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相国寺「武家政権の軌跡―権力者と寺」

相国寺の「武家政権の軌跡」を見てきましたー 足利将軍家にまつわるものたくさんで楽しかったですー!
お寺の人に話聞いてきたりしたので、感想含めてざっくりとメモ。
個人的な備忘録的なメモなので、かなり適当です。

足利義満の木像

(質問)
制作年代が室町時代なのに、最近作られたみたいに綺麗なんだけど、どうして?

(回答)
仏具屋さんに修復してもらいに出した結果、そういう塗装になったらしい。
割りと昔からこんな感じの修復があったそうで、平成に入ってからの修復もあったそうな。
お寺の人は「勿体ないと思うんですけどね」「よくないですよね」とおっしゃってました。

なお、隣に飾られてた足利義満の肖像画の服の柄を参考にしたとか、その服の柄も修復の時に変わってしまってるとか、なんかそーいう感じの話してました。

あと「鹿苑院」という義満の菩提を弔うとこが相国寺内にあったけど、明治に入って失われたそうな。
今、Wikipediaで調べたら載ってた…
鹿苑寺とはまた別だそうで、ややこしい…

あと、足利義満は、どうしても皇位簒奪疑惑がつきまとってて、いろいろ扱いづらいらしい。
最近の話では、その説は濡れ衣らしいんですけどねぇ…

足利義教&足利義政肖像画

(質問)
有名でネットに出回ってるのと全然違うし、製作時期が江戸時代なんだけど、、これ適当に描いたの?
義政→やたらとりりしい、アイライナー強め
義教→よく知られてるのに比べて太ってる、神経質そうじゃない

(回答)
どうも50年に一度くらい書き直されてるらしく。
なので、最初のやつはちゃんとその人を参考にして描かれてるはずで、適当で想像ということはないそうな。
伝言ゲーム的に変わっていったのか、描かれた時代が違うのか、その辺は不明。
まぁでも、義政は若く描かれた、義教は太った、くらいの変化といえば
そうなので、時期的な問題なのかなぁ…

徳川将軍家の書状を届ける輿

(質問)
お寺の取り決め関係の幕府からの書類を届ける輿があったんだけど、書類とどけるだけにしては大きすぎる…
いっぱいあったからなの?

(回答)
別にたくさんあるわけではない、こんなデカくなくても入る。
ただ、幕府から送られる超重要な書類だから、葵の御紋もついてて、すごい輿にのせてるそうな。

足利義政の使ってた龍型の墨

(質問)
龍の指が5本で、確か中国ではこれって皇帝しか使えなかったはずだけど、5本のを義政が持ってるのは何故?

(回答)
日本では適当で、あんまりちゃんと決まってない。
天皇とか将軍とか、そーいう人ならとりあえず5本にしちゃってOKという、わりとざっくりしたノリ。
中国みたいにきちんとしてないらしい。

耳川の戦い合戦図屏風

(質問)
島津の合戦図屏風がなんで相国寺にあるの?
関係あったの?

(回答)
ぜんぜん関係ない、最近手に入れたものらしい。
なお、屏風で笛を吹いてる人がいたので聞いてみたけど、お寺の人はこの人がなんなのかは忘れたとおっしゃってましたw
まぁ、忘れるよね…
私も、忘れないようにこーいうふうにメモってるわけだし!w

印象に残ったもの

足利義嗣肖像画

初出品で、ネットにも画像が出てこない。
顔のあたりがしろ塗りでボロボロで、眉毛ないせいか、なんか猫みたいな顔してたw

足利義政と足利義尚の和歌

・足利義政の書は文字から教養や優雅さを感じました
・息子の足利義尚の書は若さと勢いを感じました
先入観かもしれないけど、でもやっぱ義政の方は一目で雅さを感じたし、義尚の方はだいぶ違ったかんじだった。

足利義稙肖像画

一番有名な東京国立博物館にある肖像画とほぼ同じだけど、服の柄が違った。
微妙にうっすらとだけど柄が描いてた。
初出品なんだそうな。

春屋妙葩肖像画

なんか顔がめちゃくちゃインパクトありましたw

秀吉の勧進帳

なんか秀吉が諸大名に命じたやつで、諸大名の名前が載ってたんだけど、「那須与一」って名前が出てて、ナンダコレとなりました。
質問したけど、いまいちわからなかったw
「与一」はなんか官職名みたいですね…
wikipediaで「那須与一」を調べたら、なんか代々那須与一を名乗ってた的な話がありました。

足利義満の「放下便是」の書

「すべての執着を捨て去れ」という意味の書だそうな。
いや、義満は執着捨て去るどころか、色々集めまくってるような?
…と思って調べたら、それは「放下着」で「放下便是」は、「あれこれ工夫する心を捨てるのが大切」という意味で、なんか禅問答なんだそうな。
どっちにしろよくわからないけど、禅問答だからなぁ…
別にこれを書いたのは深い意味はないのかもしんない。


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