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教科書の紹介――事前の視点と事後の視点

この記事は、興津征雄『行政法 I 行政法総論』新世社(2023年)の情報記事です。

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以前の記事(「教科書を執筆して――サッカーのプレーと法律論の論証」)で次のように書きました。

もっとも、法の解釈適用は個別性が高く、本書の説明はあくまでも単純な例を素材とした例解にすぎません。読者が自分の言葉で法の解釈適用の過程を言語化できるようになるには、判例研究や事例演習などを通じ、具体例に数多く接して練習や経験を重ねるしかありません。司法試験の受験を考えるのであれば、やはり問題演習に取り組むことは避けられません。しかし、従来の行政法の教科書には、その入口に連れて行ってくれる説明すらありませんでした。本書の第7章「法の解釈・適用と行政裁量」や第15章「個別法の解釈と適用――実体的違法事由(その1)」は、その欠を埋めることを狙っています。本書の「売り」になればいいなとひそかに願っているところです。

今回は、「本書の『売り』になればいいな」と書いた第7章の導入部分をご紹介して、法の解釈適用について本書がどのようなアプローチで説明しようとしているのか、その一端をお話しします。
以下に抜粋するのは、第7章「法の解釈・適用と行政裁量」→7.2「法の解釈・適用」→7.2.1「要件・効果の構造の把握」の冒頭部分です(本書の細目次はこちら)。

設例  出発点として、以下のような設例を考えてみよう。

【設例7-1】一級建築士であるXは、Y県に所在する十数件の建築物について、その設計者として建築基準法令の規定に定める構造基準に適合しない設計を故意に行うことにより、耐震性の不足する構造上危険な建築物を現出させたことが明らかになった。国土交通省では、Xに対し、建築士法10条1項1号または2号に基づき、懲戒処分を行うことを検討している。あなたは、処分権者である国土交通大臣の補助機関として、懲戒処分案の起案を担当することになった。建築士法の規定をどのように解釈・適用すればよいだろうか。(最判平23.6.7[判Ⅰ112][百Ⅰ117]をベースとした設例)

建築士法(昭和25年法律第202号)
(懲戒)
第10条 国土交通大臣又は都道府県知事は、その免許を受けた一級建築士……が次の各号のいずれかに該当する場合においては、当該一級建築士……に対し、戒告し、若しくは1年以内の期間を定めて業務の停止を命じ、又はその免許を取り消すことができる。
一 この法律若しくは建築物の建築に関する他の法律又はこれらに基づく命令若しくは条例の規定に違反したとき。
二 業務に関して不誠実な行為をしたとき。
2~6 (略)

事前の視点と事後の視点  この設例は、行政庁の補助機関の立場で処分案の起案をする設定であり、視点が処分を行われる前に置かれている。それに対し、視点を処分が行われた後に置くと、「国土交通大臣がXに対してした懲戒処分は適法か(違法か)」という問いかけになる。法学部・法科大学院の試験や司法試験では、後者の形の問いが圧倒的に多い。

しかし、視点を事前に置くか事後に置くかは、同じ物事の表裏にすぎない。事前の視点としては、処分を正当化するために、根拠法の定める《要件→効果》の構造を正しく解釈・適用する必要がある。事後の視点としては、処分の適法違法を検討するために、《要件→効果》の構造に関する解釈・適用に誤りがなかったかどうかをチェックする必要がある。

視点を事前に置くにせよ事後に置くにせよ、検討すべきことの本質は変わらない。事後の視点に立った違法性の検討は第2部で詳しく行うので、ここでは事前の視点から、処分をするためにどのような法の解釈・適用のプロセスを経るかを分析していこう。

【設例7-1】のベースとなった最判平23.6.7は、行政手続法14条1項本文の不利益処分の理由提示に関して有名な判例ですが、ここでは、行政手続の問題としてではなく、処分の根拠となる個別法(このケースでは建築士法)の解釈・適用の素材として示しています。建築士法10条1項における《要件→効果》の構造が単純でわかりやすいためです。

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行政法の事例問題は、多くの場合、行政処分などの行政活動が適法か違法かを論じさせる形で出題されます。上の設例でいえば、国土交通大臣がXに対して懲戒処分を行ったという前提のもとに、「この懲戒処分は適法か」という形で問われます。
このような問題を解くときに、慣れないと処理が難しいのは、行政庁は処分という形でいったん法の解釈・適用を行っているので、その適法性を論ずるために、行政庁が行った法の解釈・適用を後からたどる形で審査(チェック)することが求められることです。

