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松本山雅からステップアップした選手でベストイレブン組んでみた


こんにちは!
大変な世の中になってしまいましたが、無事にお過ごしでしょうか。

TwitterやYouTubeなどでも「#StayHome」が叫ばれて久しいですが、休日に一人家に閉じこもった僕が考えた、『山雅からステップアップしていった選手で組んだベストイレブン』が今回のテーマです。
Jリーグに加入してから早くも8年。シャワーを浴びながら過去の在籍選手を思い出していたときに、ふと思いついて見切り発車で書き始めております。
久しぶりに書いているので、稚拙な表現が多々出てくるかと思いますが、そこはご了承ください!

※ダラダラと書いていたら、思った以上に長くなってしまいました。見出しから各選手へ飛べるようになっているので、見たい選手だけでもお読みください!
※※各選手ごとに、僕の中で印象に残ったシーンとしてYouTubeの動画リンクを付けています。ゴールシーンが多いですが、過去を懐かしむ意味でもぜひそちらもご覧ください。


選出対象

・山雅がJリーグに昇格した2012年以降に在籍した全選手
・原則、移籍のタイミングで山雅より上のカテゴリーへ移った選手
 ┗山雅がJ2へ降格したタイミングでJ1クラブに引き抜かれた場合も含む
・期限付き移籍での在籍も含む
・同ポジションで複数の候補がいた場合は僕の独断と偏見で選出


ベストイレブン

出世していった選手たち


GK

シュミットダニエル(2016年)

松本山雅→ベガルタ仙台→シント・トロイデン(ベルギー)

クラブ史上初のJ1挑戦は惨敗で終わり、当時正GKだった村山が湘南に引き抜かれるという事態が発生した。そんな山雅に期限付き移籍でやってきたのが、当時24歳のシュミットダニエル。中央大学時代に3年連続で川崎の特別指定選手に選ばれるなど将来を期待され、仙台に鳴り物入りで入団したものの出場機会はほとんどなし。熊本への期限付き移籍で26試合に出場したが、レンタル元の仙台から再レンタルの形で山雅へ。
しかしこれが転機となる。山雅では白井との守護神争いに勝ち、41試合に出場。初めてシーズンをフルで戦い抜き、昇格プレーオフに進出したチームを最後尾から支えた。
その後、仙台でも激しいレギュラー争いに身を置きながらも出場機会を確保し、日本代表候補合宿にも呼ばれるようになっていく。そして、ベルギーへと旅立ち、今では日本代表も常連になった。まだ28歳とGKとしての最盛期はこれからだろう。早く日の丸を背負い活躍する姿を見ながら「あいつは山雅が育てたんだ」と言わせてほしい。
【印象的なシーン】
2016年開幕戦GKチャント。結構ダンのチャントは好きでした


DF

犬飼智也(2013年-2014年)

松本山雅→清水エスパルス→鹿島アントラーズ

182㎝とCBとしては小柄な部類に入るが、跳躍力などの身体能力が高く、足もとの技術もあるという現代的な選手だった。ただ、何かいまひとつ物足らなさを感じさせる部分もあり、それはメンタル面なのか童顔が故なのか...。
そんな犬飼にとって、反町監督の下でプレーしたことはその後の活躍を見るに財産だったといえるだろう。五輪代表監督を務めた経歴からも分かるように、若手の育成には定評がある反町監督。犬飼に足りなかったタフネス(身体的にもメンタル的にも)や守備の激しさを身に付けて成長していく様子はプレーを見ていて明らかだった。
今でも1試合に1回の凡ミスは解消されていないが、依然よりも回数は間違いなく減った。そして何よりもCBとして、最終ラインのリーダーとしての風格は比べ物にならない。本当に逞しくなった。日本代表を狙うには、常勝鹿島での活躍は近道になると思うので、ポカミス癖を早く治して真のリーダーとして君臨してほしい。
【印象的なシーン】
2013年ホームG大阪戦での同点ゴール


多々良敦斗(2010年-2014年)

松本山雅→ベガルタ仙台

JFL時代から山雅のJ2初期を長らく支えた名選手。身長180㎝と小柄な体格ながら、身体の当て方やポジショニングで巧みにカバーする頭の良い選手だった印象がある。特にJ2昇格後の2シーズンは出場停止もなくフル稼働。当時の山雅はフェアプレー賞を狙えるタフでクリーンな集団のイメージが強かったが、守備で体現していた選手と言っても過言ではないだろう。
しかし、山雅が昇格を決める2015年シーズンになると、大久保の加入で出場機会が激減。翌年に、仙台へと旅立って行った。その後は怪我もあってレギュラーを勝ち取ったシーズンはなかったが、複数のポジションをこなせるユーティリティ性も買われてクラブを渡り歩き、現在はFCマルヤス岡崎に所属している。
【印象的なシーン】
2011年アウェイ新潟戦のゴール(自らの結婚祝い)


エドゥアルド(2019年)

