戦前のドレスデンを訪れる(その2)
戦前のドレスデンのバーチャルツアを続けることにしよう。
下の写真は、聖母教会。
この南側にNeumarkt(新市場)というマーケットがあった。下の写真を見ると、露天が出ていて、賑やかな場所になっているのが分かる。
この写真は大分前のものだ(人々の服装から見ると、写真ではなく絵なのかもしれない)。
戦前のドレスデンを訪れる(その1)で見た航空写真だと、教会と市場の間の建物はなくなっているように見える。
ただ、聖母教会の特徴のあるドームは変わらない。
タイトルバックの写真は、エルベから見た光景。聖母教会のドームが中央に見える。
下の写真は、ほぼ同じアングルで、もう少し広い範囲を見たところ。
左に聖母教会のドームが見える。
私は、ドイツ再統一(1990年10月)の直後、1991年にドレスデンを訪れたことがある。そのときには、聖母教会はまだ瓦礫の山だった。
2001年にもう一度訪れた時には、再建されており、観光客が大勢いた。しかし、戦前のような華麗さは取り戻せていないのだろう。
下の写真は、第2次大戦のドレスデン爆撃の前とあと。
爆撃の後、ドレスデンは、まさに瓦礫の山になった。
ドレスデン爆撃を指揮したのは、アメリカ空軍カーチス・ルメイ大佐。彼は、「四角形の縁に焼夷弾を落下させて人が外に逃げられないようにし、その中に大量の爆弾を落とす」という爆撃法を考案した。ハンブルクで最初に採用されたこの爆撃法がドレスデンでも使われた。ルメイは、「ハンブルクやドレスデンを平らにした」軍功により、少将に昇進した。
彼は、東京大空襲も指揮し、ハンブルク、ドレスデンと同じ爆撃法で四辺形の縁に焼夷弾を落下させ、つぎにその中を焼夷弾で焼き払うことで、10万人の東京市民の命を奪った(私は、この大空襲を奇跡的に生き延びた)。戦後、ルメイは「東京を焼いたとき、多数の女子どもを殺していると知っていた」と語った。1964年、日本政府は、彼に勲一等旭日大綬章を授与した。
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