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『良いデジタル化 悪いデジタル化』:  全文公開 第5章の1

良いデジタル化 悪いデジタル化』(日本経済新聞出版)が2021年6月19日に刊行されました(日本経済新聞出版)。
これは、第5章の1全文公開です。

第5章 マイナンバーカードの方向は正しいか?

1 不便の極み、マイナンバーカード

「脱ハンコ」はデジタルIDなしでは実現できない
  菅義偉政権は、脱ハンコを進める方針だ。「脱ハンコフィーバーはいいことだ」と私は思う。
     しかし、脱ハンコのためには、文書が正しいことを、別の手段で証明する必要がある。「ハンコは無駄だからやめにしよう」というだけでは、不十分なのだ。「これまで印を押していたのを押さなくて済む」というだけのことではない。それだけでは、書類の真正性を証明できないからだ。
     紙の仕組みに代えて、オンライン化する。それに電子署名する。そして、その署名が正しいことを証明するために、電子証明する。このような「デジタルID」の仕組みに置き換える必要がある。
  日本では、2016年1月からマイナンバーカードが使えるようになっている。マイナンバーカードを用いれば、電子署名ができる。
 内閣府の説明サイトを見ると、つぎのように書いてある。
 「それぞれの機関内では、住民票コード、基礎年金番号、医療保険被保険者番号など、それぞれの番号で個人の情報を管理しているため、機関をまたいだ情報のやりとりでは、氏名、住所などでの個人の特定に時間と労力を費やしていました。社会保障、税、災害対策の3分野について、分野横断的な共通の番号を導入することで、個人の特定を確実かつ迅速に行うことが可能になります」

 要するに、実在する個人を、マイナンバーという単一の番号だけで把握することを可能にしようというのである。
 ただし、マイナンバーは、ほとんどの場合に孤立して存在しているだけで、他のシステムとの関連付けがなされていない。このために、実際にはほとんど役に立たないものになっている。だから、使えない。だから普及しない、という悪循環に陥っている。
 第1章の2でみたように、コロナ下の現金給付で、各地方公共団体が、オンラインで送られてきた申請データをプリントアウトし、住民基本台帳のデータとの突き合わせなどを手作業で行わざるを得ず、大変な苦労をした。マイナンバー制度は、役に立たないどころか、地方公共団体に余計な労力負担をかけるだけの制度になってしまったのだ。信じられないようなことだ。
 このまま進むと、「ハンコ文化からは脱却できたものの、今度は別の迷宮入り」といった事態になりかねない。

e―Taxでは、マイナンバーカードとの連携がうまくいっている
 ただし、1つだけ例外がある。それは、e―Tax(国税電子申告・納税システム)だ。2004年6月から導入された。これは、行政手続きのオンライン化で成功した唯一の例だ。
 2017年度の法人税申告においては、普及率79・3%とかなりの高さになった。2020年からは、大企業へのe―Tax義務化がなされている。
 e―Taxの普及率を大幅に高めた要因は、紙ベースであった社内の経理システムの大幅な改革が可能となることだ。また、税理士による代理送信が認められたこともある。
 もともと、e―Taxを利用しようとする場合には、「利用者識別番号」を取得する必要があった。これは、半角16桁の番号だ。また、暗証番号を登録する。
 利用者識別番号および暗証番号は、e―Taxにログインする際、本人認証のために必要なので、利用者本人の責任において、盗難等の事故が起こらないよう管理する必要がある。
 ところが、マイナンバーカードを利用すると、e―Taxの利用者識別番号と暗証番号の入力が不要になる。法人の場合は、「法人設立ワンストップサービス」から法人代表者のマイナンバーカードを使って、開始届出書を作成・送信すると、利用者識別番号を取得できる。
 e―Taxでは、インターネットを利用してやりとりするデータについて、電子証明書および電子署名を用いて、以下の2点を確認している。
 第1に、そのデータの作成者が誰であるかの確認。第2に、送信されたデータが改竄されていないことの確認。
 e―Taxで使用できる電子証明書は、「政府認証基盤(GPKI)のブリッジ認証局と相互認証を行っている認証局が作成した電子証明書等のうち、e―Taxで使用可能であることが確認されたもの」となっている。
 ところが、マイナンバーカードを用いれば、e―Taxを利用する際の事前準備として必要であった電子証明書の登録が不要になる。マイナンバーカードの電子証明書(有効期限:5年間)を更新しても、とくに手続きをする必要がなく、そのまま利用できる。
 このように、e―Taxの場合は、それによって企業の経理が合理化されるという効果があるし、マイナンバーカードとの連携もうまくいっている。これが成功の理由だ。
 今回の「脱ハンコ化」号令で、行政のオンライン化が進められるという。しかし、他の行政手続きには、e―Taxの場合のような利点はない場合が多い。それに、国民の立場からすれば、行政手続きは、そんなに頻繁に行うものではない。オンラインの便利な仕組みができれば生活は便利になるが、飛躍的に変わるわけではない。

