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1984年夏、小倉にて

父は何気なく軽い気持ちで言ったのだろう。それを僕も軽い気持ちで、なかば小旅行気分で行ってしまった。何とも世事に疎い家族であった。

夏休み、父の実家へ、僕は一人で法事に行った。

その街に降り立ち、僕は美しい不思議な女の人を見ることになる。
その人を僕はその後の人生で何度も見かけることになる。
何年にもわたり偶然見かける人が全て同一人物であることなど有り得ないことだけど、僕には全て同じ人に思えてならない。

電車を降り、うだるような暑さにさらされながら、一人でこの街に来るのは初めてだったと気づく。肌に纏(まと)わりつく水分を多く含んだ空気でゆがみながら遠ざかる路面電車を見つめながら、僕は立ちすくむ。
額の汗がしたたってくる。暑さのせいだけではない。
「わからない」
父の実家への行き方がわからない。

人に道を尋ねる前に駅前を少し歩いてみる。幼い頃に母に連れられて歩いたような、歩いてないようなアーケードの商店街に向かってみる。
いや、おばあちゃんだ。この街を両親と歩いた記憶は、やはり無い。
幼い頃に訪れたこの街を大人と一緒に歩いたとしたら、おばあちゃんとしか歩かなかったはずだ。
街で誰かにお土産を買ったときも、近所の公園に迎えに来てもらい帰ったときも、さびれた露天の商店街でコマを買ってもらったときも、僕はおばあちゃんの周りを跳ねるようにして歩いていた。

鉄粉のような独特の匂いがする、栄華の頃をとうに過ぎた過去の街。
幼い頃の記憶をたどり、父の実家への道標を探す。
あった。あの路面電車、肌色と燻んだオレンジ色の塗装がされているあの電車だ。あれが父の実家がある坂の麓を通るはずだ。

僕はゆっくりと歩きだした。

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