとってとくに参考になる。単なる統計数値の比較だけでなく、その背後にある社会構造、経済構造を把握し、現実に起きている問題との関連を考えることが必要だ。それによってさまざまな教訓を得ることができる。
 もちろんこれら以外の国との比較も必要だ。しかし、あまりに多くの国と比較すると、焦点がぼけてしまい、はっきりした情報を引き出すことができなくなる。そこで、本書は、アメリカ、韓国、台湾との比較に焦点を絞ることとする。
 中国は日本に大きな影響を与えるため、その状況を知っておく必要がある。しかし、日本が学ぶ点は少ない。政治体制があまりに違うし、他の条件も違いすぎるからだ。
 豊かな国としては北欧諸国があるが、これらの国は、人口が少ない。日本のように人口が1億を超える国とは、比較にならない点が多い。
 これまで日本人は、韓国や台湾を比較の対象とすることは、あまりなかった。しかし、最近では、韓国、台湾の賃金や1人あたりGDPは、日本とほぼ同じレベルになっている。そして成長率も高い。だから、日本にとっては学ぶべき点が多い。

賃金を引き上げるために何が必要か?
 本書では、まず第1章において、現在の日本の状況を、他国との比較で捉える。
 第2章、第3章で、賃金の問題を考える際の基本事項について述べる。賃金の引き上げは、春闘介入や賃上げ税制といったレベルの政策ではどうにもならないほど大きな問題だ。
 賃金を引き上げるには、就業者1人あたりの付加価値生産を増やさなければならない。だから、賃金引き上げとは、日本経済を長期にわたる停滞状態から脱却させることとほとんど同義なのである。これが、賃金引き上げ問題を考える場合の最も基本的なポイントだ。
 本書の中心は、第4章だ。そこでは、日本衰退の原因が何であったのかを追求する。まず、日本のGDP、企業の売上高、賃金などの経済指標が、1995年頃に頭打ちになったことを確認する。そしてなぜ停滞が生じたのかを分析する。
 停滞は日本国内のバブル崩壊によってもたらされたのだ、と言われることが多い。しかし、実はそれより前の1980年代の中頃に、世界輸出での日本のシェアがピークになり、それ以降、継続的に低下しているのだ。

中国工業化に対処するのに、「安売り戦略」をとった誤り
 世界輸出における日本のシェアを低下させた原因は、日米経済摩擦ではなく、中国工業化の本格化だ。
 中国工業化に対処するには、二つの方法があった。一つは安売り戦略によって中国製品と競争すること。もう一つは、中国の製品と差別化を図ることだ。
 日本は第一の方策を選んだ。そして、中国との価格競争で苦境に陥った産業と企業を救済するため、賃金を抑え、かつ為替レートを円安に誘導した。
 そのために、古い産業が残ってしまい、技術革新が停滞して、経済全体が衰退した。それがバブル崩壊をきっかけとして顕在化したのだ。
 中国工業化に対する正しい方策は、韓国や台湾がとったものだった。これは、中国工業化とアメリカで起こったIT革命とをうまく利用して、世界的な水平分業の一員となることだ。
 その最も顕著な成功例が、台湾の半導体ファウンドリ(受託製造企業)であるTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company:台湾積体電路製造)だ。同社が製造する超微細半導体は、iPhoneなどIT機器の頭脳になっている。このクラスの半導体を製造できるのは、TSMCと韓国のサムスン電子しかない。
 TSMCの半導体は、他の部品とともに中国の工場で最終製品に組み立てられ、全世界に輸出される。これによって、韓国も台湾も、中国とアメリカの成長に合わせて成長し、賃金を引き上げることができた。

社会の構造を一変させるほどの変革が必要
 日本が台湾と同じような戦略をとれなかったのは、完成した産業体系がすでに確立されていたからだ。
 新しい条件に合うように産業構造を変革するには、多大の社会的摩擦を伴う。それを回避するために、安売り戦略をとらざるをえなかったのだ。その結果、古い産業構造と古い企業が温存され、経済が停滞した。
 喩えて言うなら、産業構造の改革とは手術のようなものだ。だから痛みが伴う。それに対して、円安政策は麻薬のようなものだ。それによって一時的には問題を緩和することができる。日本は、手術を回避して、麻薬に頼ったことになる。
 しかし、改革を先延ばしにしてきた結果、ついにここまで来てしまった。そして、先進国の位置から滑り落ちる寸前まで経済が衰退してしまったのだ。
 こうした事態から脱却し、賃金の継続的な上昇を実現するには、手術を行う必要がある。つまり古い産業構造から脱却する必要がある。それは社会構造を一変させることだ。
 それを行えるかどうかが、未来に向かっての日本の経路を決めることになる。