マイナンバーカードは、e―Tax以外に使う機会がない
 菅義偉政権のデジタル化計画は、マイナンバーカードを中心に進められている。これを用いて、さまざまな手続きのオンライン化を進めようというのだ。
 しかし、マイナンバーカードは普及していない。その理由は、マイナンバーカードを取得しても、e―Tax以外では、それほど便利なことにはならないからだ。
 では、いまマイナンバーカードを使えば、どういうメリットがあるのか?「コンビニエンスストアなどで住民票、印鑑登録証明書などの公的な証明書を取得できます」とされている。しかし、これらは、あまり頻繁に必要なものではない。だから、格別便利とは思えない。
 「マイナポータル」で調べても、マイナンバーカードでできる行政手続きはほとんどない。特別定額給付金以外には、「電子申請可」としてあるものを見つけられなかった。
 要するに、使い道がないからカードを取得しないのだ。仮に取得しても、使う機会がないから、パスワードを忘れてしまったりする。
 もっとも、私は、制度導入直後に、早速申請してマイナンバーカードを取得した。なぜなら、原稿などを書いた場合に、出版社からマイナンバーの提出を求められるからだ。書類が送られてきて、そこに所要事項を手書きで記入し、マイナンバーカードのコピーを添付する。アナログそのものの面倒な手続きだ。これを送られる出版社も迷惑なことだろう。手書きで記入してある情報をいちいち入力しているのだろうか?
 これでは、ただの紙のカードと、何の差もない。マイナンバーカードにはICチップがついているのだが、私は、一度も使ったことがない。

本末転倒なマイナポイントの付与
 政府は、マイナンバーカード普及のために、「マイナポイント」の付与を行った。そうでもしない限り、人々は申請しないということだ。
 しかし、これでは本末転倒だ。「便利だから申請する」とならなければ、おかしい。もしマイナンバーカードが便利なものなら、人々は進んでそれを持とうとするだろう。ポイントを与えなくてはならないというのは、マイナンバーカードを持っていてもあまり意味がないことの証拠だ。
 マイナンバーカードの前身である「住基カード」(本章の3参照)が普及しなかったのも、使い道がなかったからだ。

個人情報が国によって管理される恐れ
 オンライン化が望まれるのは、行政手続きだけでない。
 インターネット上での本人証明とログインは、いまやあらゆる場面で、毎日のように必要とされる。とくに銀行口座の利用にあたっては、非常に頻繁に使う。
 2020年には、ドコモ口座事件などの不祥事が発生した。このことからも、安全なシステムの確立が、緊急に必要だ。
 マイナンバーカードの利用としてもう1つ望まれるのは、個人医療情報だ。現在は病院ごとにバラバラに保存されている情報をまとめるのである。
 しかし、こうした用途に使えるようにするためには、マイナンバー制度を大幅に改革する必要がある。また、金融機関や医療機関が受け入れるかどうかも分からない。
 さらに重要なのは、こうした利用をするには、システムがサイバー攻撃に対して完全に強固でなければならないことだ。仮に口座情報などが漏洩したら、大変なことになる。アタックを受けて情報流出が起きれば、社会が大混乱に陥るだろう。
 もう1つの非常に大きな問題は、現在の仕組みは、政府あるいは公的機関が全体を管理しているので、利用者の個人情報が国によって管理される恐れが原理的にはあることだ。これは、最も根本的な問題点だ。
 マイナンバーカードをオンラインバンキングでのログインに使うようにすれば、資産把握のためだという反対が起こるだろう。これは、かつて提案されたグリーンカードが実現しなかった理由だ。資産把握が実際になされるかどうかは別として、絶対にそうならないとは言えない。本章の3でみるように、住基ネットの場合の違憲訴訟も、このような背景から起きたものだ。

