図書館ー2

『アンナ・カレーニナ』(その2)

 第4篇の17には、アンナが出産する鬼気迫る場面があり、18でヴロンスキーの自殺未遂があります。第4篇までを「前半」、そのあとを「後半」と呼ぶことにしましょう。

 私がこの本を読んだのがいつのことだったか?正確な記憶がないのですが、いくつかの傍証があります。
 まず、前半の本には、「1958.10」という日付が書き込んであります。これは、私が高校3年の時です。
 また、キティの(と私が勝手に決めたルノワールの)絵を渋谷の町角で見つけたのは、その時、駒場のキャンパスに通っていたからで、それは、大学1,2年のことです。
 そして、後半の本の奥付のあるページには、「了 昭和36年4月13日」と日付が書いてあります。1961年4月は、私が大学3年生の時です。したがって、読み始めてから読了まで2年半。ずいぶんと長い時間がかかったものです(余談ですが、この奥付には、今はない「検印」というものもあり、下の写真の左のほうに写っています)。 

 受験勉強のために読む時間がなくなってしまって中断したのかもしれないし、前半では息もつかせぬストーリーが展開していくのに、後半は退屈なので、あまりのつまらなさに途中で挫折して中断してしまったのかもしれません。実際、前半については強烈な記憶が残ったのですが、後半については、その後、ほとんど記憶が失われてしまいました。

 『戦争と平和』が、ナポレオン戦争という大きな歴史の動きよって、人々の生活が否応なしに大きな影響を受ける様が描かれているのに対して、『アンナ・カレーニナ』には、それに対応するような大きな歴史の流れはありません。
 この小説の時代は、1870年頃。ナポレオン戦争からは50年以上たっています。その半面で、ロシア革命はまだ50年近く先。ロシアの貴族社会は安定しています。
 また、『戦争と平和』では、ピエールという主人公の人格が成長して様が描かれているのに対して、この作品では、アンナの人格が破滅していく様が描かれているわけで、全く逆です。

 「こんな小説のどこがいいのか?」と言う人がいるかもしれません。
 これは、世界名作リストのトップに選ばれる場合が多いのですが、「なぜそれほど評価されるのか?」というがいる人がいるかもしれません。

 「アンナは自分に誠実に生きたのであって、それが素晴らしいのだ」という人もいます。しかし、それにしては、周囲の人たちの犠牲が大きすぎます。アンナは、夫、息子、そして恋人と、周囲のすべての人たちの人生を破壊したのです。

 トルストイがアンナを肯定していないことは、エピグラフを見ても明らかです。そこには、
 Мне отмщение, и аз воздам
復讐するは我にあり、我これに報いん

とあります。これは、新約聖書「ローマ人への手紙」12章17-19からの引用で、ここで「我」といっているのは、のことです。つまり、悪いことをすれば天罰が下るということです。アンナは、天罰を受けたのです。
(正確に言うと、聖書のこの部分はつぎのようになっています。
 愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。)

 つまり、「復讐するのは神の役目だから、人間が自分で復讐してはならない」ということです。
 なお、私が最初に読んだ新潮社文学全集では、どういうわけか、このエピグラフが省略されてしまっています。このため、私はこの有名なエピグラフが『アンナ・カレーニナ』にあることを、長い間知りませんでした)。

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