松本山雅→サガン鳥栖

もともと、柏・川崎と渡り歩いてきた選手なのでステップアップと表現するのは少し違和感があるものの、燻っていたタイミングで加入してJ1へ再び舞い戻っていったのでルール上は合っているから選出。(他に思い当たる選手がいなかったのも少しあるというのは秘密で...)
とにかく大小含めて怪我の多い選手という印象だった。左利きでスピードのあるCBなんて、日本中探してもまあそうはいない。こんな貴重な選手なのになぜウチに・・・と思っていたが、結果的にはポジションを勝ち取るまでには至らなかった。日本でプレーしている期間が長いのでベテランと思われがちだが、まだ26歳と選手としてはこれから脂の乗ってくる時期。思わず「マジか...」という言葉が漏れてしまうようなミスがちょこちょこ生まれてしまう癖と、怪我がなければJ1でもフルシーズン戦える選手だと思ってる。
ピッチを離れても、明るく誰からも好かれるキャラクターだけに長く日本で活躍してくれることを願ってます!!
【印象的なシーン】
2019年ルヴァンカップ清水戦のゴール


MF

岩上祐三(2013年-2015年、2018年-2019年)

松本山雅→大宮アルディージャ→松本山雅→ザスパクサツ群馬

個人的に本当に好きな選手の一人。特に大宮へ移籍する前の在籍時の活躍が印象的だったので、フォーメーション図での背番号も8番にしている。
今でこそ少なくなったが、2013~2015年の山雅はとにかくセットプレーが鬼のように強かった。得点分析した際に40%以上がセットプレーの流れからという年もあった気がする。その圧倒的な得点力を支えていたのが、岩上の存在。正確なCKはもちろんのこと、なんといってもロングスローでしょう。自陣タッチラインへのクリアがすべてセットプレーになってしまうなんて、今考えても反則だったと思う笑 人は足で蹴るよりも手で投げた方が正確とはよく言ったもので、岩上は多種多彩なボールを投げ入れていた(←サッカーでこの表現初めて使った笑)
それだけに、大宮に引き抜かれたときはピッチと観客席の距離が近い(助走のスペースがない)ことが魅力のNACK5スタジアムでロングスローは使えるのか...⁉と心配していたが、ボランチで起用されたことも含めて色々うまくいってなかった。筋トレをしまくった影響なのか、帰ってきた岩上はどこかキレがなく、以前のトップフォームを取り戻せないままいなくなってしまった。
それでも、思い出深いゴールは数多い。群馬でも期待してるぜ!!!
【印象的なシーン】
J1ホーム初勝利となった2015年ホーム仙台戦
2015年ホーム清水戦でのFK
Jリーグ最速ゴール記録となった讃岐戦のミドル
2014年アウェイ横浜FC戦のFK


町田也真人(2019年)

松本山雅→大分トリニータ

ジェフの生え抜きとして10番も背負ったアイドル選手がまさかの同カテゴリーのライバルクラブへ移籍...。水戸サポに続いてジェフサポからも憎悪の念を抱かれることになるのかと背筋が凍ったリリースを覚えている。ミシャにバレーボールと揶揄されたスタイルから自分たちで能動的にボールを運んで崩すサッカーへ移行するにあたり、必要なタイプの選手だったことは間違いない。ただ、彼の持つポテンシャルを引き出せたかというと疑問で、関東大学リーグ1部を4連覇と圧倒的な強さを誇った専修大学で、黄金世代の1学年下ながらレギュラーとしてプレーしていた彼の才能はこんなものではないはず。既に30歳と顔に似合わずベテランの域に入っているため、ぜひともこのチャンスにJ1で一花咲かせてほしいものだ。
【印象的なシーン】
2019ルヴァンカップホーム清水戦の豪快なゴール


飯尾竜太郎(2013年-2016年)

松本山雅→V・ファーレン長崎→ベガルタ仙台

隼磨の後に背番号3を背負う男だと僕が勝手に思っていた選手。アップダウンを苦にしない豊富な運動量と献身性は、まさに山雅のバンディエラにふさわしいと思っていたが...。2017年に突如として同カテゴリーの長崎へ移籍。そして長崎でJ1昇格を果たしたのち、チームは降格してしまうが飯尾個人で仙台へ移籍してJ1残留を果たした。
飯尾の移籍が電撃的だったこともあり、批判する声も少なからずあった。(理由は分からないが、お世話になっていた恩師が長崎のコーチにいた縁もあり移籍したとの噂もあった)ただ、個人的には隼磨が衰えることなく君臨し続ける山雅で2番手としてベンチを温めるよりも、レギュラーとして迎え入れてくれる長崎に純粋に魅力を感じたのだと思う。プロサッカー選手である以上試合に出てナンボだし、短い選手生命を無駄にはしてほしくない。結果として出場機会を得たことで市場価値が上がり、J1クラブへステップアップしたのだから良かったのだろう。
それに、長崎で背番号3番を身に付けてくれたことが、彼なりの山雅への気遣いなのかもしれない。
【印象的なシーン】
2017年アウェイ長崎戦古巣相手に決めたゴール


石原崇兆(2015年-2018年)