健康保険証や運転免許と一体化して何が便利?
 政府は、2021年3月から、マイナンバーカードを健康保険証として利用できるよう計画を進めていた。しかし、利用者にとってのメリットがどこにあるのか、分からない。薬手帳の代用になるというが、それだけのために、わざわざマイナンバーカード取得の手続きをするのも面倒だ。
 マイナンバーカードを運転免許証と一体化してスマートフォンで利用することも検討されている。スマートフォンのアプリに保存することによって、利用者の利便性向上につなげるのだという。
    しかし、スマートフォンのアプリに保存することで利便性が向上するだろうか? その逆に、リスクが高まるのではないだろうか? これも健康保険証と同じことで、利用者にとってのメリットがどこにあるのか、分からない。「マイナンバーカードと一体化すれば偽造しにくくなる」というのだが、運転免許証はそんなに簡単に偽造できるものなのだろうか?
 アプリにしてスマートフォンに入れるという点も気がかりだ。運転免許証は運転するときにだけ携行する。しかも、頻繁に人に見せるわけではないから、紛失しないよう、厳重に保持する。
 ところが、スマートフォンは、いろいろな機会に使うから、置き忘れということがあり得る。いまの形態の免許証に比べて、紛失の事故は多くなるだろう。もちろん、紛失したからといって、すぐに情報が流出するわけではない、パスワードなどが必要とされるだろう。そうではあっても、心配だ。
 また、現在の形態の運転免許証ならハッキングで情報が流出することはないが、スマートフォンに入れたら、流出する危険も生じる。万一、スマートフォンを紛失した場合にも、情報が漏出する危険がある。また、デジタル決済での預金不正引き出し事件を見ていると、スマートフォンを紛失しなくとも情報が漏出する危険があるのではないかと思えてくる。
 雇用調整助成金の申請システムなど政府が作ったオンラインシステムには、情報漏洩事故を起こしたものがある。私なら、こうした問題の深刻さを考えて、とてもこのアプリはダウンロードできない。

マイナンバーカードの健康保険証利用は、土壇場で延期
 マイナンバーカードを健康保険証として利用することに関連して、紙の保険証の発行を将来は停止するという報道がなされた。
 マイナンバーカードに健康保険証の機能を加えることは、前から検討されていた。しかし、保険証を発行しなくなるという話ではなかった。保険証の発行停止ということになると、マイナンバーカードの電子証明なしでは、病院で診療を受けられなくなる。
 これは面倒なことだ。健康保険証は自動的に送ってくれるが、カードは役所まで取りに行かなければならない。
 健康保険証を頻繁に使っている人(病気にかかっている人、身体障碍者、高齢者など)は、自分では取りに行けない場合も多い。代理人でも可能な場合があるが、それでも役所に出頭しなければならないことに変わりはない。健康保険証とマイナンバーカード一体化は、健康保険証に頼らざるを得ない人に不合理な負担を強いることになる。
 保険証を停止するのは、それによって地方公共団体の事務負担が減るからだという。役所の負担が減るのはよいことだ。しかしその負担が国民に転嫁されるのでは、やりきれない。その問題をさておくとしても、自動的に送られてくる健康保険証の発行は、ぜひ続けてほしいものだ。
 私はこのように心配していたのだが、2020年3月末に、つぎのような報道がなされた。
 先行して運用が始まった一部の医療機関で、保険資格の情報が「登録されていない」と表示されたり、健康保険証に記載された情報と一致しないなどのトラブルが相次いだ。このため、本格運用は10月頃まで先送りされることになったというのだ。
 これまで鳴り物入りで宣伝されてきたマイナンバーカードの利用拡大が、また躓いた。しかも、きわめて初歩的なミスで躓いた。
 定額給付金申請で使えず、本章2で述べるワクチン接種の管理にも使えない。すると、いったいどこでマイナンバーカードが使えるのだろうか? あまりの失態続きに言葉を失う。
 健康保険証がなくなる心配はひとまずなくなったようで、その点では一安心とも言えるのだが……。