学生の皆さんが行政法を学ぶ前に学ぶ多くの法律――たとえば民法や刑法――では、誰か別の人が行った法の解釈・適用を、後からたどる形でチェックすることが求められることは、ほとんどないのではないかと思います(憲法では立法者の判断をチェックすることが求められますが、そうであるがゆえに憲法の事例問題を解くにもまた民法や刑法とは異なる扱いが必要になるのだと思います)。
たとえば、一定の事実関係が示された上で、「XはYにどのような請求をすることができるか」「Xの罪責を論ぜよ」などの形で問われた場合、解答者は、自分が裁判官になったつもりで、民法や刑法の解釈・適用を一から示すのではないでしょうか。つまり、民法や刑法の世界では、自分が第一次的な法の解釈適用者です。

行政法の事例問題では、そうでないことが多いのです。すでになされた行政処分の適法性が問われる場合、第一次的な法の解釈適用者は処分を行った行政庁です。その審査を行う解答者は、第二次的な存在です。行政庁がすでに示した法の解釈適用の結果(それは多くの場合処分理由という形で示されます)をどう扱って、第二次的な立場で法の解釈適用を示せばよいのか、初学者はまずこの点に戸惑いを覚えることが多いように思います。
上の引用部分の「事前の視点と事後の視点」で述べようとしたのは、この区別です。「事前の視点」が民法や刑法と同様の第一次的な視点、「事後の視点」が行政法でよく問われる第二次的な視点ということになります。

【注釈】行政処分の司法審査の方法として、行政裁量が認められる場合には行政庁の判断過程を追跡(追試)的に検証することにより行われ、行政裁量が認められない場合には判断代置により行われる、などと説明されます(本書もそのように説明しています)。しかし、結果的に行政裁量を否定して判断代置を行う場合であっても、行政庁が第一次的に示した法の解釈適用の結果をどう扱うか、という問題は残ります。

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しかし、初学者が戸惑いを覚えるのもやむをえません。なぜなら、行政法の世界でも、第二次的な視点(事後の視点)に立って、第一次的な法の解釈適用者の判断をチェックするという作業は、応用編だからです。基礎となるのは、第一次的な視点(事前の視点)で法の解釈・適用をどのように行うかです。この点は民法や刑法と変わりません。
そこで、第一次的な視点(事前の視点)で、処分の根拠となる個別法の解釈・適用をどのように行うかを、行政庁の立場に立ってまず体験してもらおうというのが、上に掲げた【設例7-1】の趣旨であり、第7章全体の目的ということになります。
それを踏まえて、第二次的な視点(事後の視点)ですでに行われた行政処分の適法性をどのように検討していくかは、第15章「個別法の解釈と適用――実体的違法事由(その1)」を含む第2部「実践編:行政法を使う」で本格的に説明されることになります。第1部で基礎を学び、第2部でその使い方を学ぶという構成です。

このように、第一次的な法の解釈適用者の視点と、第二次的な法の解釈適用者の視点を区別した上で、まず第一次的な視点を理解するという構成は、一般的な教科書(基本書)や演習書では、見たことがありません(見落としていたらすみません、ご教示ください)。個別法の解釈・適用を丁寧に解説した本でも、多くのものは第二次的な視点(事後の視点)を中心としているか、第一次的な視点(事前の視点)と第二次的な視点(事後の視点)をはっきり区別していないように思われます。
上の引用部分にも書いたように、第一次的な視点(事前の視点)と第二次的な視点(事後の視点)は、表裏一体であり、慣れてくると意識せずとも使い分けられるようになりますので、この二つの視点を分けて説明することは、同じことを二度くりかえして説明している感もあります。多くの文献がこの二つの視点をわざわざ分けないのも、そうした理由によるのでしょう。

しかし、私は、分けたほうがわかりやすければ、たとえリダンダント(冗長)になってページ数が増えることになっても、わかるように説明することを本書では選択しました。その結果が、本文800ページ超という本書の鈍器化につながっているわけですが(もっともソフトカバーなので物理的威力はそこまでではないと思います)、それでもやはり「本書は体系書ではなく教科書である」と著者が主張したい理由はこのあたりにあるわけです。

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