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『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学 全文公開:はじめに

『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学が、文藝春秋社から刊行されました。
12月20日から全国の書店で発売されています。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに

「リープフロッグ」とは、蛙跳びのことです。
 蛙が跳躍して何かを飛び越えるように、それまで遅れていた国が、ある時、急激に発展し、先を行く国を飛び越えて、世界の先頭に躍り出る。そして世界を牽引するのです。
 中国の躍進ぶりが注目を集めています。これまでのように安い労働力で安い工業製品を大量に生産するだけでなく、AI(人工知能)などの新しい技術を駆使して様々な経済活動を始めているのです。そして、アメリカと覇権国の地位を争うまでになっています。
 ところが、目覚ましい発展の背景を調べると、そのほとんどがリープフロッグで説明できるのです。「遅れていたことを逆手に取った」ということができますし、「失敗したから成功した」ということもできます。歴史を見ると、こうしたケースが数多く見られます。聖書に「後なるもの先になるべし」とあります(『マタイ伝』、第19章30)。この言葉は、その後の歴史の展開を予言していたと思われるほどです。
「リープフロッグ」は、歴史のダイナミズムを包括的に説明しようとするマクロ歴史理論の一つです。段階的な発展論と対照的な考えです。「キャッチアップ論」と似たところがありますが、先進国に追いつくだけでなく、逆転するとしているところが重要です。
「遅れている者が逆転する」というのは常識に反することで、なぜそうしたことが起きるかは、純粋な知的好奇心の観点からも興味があるところです。それだけでなく、現実的な意味もあります。「遅れている者が不利な条件から逃れられず、貧困の罠に囚われる」というのでは、救いがありません。しかし逆転があるなら、望みがあります。
 本書を書いたのも、そうした可能性にすがりたいからです。具体的には、「あまりに著しい日本の落ち込みぶりを何とかできないか」という願いです。
 この状態に対処するには、リープフロッグによって遅れを一挙に取り戻すしか方法がないと考えたのです。それなら、リープフロッグが生じる条件を調べる必要があります。


 本書の構成はつぎのとおりです。
 第1章では中国の最近の状況を見ます。中国では、eコマース(電子商取引)が成長し、電子マネーによるキャッシュレス化が進んでいます。AIによる顔認証機能を利用した決済も導入され、無人店舗が広がっています。また、電子マネーの利用履歴から得られるデータを利用した信用スコアリングなどの新しいサービスも始まっています。
 このように、最先端分野において目覚ましい発展が生じています。固定電話が普及していなかったために、新しい通信手段であるインターネットやスマートフォンが急速に普及し、それがこのような発展をもたらしたのです。つまり、中国の急成長は、「リープフロッグ」なのです。リープフロッグ現象は、これまでも歴史のさまざまな場面で見られました。しかし、これほど大規模に起きたのは初めてのことです。
 第2章では、もう一つの顕著なリープフロッグの例として、アイルランドを見ます。この国は、イギリスの支配下にあって工業化を実現することができず、ヨーロッパで最も貧しい農業国でした。ところが新しい情報技術に対応することによって目覚ましい経済発展を実現しました。現在では一人当たりGDPや労働生産性において、世界のトップにあります。日本の2倍ぐらいの水準です。かつての支配国イギリスをも抜いています。工業社会を経験しなかったために、美しい自然や街並みが昔のまま残されています。
 第3章では、中国の歴史を見ます。人類の歴史の多くの時代において、中国が最先端国でした。紙や火薬などさまざまな技術は中国で発明されたものです。しかし、明朝時代に鎖国主義に陥った中国は、停滞し、ヨーロッパ諸国によってリープフロッグされました。そして、産業革命に対応できなかったことによって、中国の遅れは決定的になりました。
 第4章のテーマは、ヨーロッパの大航海です。遅れていたヨーロッパは、大航海によって新しいフロンティアを開き、やがて中国を追い抜くことになりました。ヨーロッパの中でもさまざまな国の間で次々にリープフロッグが起き、覇権国は、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと交代しました。
 第5章で見るように、リープフロッグ現象は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての第2次産業革命においても見られました。第1次産業革命を実現したイギリスが、ドイツやアメリカに追い抜かれたのです。これは、イギリスの社会構造が、ガスや蒸気機関などの古い技術に適合したものに固定され、電気という新しい技術に対応できなかったためです。
 第6章では、ビジネスモデルについて論じます。新しい技術さえあれば必ずリープフロッグができるかというと、そうではありません。新しい技術を収益化するビジネスモデルが必要です。このことは、とくにインターネットのような情報関連の技術について顕著です。適切なビジネスモデルを確立した企業や人々が、あるいは、新しいビジネスモデルを確立した技術体系が、それを確立できなかった企業や人や技術を「飛び越える」という事
態が頻発するようになったのです。そのもっとも顕著な例が、Google と阿里巴巴(アリババ)です。
 第7章では、日本がリープフロッグできるための条件を検討します。技術とビジネスモデル、そして人材、とくにリーダーと専門家が必要です。これらの条件を満たすのは、決して容易なことではありません。
 個人や企業についても、「リープフロッグ=逆転勝ち」がありえます。個人や企業が逆転勝ちできるような社会でなければ、国全体が他の国をリープフロッグすることはできません。逆転勝ちが可能な社会構造を維持すること、そして、一人一人が逆転勝ちの可能性を信じて、政府の指導や補助金に頼ろうとせずに努力を続けることが必要です。それができれば、日本はリープフロッグし、再び世界の注目を集める国になるでしょう。


 本書の刊行にあたっては、文藝春秋社、文春新書編集部の松﨑匠氏にお世話になりました。また、本書のもととなったnote における連載では、文藝春秋digital の村井弦氏、高橋結子氏、小田垣絵美氏にお世話になりました。これらの方々に御礼申し上げます。
                 2020年10月
                 野口悠紀雄


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