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『だから古典は面白い』全文公開:第9章の5

『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう。
これは、第9章の5の全文公開です。

5 フィルターバブルとレコメンデーションから脱却しよう

フィルターバブルとは?
いま、多くの人が、スマートフォンからプッシュされてくる情報をただ受動的に受け入れています。
情報源がそれだけという人も、多くいます。新聞も雑誌も読まず、スマートフォンのニュースサイトに流されてくる記事だけに頼っています。ましてや、書籍などには目もくれません。
ところで、インターネットからプッシュされてくる情報にバイアスがあることは、以前から知られています。その人が興味がありそうな情報を選んでプッシュしてくるのです。
これは、イーライ・パリサーが指摘した「フィルターバブル」という現象です(イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』早川書房、2012年。なお、野口悠紀雄『知の進化論』朝日新書、2016年、第5章も参照)。
こうなると、「泡」(バブル)の中に包まれたようになってしまい、自分が見たい情報しか見えなくなり、知的孤立に陥るというのです。
フィルターバブルだけではありません。商業的な、あるいは政治的な意図を持ってなされる情報提供に誘導される場合もあります。これが、「レコメンデーション」であり、「ターゲティング広告」です(野口悠紀雄『データ資本主義』日本経済新聞出版社、2019年)。
これらの情報がどのようなバイアスを持っているかは、受け手には分かりません。知らないうちに誘導されることになります。
そして、自分自身の選択の基準を失い、知らぬうちにビジネスの論理に操られていくことになります。

自分自身の選択基準を確立する
このような状況から逃れるには、長い選別過程をくぐり抜けてきた古典を読むしかありません。
手始めに、シェイクスピアでもゲーテでも読んでみてはどうでしょう? まったく新しい世界が広がることが分かるでしょう。
私は、「新しいものを無視せよ」と言っているわけではありません。
世界は変わっていくものであり、それを捉えるには、現在何が起きているかを敏感に察知しなければなりません。古いものに執着すれば、進歩を否定することになります。
しかし、変化していくものの中に、変化しない核が存在することも事実なのです。それが古典に他なりません。それによって、自分自身の情報選別の基準を作り上げるのです。

本書が追求したいこと
人々が自分の選別基準を失ってしまった一つの原因が、出版業界にあることも否定できません。
本章の3「生産者の論理は消費者の論理と違う」で述べた「ビジネスの論理」にしたがって、古典を強調するのではなく、新しいものを強調するからです。
しかも、精選された少数を発行するのではなく、極めて多数の出版物を発行します。こうして、出版のサイクルが短くなっています。
出版は、本来はストックを生産するものであるにもかかわらず、フローを生産し続け、その結果、フローの生産については効率が遥かに高いインターネットに敗れてしまったのです。
以上のような観点から言えば、新聞や雑誌の書評欄も考え直す必要があります。 
いまの書評欄は、主として新刊の書籍の紹介になっています。時々は、特集を組んであるテーマについて古いものも取り上げることがありますが、それほど一般的ではありません。
これも、「ビジネスの論理」の帰結です。利益を求めるプロセスでは、新しいものは紹介しますが、古いものは紹介しないというバイアスが働き、古典は排除されるのです。
そして、新しい情報や新しく登場した著者・アーティストが優先的に紹介されることになります。
ところが、本来であれば、古典をこそ紹介すべきなのです。それは商業的な利益には直接結びつかないかもしれませんが、重要なことです。
本書がそうした役割を担うことができたらと願っています。



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一人の伝道師(エバンジェリスト)として、noteを使って何ができるかに挑戦します。
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