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それでも足らない。

これは434回目。緊急事態宣言、緊急経済対策が発表されました。歯がゆくてなりません。

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緊急事態宣言とともに、緊急経済対策の詳細が発表された。
日経新聞朝刊「目先の底割れ懸念和らぐ~株式市場 経済対策に一定評価」によると、事業規模ベースで108兆円で過去最大、真水39兆円というものに最終的にはなっている。

これが、リーマンショックのときの、事業規模56.8兆円、真水15.4兆円や、東日本大震災のときの事業規模23.6兆円、真水2兆円にくらべ、大変なスケールで政策発動を行うという触れ込みだ。
当初言われていた、12-13兆円の真水に比べるとまだマシとは言え、それでも足らない。

この「最大」という言葉に騙されてはいけない。
過去最大かどうかが重要なのではない。
疾病感染拡大→経済停止によって一時的に失われる経済価値に対して、どのくらいの資金投入をするべきかが問題なのだ。

ケインズ的な総量経済の考え方でいくわけだから、GDPの1割、下手をすると2割が一時的には吹き飛ぶと言われている状況だ。計算してみれば、馬鹿でもわかる。

日本のGDPが昨年末で約560兆円。1割減なら56兆円、2割減なら112兆円が必要だということになる。
政府が実際に実弾を投入する財政支出分は記事によれば39兆円。
これまで取りざたされていたよりは遥かにマシだが、それでもGDPの7%でしかならない。明らかに足らないのだ。欧米では確実に1割、ないしは2割の投入だから、話にならない。

そもそも、それ以前に日本は、やってはいけない消費増税をやってしまっており、そこから立ち直れていない。度重なる台風・水害などのダメージからも立ち上がれていない。そこに疾病感染拡大で、事実上経済活動がストップを強いられているのだ。

さらに運用面で問題だ。
日経新聞朝刊「家計『減収証明』難しく~企業、申請手続き煩雑」の記事が指摘している通り、非常に手続きが問題なのだ。危機だと政府が言っているではないか。危機に対して、同じバラマキをするのであれば一気に急速に支給することが重要なわけだ。それが申請ベースというのはそもそもナンセンスであり、役所仕事のとんちんかんさがもろに露呈している。

危機にあって、申請で間に合うなら危機とは言えない。
支給の線引が難しいということで議論が錯綜しがちだが、一気に進めるには強引に線引するよりないはずだ。

それでもドイツで申請ベースが有効なのは、申請からわずか2日で現金振り込みになるからだ。驚異的に速い。豪州でも1週間だという。
日本では6月一杯で支給になるという現実だから、どうみても有効性が劣る。危機対応策とは到底いえない、ばかばかしいくらいにのんびりした緊急経済対策ということになる。

この収入の線引にしろ、申請とその審査という問題にしろ、官僚組織の現場に無用な業務の増大と麻痺を押し付けるだけで、高級官僚が考える政策というものはいつもこの程度のものでしかないところが日本の政治の致命的欠陥だ。

市場は一定の評価はするだろうが、当然これを催促する相場下落というものは諸外国以上に日本では重石となるかもしれない。
間違いなく、補正予算による追加措置が何度か繰り返されていくことになるのだろうが、それならなぜ始めから巨大な支出に敢えて踏み切らないのか、長年この国の役人の知能水準というものに大いに疑問を持っている。
国家公務員試験は廃止したほうが良いとすら思うくらいだ。

聞けば、ドイツは1月6日から、全国民の感染検査に踏み切っていたようだ。日本はまだである。しかも、各国がロックダウンしているにもかかわらず、日本ではこれも中途半端である。法規定が無い、前例が無いとういつものお題目で、みんな「致し方ない」と思い込むのだ。そうやって「やむをえない」という集団心理の感染拡大で、太平洋戦戦争に踏切り、無条件降伏に踏み切ったのではないのか。

一つ、個人的に疑問がある。欧米であれほど猖獗をきわめている疾病感染なのだが、日本ではやけに少ない。一説には検査がきちんと行われていないからだというのだが、必ずしもそうとはいえない側面がある。死者数がそもそも桁違いに少ない。アメリカの百分の一というのはどういうことなのだろう。

こういことに、「専門家」がきちっと答えてほしいものだ。

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