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はじめに

本書は、平成の時代を、主として経済の面から振り返って記述したものです。
この時代において、私たちの世代は、50歳代から70歳代を経験しました。そして、すぐ上の世代とともに、世の中を動かすようになったのです。
昭和までの時代の経済史に登場する人物は、私が書物でしか知らない人々がほとんどで、面識のある人は希にしかいません。
それに対して、平成時代の経済史では、登場する人々の中に私が直接間接に関係のある人たちが大勢います。
その意味で、平成経済史は、資料とデータの分析だけから作られるものではなく、身の回りに起こった事件の描写でもあるのです。

私たちの世代は、上の世代が築き上げた日本社会を、世界の動きに合わせて変えていく責任を負っていました。
程度の差こそあれ、私たちは、社会の動向に影響を及ぼしうる立場にいたのです。少なくとも有権者であったわけですから、政治上の選択に無関係ではありません。
したがって、私たちの世代は、「責任を果たしたか?」と自問する必要があります。われわれは、前の世代が遺した遺産を引き継いで、それを発展させることができただろうか?
残念ながら、それに失敗したと言わざるをえません。
この30年間を一言で言えば、世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代であったからです。平成時代を通じて、日本経済の国際的な地位は継続的に低下しました。
ここで重要なのは、「努力したけれども取り残された」のではなく、「大きな変化が生じていることに気がつかなかったために取り残された」ということです。改革が必要だということが意識されず、条件の変化に対応しなかったのです。
変化が激しい世界では、同じ場所に留まるためにも走り続けなければなりません。走らなかった日本は、同じ場所に留まれませんでした。エピグラフに引用した赤の女王の予言のとおりでした。


マーティン・ メイリアは、『ソヴィエトの悲劇』(草思社、1997年)で、「ロシアは70年間の悲惨な出来事による廃墟のど真ん中で、悪夢から覚めた」と書いています。
日本人も似たような経験をしました。幸いにして廃墟にはなっていませんが、気がついてみたら、周りの情景はすっかり変わっていたのです。 
しばしば「失われた20年」とか「失われた30年」と言われます。平成の時代は、まさにそうした時代であったと言わざるをえません。
その意味で、本書は、私たちの世代の失敗の報告書であり、反省の書だということになります。
日本を変えてゆく課題を、私たちは将来の世代に託さざるをえません。その意味で、本書は、私たちの世代から将来の世代に向けての引き継ぎの書でもあります。

平成の時代が終わることから、平成回顧ブームが起き、多くのメディアが「平成を振り返る」という特集を組んでいます。
振り返るのであれば、過去を懐かしむだけでなく、なぜ平成が日本にとっての失敗の時代になってしまったのか、その原因を明らかにすることが重要です。それによって、平成回顧ブームを意味あるものにすることができるでしょう。
本書は、このような観点から、平成時代の経済を分析し、重要な選択の局面において、本当はどうすべきだったかを考えることにします。
それらを、いまの日本経済が抱える問題との関連で取り上げます。そして、将来に向かって日本が何をなすべきかを検討します。
本書では、主として日本の経済について述べますが、それだけでなく、世界経済についても言及します。とくに中国の変貌と成長が重要な関心事です。

本書の中心は、経済分析です。
とはいえ、平成の30年間を思い出せば、さまざまな感慨に囚われます。
時代の大きな変化に翻弄されて、人生が大きく変わってしまった人々が、私の周りにも大勢います。
また、逝去者といえば、それまではわれわれよりずっと上の世代の人たちだったのですが、それが、先生方や直接の上司だった人となり、さらには私と同世代の人たちや友人たちになってきました。人間の死が身近な出来事になってきたのです。
私のライフスタイルも、ずいぶん変わりました。本書では、私の個人的な思い出も述べています。
本書は、経済の直接の関係者に限らず、広く多くの読者に読んでいただくことを想定しています。このため、経済の専門用語を用いずに記述します。どうしても専門用語が必要な場合には、説明を加えます。