必要なのは、補助ではなく、補助をやめること
 では、そのために、何が必要か?
 いま、「半導体は重要な産業だから国が補助金を出す必要がある」という意見が強まっている。
 しかし、補助金を出したところで、日本の半導体産業が復活するはずがない。
 産業が補助金を要求するのは、その産業が衰退した証拠だ。そして、補助に依存するようになれば、さらに衰退する。
 その典型が日本の農業だ。戦後、製造業が成長する中で取り残され、その保護のために巨額の財政資金が投入された。しかし、その結果、日本の農業が新しい農業として復活したかと言えば、全く逆の結果が生じた。生産者米価が保証されたことから、兼業農家が一般化し、日本農業の生産性はますます低下した。
 アメリカのIT産業は、政府が補助したから成長したわけではない。新しい技術と新しいビジネスモデルを開発したから、驚異的な成長ができたのだ。そのようにして誕生した産業こそが成長し、未来を切り開く。
 補助しなければ存続できない産業が、その国を支えるものに成長できるはずがない。
 成果にかかわりなく補助がなされれば、それに甘えて衰退するのは当然のことだ。
 農業がその典型例だが、もう一つの例が国立大学だ、日本の国立大学は、国の予算によって支えられている。したがって、社会の要請から遊離しても、存続が可能だ。この結果、学部・学科の構成を変えることができず、その実態は社会の要請とは著しく乖離かい りしたものになってしまった。
 アメリカの大学でビジネススクールやコンピュータサイエンスなどが増強されているのは、社会の要請に応えなければ大学が存続できないからだ。
 産業構造を革新し、社会を成長させるために国が行うべきは、変化を阻害している諸要因を除去することだ。とくに、既得権益と戦うことだ。そのために参入規制を撤廃したり、企業間の人々の流動性を増大させることが重要だ。
 改革のために必要なのは、国が補助をすることではなく、改革を阻害する補助をやめることだ。

現状を率直に、正しく理解することが必要
「日本の地位が下がっている」と書くと、「自分の国のあら探しをして何が面白いのか」といった類いの意見が来る。とりわけ韓国との比較について、そうした意見が多い。
 自分の国の地位が下がっていると聞くのは、誰にとっても不愉快なことだ。しかし、不愉快だからと言って耳をふさいでしまえば、現状は何も改善されない。われわれはいま、不愉快な真実に向き合わなければならない。
 そして、日本社会を根底から変える改革を実行しなければならない。そうしなければ、日本の地位低下を食い止めることはできない。
 現状を改善するには、まず何よりも、現状を正しく理解することが不可欠だ。そして、なぜそうなってしまったのかを解き明かす必要がある。
 本書は、そのために書かれた。

円安とウクライナで事態が悪化――1人あたりGDPで韓国が日本を抜いた?
 本書で警告した事態は、その後悪化している。
 2022年3月、4月に円安が急速に進行した。このため、日本の国際的な地位はさらに低下した。統計的な数字がまだ得られないので正確な評価はできないのだが、韓国、台湾の1人あたりGDPが日本を抜いた可能性が高い。本書の第1章では、韓国や台湾が豊かさの点で日本に迫りつつあり、賃金や生産性で韓国が日本を抜いたと述べている。この傾向が加速し、1人あたりGDPという最も重要な経済指標にまで及んできたわけだ。
 これは、統計の数字だけのことではない。ウクライナ情勢の悪化によって、資源価格が高騰し、そのうえ円安が進むので、日本は物価高の洪水に巻き込まれる。その半面で賃金は上がらない。経済改革の必要性は、一刻も猶予できない焦眉の急となった。
 なお、最近の情勢に関しては、第3章の5で述べる。
 
                          


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?