松本山雅→ベガルタ仙台

加入した2015年こそ出場機会が限られていたが、翌16年以降はレギュラーとしてコンスタントに出場機会を得た。ボールを持つとスタジアムが沸く貴重な選手であり、後述する前田直輝を含めてロングボール主体だった山雅においてドリブル突破を武器とする異色の選手だった。
スピードに乗った時は手が付けられない一方で、無謀な仕掛けからボールを失うシーンも少なくなく、もろ刃の剣という印象がぬぐい切れなかった。左サイドからのカットインからファーへ巻いたシュートという形はもっているので、後は形を分かっていても止められないくらい磨くか選択肢を増やすか。山雅でのラストシーズンは左WBでの起用が多く、ドリブルの開始位置が低かったために持ち味を出せていなかった。
ツボにハマった時のドリブルはJ1でも通用するので、ぜひとも守備陣を切り裂く姿が見たい。
【印象的なシーン】
2018年ホーム大宮戦の一発。これぞ石原の型というゴール


FW

前田直輝(2015年、2018年)

松本山雅→横浜・F・マリノス→松本山雅→名古屋グランパス

「ギンギラギンのドリブルが~♬」というリズミカルなチャントと相まって、短い在籍ながら愛された選手の一人だろう。
左足で小刻みにタッチしながら相手との間合いを測り、DFの重心移動の逆を取る上手さと一瞬のキレには絶対の自信を持っていた。その自信はすさまじく、持てば例外なく必ずドリブルを仕掛けるという突貫小僧。
J1クラスのDFでも2人程度なら相手できる彼の存在は、個々の質で劣勢になることが多かったJ1初挑戦の山雅には本当に大きく、ボールの預けどころとして機能していた。前述の石原の項でも書いたが、ボールを持つだけでスタジアムが沸き上がり何か起こしてくれそうな雰囲気を持っている、ある意味「お金が取れる選手」だったと思う。
それだけに、二度目の在籍となった際の別れ方には寂しさを感じた人も多かったのではないだろうか。改めて、人間誰しも別れ方というものが大切なのだと感じた瞬間だった。
【印象的なシーン】
2015年ホーム神戸戦のゴール


船山貴之(2011年-2014年)

松本山雅→川崎フロンターレ→ジェフユナイテッド千葉

山雅のエースと言えば、僕の中ではいまだにこの選手なんだよなあ、というくらい印象に残っている船山。川崎を経由してJ2のライバルである千葉へ加入したことで、アンチを一定数抱えてしまっているが、実力に疑いの余地はない。
決めてほしい時に決める男、それが船山だった。特に2014年はチーム総得点65点のうち19点を決める大車輪の活躍で、ストライカーとして完全に覚醒した年だった。それだけに川崎への移籍に疑問を抱いた人は多かっただろう。エースとしての自ら引き上げたチームで一緒に挑戦してくれよ、と。彼がいてくれたらひょっとすると山雅のJ1初年度の結果は変わっていたんじゃないかと思わされるくらいに、当時は船山のチームだった。
32歳のベテランになって今は、千葉でエースとしてキャプテンとしてチームを引っ張っている。昨季はキャリアハイに並ぶ19得点と、輝きを取り戻しつつあり、あと15点に迫っているJ2通算100得点の達成も十分射程圏内だろう。J2屈指のストライカーとして、山雅との試合以外で大活躍を期待したい。
【印象的なシーン】
2014年昇格を決めたアウェイ福岡戦の先制点
2014年ホーム大分戦のループシュート


前田大然(2016年、2018年-2019年)

松本山雅→水戸ホーリーホック→松本山雅→マリティモ(ポルトガル)

生え抜き選手で一番の出世株。
高卒で入団した際は、ただ速い選手という印象だったが、水戸でスピードの活かし方を身に付けて覚醒した。速さを活かすオフザボールでの駆け引きや、守備での貢献、ゴール前での落ち着きなど水戸で成長した部分は大きい。山雅に戻ってからは得点数こそ伸び悩んだが、シンプルな速さは間違いなく相手の脅威となっていた。特に自陣に押し込まれた際に、サイドのスペースへ走らせることにより陣形を立て直し、あわよくば盤面をひっくり返すこともできる点で存在感は抜群だった。
前田が夏に移籍した後から、攻撃において町田や杉本らが絡むパス主体の色合いが濃くなったのは、ひとえに「戦術前田大然」が使えなくなったことが大きかったと思う。
昨今の世界情勢により、期限付き移籍という身である前田がどうなるかは分からないが(日本に帰ってきてもリーグが再開するかも不透明だが)、一定の出場機会は得られているようなので是非とも世界で腕を磨いてほしいと思う。
【印象的なシーン】
2019年ホーム鳥栖戦。DFより後ろからスタートしてるのに初速で抜き去った



まとめ

思い出深い選手が多く、とても長くなってしまいました..!
ステップアップしたと思ったら、同カテゴリーのライバルとして相まみえるというような選手も多く、J1で活躍することの大変さを実感する結果に。
また、ベガルタに輸出している選手の多さにも驚き。笑
今回常田を貸し出してくれたのも、今までのお付き合いの結果でしょうか。どうぞこれからも末永くよろしくお願いしたいところです。

最後に、Stay Homeで再会の時を待ちましょう!
ではまた!


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