平成の時代を経済面から見れば、大きく3つの期間に分けることができます。
第1期は1990年代で、バブル崩壊によって日本経済が痛手を受け、それまで日本経済を支えてきた金融機関が崩壊した時代です。これを、第1章から第3章で述べます。
第2期は、2000年頃から10年頃までの約10年間です。この期間に円安が進み、日本経済は回復しました。しかし、これは偽りの回復でした。実際、08年のリーマン・ショックによって回復過程は急激に終焉し、日本の輸出産業は大打撃を受けました。これを、第4章から第6章で述べます。
第3期は11年以降です。これを、第7章から第9章で述べます。

各章の概要は、つぎのとおりです。
第1章 日本人は、バブル崩壊に気づかなかった」では、1990年の初めから、株価が下落を始め、企業利益などの経済指標が悪化に転じたことを述べます。それにもかかわらず、多くの日本人は、日本経済の変調に気がつきませんでした。一般には、バブル崩壊は95年頃と考えられています。
第2章 世界経済に大変化が起きていた」では、80年代末から90年代にかけて、世界が大きく変貌したことを述べます。ベルリンの壁が89年11月に崩壊。ソ連が91年12月に崩壊。そして、中国の工業化が本格化しました。また、IT革命が第2段階に入り、インターネットが普及しました。製造業において、水平分業という新しい生産方式が広がりました。ITの進歩で、私の仕事の環境も、大きく変わりました。
第3章 90年代末の金融大崩壊」では、90年代の後半に、不動産バブル崩壊に伴う不良債権問題が顕在化したことを述べます。
それまで「絶対に潰れることはない」と誰もが信じていた日本の金融機関が、つぎつぎに不良債権の重みで経営破綻しました。90年代の後半には、末世的雰囲気が日本を包みました。

第4章 2000年代の偽りの回復で改革が遠のく」では、03年1月から04年4月にかけて政府・日銀による大規模な為替介入がなされ、これによって円安が進行したことを述べます。「心地よい円安」ということが言われました。輸出主導の経済回復が実現し、日本経済がやっと回復したと多くの人が感じました。しかし、これは一時的で偽りのものに過ぎなかったのです。
また、製造業の国内回帰が生じ、テレビの大規模工場などが建設されましたが、これは、製造業で進行していた世界的な傾向に逆行するものでした。この時期に、私はアメリカで1年間を過ごしましたが、外から日本を見ていると、日本の立ち後れがよく分かりました。
第5章 アメリカ住宅バブルとリーマン・ショック」では、アメリカで生じた異常な住宅価格のバブルについて述べます。これが、円安・住宅価格・自動車が結合した複合バブルであったことを説明します。このメカニズムは、持続可能なものではありませんでした。バブルは崩壊し、08年にリーマン・ショックが生じました。
第6章 崩壊した日本の輸出立国モデル」では、アメリカ住宅バブルの崩壊が日本経済に与えた影響について述べます。アメリカ住宅ローン証券化商品の破綻により、アメリカの消費需要が激減し、円高が進行しました。このため、日本の輸出が激減し、輸出立国が終焉しました。「輸出依存型成長」は、日本経済に対する本当の解決策ではなかったのです。
この落ち込みからの回復をもたらしたのは、第1には中国が行なった大規模な経済対策であり、第2には日本政府が行なった製造業救済政策でした。このため、民間企業の政府依存が強まり、人々の考えの中でも、政府に依存する度合いが強まったことが問題です。また、日本経済は構造を転換することができませんでした。
 
第7章 民主党内閣と東日本大震災」では、大震災で日本の貿易収支が大激変したこと、期待を背負って登場した民主党政権が、日本の経済構造を何も改革できなかったことを指摘します。また、ユーロ危機で円高が進み、株価が下落したことを述べます。
第8章 アベノミクスと異次元金融緩和は何をもたらしたか?」では、異次元金融緩和政策はマネーを増やさなかったこと、円安が進んだ理由、追加緩和とマイナス金利の導入などについて述べます。そして、アベノミクスは賃金、消費を増やしてはおらず、金融緩和からの出口がきわめて困難な課題であることを指摘します。
第9章 日本が将来に向かってなすべきこと」では、今後の日本経済が抱える問題を考えます。課題としては、1.労働力不足への対処、2.人口高齢化による社会保障支出の増大への対処、3.中国の成長などの世界経済の構造変化への対処、4.AI(人工知能)などの新しい技術への対処、があります。こうした問題に対処するためには、既得権の打破が重要な課題です。

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