私のマイナンバーカード・ドタバタ劇
 マイナンバーカードはいつまでも有効ではなく、更新手続きが必要になる。これをめぐって、私はドタバタ劇を演じてしまった。
 ある時、カードを出して確かめたところ、私のカードは「2025年の誕生日まで有効」とあった。「あと5年は大丈夫」と一安心したのだが、もう少し調べてみると、大変なことが分かった。電子証明書の有効期限は5年間だというのだ。それでは、更新期限は2020年ということになる。
 そして、その手続きを見てさらに驚いた。市役所の窓口まで来庁せよと書いてある。しかも、時間がかかるので待たされることもあるという。コロナ下では、感染の危険に晒されることを意味する。
 これは大変なことになったと、さらに調べたところ、「有効期限切れとなる対象の方は、地方公共団体情報システム機構からお知らせの通知が届きますので、ご確認ください」とある。しかし、そんな通知は来ていない。どうなっているのだろう?
 さらに調べると、「電子証明書の有効期限は、マイナンバーカードの表面に手書きで記載しています」という注意書きを見いだした。そこで再びマイナンバーカードを取り出して見ると、驚いたことに、何も記入してない。では、私は、電子署名の申請をしていなかったのか? 「では、市役所まで行く必要もなくなった」と、妙な安心をした。
 そこで改めてウェブの書き込みを見てみると、私と同じように電子署名の申請をしていない人は多いようだ。そうした人たちは、定額給付金のオンライン申請ができなかった。
 なぜ電子署名の申請をしなかったかと言えば、申請のとき「e―Taxを使わないのなら電子署名は必要ないでしょう」というような説明を窓口で受けたらしい。そして、「今回のような事態は想定外だった」と、いまになって役所の窓口で打ち明けられたという。
 私は5年前の申請のときにどのような説明を受けたかをはっきり思い出せないのだが、同じようなことを言われたのだろうか?

「窓口に行かないために窓口に行く」必要
 ところが、しばらくしたら、マイナンバーカード電子証明更新手続きの通知が届いたのである。それによると、電子証明書の期限があと1ヵ月で切れるという!
 そもそも、電子証明書は、窓口に行かずに済ませるための道具だ。その手続きをするために、コロナ感染の危険を冒して役所に出頭しなければならないというのでは、話が逆ではないか?
 それだけではない。そもそも、電子証明書に5年という有効期限を設けているのも、おかしい。電子署名を頻繁に使う場合には、何度も同じ秘密鍵を使っていると、それを外部者に推測されてしまう危険がある。だから、電子証明書に一定の期限を設けることにしている。
 ところが、マイナンバーカードの電子署名を頻繁に使う人など、まずいない。事実、私はこの5年間に一度も使ったことがない。これは多くの人に共通することだろう。
 もし頻繁に利用している人がいるのなら、その場合には任意で更新申請をすることとすればよい。一度も使っておらず、したがって秘密鍵が知られた可能性など絶対にあり得ないにもかかわらず、「5年たったから無効」とするのは、役所の形式主義以外の何物でもない。
 さんざん迷ったあげく、有効期限の1週間前に、私はおとなしく窓口に出頭して、電子証明書の更新をした。


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