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『だから古典は面白い』全文公開:第9章の2

『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう
これは、第9章の2の全文公開です。

2 古典を読むほうが「効率がよい」

古典は時代を超越している
60年代のポピュラー・ミュージックは60年代に縛り付けられていて、そこから抜け出すことができません。だから、「古くなった」と感じるのです。しかし、モーツァルトやベートーヴェンの音楽は時代を超越しています。
同じことが、文学作品についても言えます。
トルストイやドストエフスキイを読んでいて、それらが古くなってしまったと感じることはありません。
もちろん、そこに描かれている社会は、現代の社会とは違うものです。社会の豊かさも、使える技術も、人々の仕事の中身も、生活様式も、価値観も違います。それにもかかわらず、「これは昔の話で、いまとは違う」とは思わないのです。
古典とはそのようなものです。
60年代ポピュラー・ミュージックは素晴らしい。それらは、いま聞いても素晴らしい。しかし、それらは古くなっています。そこが古典と違うところです。
60年代ポピュラー・ミュージックを聞くことによって、私は「古典とは何か」を実感として把握できたと感じました。

自然淘汰の過程と同じ
自然は、進歩のためにさまざまな突然変異を試みます。その中で、環境に適さなかったものは淘汰され、環境に適合したものがつぎの世代を作っていきます。
生き残ったものは、淘汰されたものに比べて、価値が高いのです。
それと同じことが、音楽や文学作品についても言えます。
数百年以上の期間にわたって生存し続けた作品は、生存し続けたという事実そのものによって、現在生産されているものに比べて、平均すれば優れたものであるという評価ができるはずです。
では、「現代においても古典は生産されているのか?」が問題となります。これについて、つぎに考えたいと思います。



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