P活って何?から始まった私の原点回帰。

仲良しのフォロワーさんが「P活」についてツイートしていた(仲良しだと思っているのは私だけかもしれない)。

「P活」という言葉自体が初耳の私は「P」から連想するものが何も浮かばなかったのでソッコー検索した。そしたら「パパ活」という仰天活動が検索結果として滝のように垂れ流された。※知らない方はぜひTwitterで検索していただきたい。

「世も末!」と思ってギョッとした。

ま、かくいう私も若かりし頃は異性関係で親世代がギョッとするような「世も末」的な事もしてきたのだけれども。

でも他人のふんどしで相撲を取った事はないぞ!と有象無象な自信があるため、今ブームの「P活」とは違うと自負している。

そこでひらめいた。

そもそも「P」なんてカワイイ小鳥を彷彿とさせるような字を使うからいけないんだ。やってる事を考えてご覧なさいよ。もうこれは「P」じゃない。

「陰活」、「珍活」、「愚活」

とかに改名したらいいんじゃないかと。どれもこれも、カワイイ物とかキラキラした物が三度の飯よりも大好きなギャル達がどん引きするネーミングだ。我ながらセンスが光っている。

だいたい、メディアもどうなの?「弊社はあえて”P活”は使いません。”巷でP活と呼ばれている珍活動”という表現をします」という骨太なメディアがそろそろ出てきてほしい。倒幕レベルで。

なんて言いながらも、この不安定極まりない現代に私が若者として生きていくとしたら、一体どうするのだろうか?と考えた。

時代は遡り、私が高校生の時。バブルが崩壊し、どこかの高校で高卒での就職内定取り消しが出て大きなニュースとなったことを覚えている。大学での就職活動の時期はどの企業のファイルにも「本年度の新卒採用予定なし」という書類が挟まれていた。「ふーん」とぼーっと考えていた。卒業したらバイトでもすればいっか、と思った。

しかし、そのタイミングで我が家が破綻し、メンバー4人(父母兄私)が離散した。そこで私は退学を選んだ。父の経営する会社が倒産し、お金がなくなったからだ(父は蒸発し海外に行っていたw)。それを知った幼い頃から仲の良い叔父が「卒業までユキの学費は俺が出す」と言ってくれたが、親族であれ借りを作るのが嫌だった。子供の頃、親と別々に暮らしていた時期があるから、親に負担をかけるのも嫌だった。母が一番大変だったし頑張ったし苦労した。いつも笑っていたが。だから何が何でも私が浪費するのは嫌だった。

お金がない今、卒業しても就職すらできない学校に行く意味って何?

その時の私の答えは「何の意味もない」だった。

専門的な勉強?友達との想い出作り?青春の謳歌?自由時間の満喫?

どれも私には必要なかった。というか、学校にいなくても、自分のやる気次第でどれも叶える事ができると思った。

1年の秋に退学した私を、母は心配した。「しっかりしているようで、影響されやすく流されやすい私」をよく知っていたからだ。

母の予想通り、夜遊びも増えたし生意気にもなった。いわゆるロクデナシ。でも、それを無駄だったとは思わない。反省する事が山ほどあるし、ひどい言葉も使っていた。間違いだらけの美学。今振り返ると、常識的な大人がギョッとするような「世も末」の象徴的な若者だったかもしれない。

でも、その経験のおかげで、自分は自分勝手で御都合主義だということを知った。そして、プライドが高くて頑固者だということも知った。

けれど、それまで培ってきた物は性根にきちんと残っていた。

私にはやりたい事があったし、どうやったら自分が満足するかも知っていた。さんざん迷子の子猫ちゃんのようにあちこち練り歩いて行き止まりになったり立ち往生したり落とし穴に落ちたりしたけど、全部自分の「イタい経験」を「財産」に変えようと思った。イタい経験をイタい経験のままにしておくか、それを財産に変えるか。財産に変えたところで別に有能でも賢人でもない。ただ、イタい人間のままでいるよりはマシだ!と思った。

長々書き綴ってきたが、珍活(P活)をしている若者を頭から否定はできない。と気がついたのだ。自分のしてきた珍活は今流行の珍活(P活)よりましだ、と一瞬でも思った自分を恥じた。「珍活」に程度の差なんてない。いつの時代も「珍活」は「珍活」だ。

そう、私も内容に違いはあれど、常識的な大人から見たら「世も末」な「珍活」をしていたのだ。

そんな自分と照らし合わせてみると、珍活(P活)をしていても、そこから戻れる母屋がきちんとあるのなら見守るしかないんじゃないだろうか、と思ったのだ。

愛情がすべて。愛されてきた子には、必ずいつでも戻れる場所がある。原点回帰できるのだ。

私は11歳から2年間、親と離れて暮していたし最後は一家離散もしたが、きちんと愛されていたと思う。頑張り屋さんで天然キャラの母のことも、頭は超絶良いがロクデナシな父のことも、大好きだ。放置されていても、蒸発されても、大好きだ。

てことは、珍活(P活)をしている若者たちが本領発揮するのは、珍活(P活)に飽きた頃なんじゃないか?大切な物を捨ててしまったように見えるが、実は捨ててなんかいなくて、忘れているだけなんじゃないか?珍活(P活)よりももっと楽しい事を見つけた時に、どんな行動に出るのだろうか?

何よりも、簡単に見捨ててしまう大人(私)に問題はないのか?※売春は論外(語る価値なし)なのでここでは触れません。

だから、今珍活(P活)をしている子達と話をしてみたいと思った。どんなこと考えてるんだろう。寂しいのかな。挫折したのかな。日本に絶望してるのかな。それともなーんも考えてないのかな(笑)。

でも彼女たちなりに、この生きにくい現代を、どうにか楽しく、背伸びしながら、必死に頑張っているのかもしれない。「私は不幸じゃない」と言い聞かせながら。かつての私がそうだったように。

とりあえず、自分で勉強して必死こいて仕事して自力で稼ぐのって結構面白いよ( •̀∀•́ )✧という姿を見せられる大人になりたいな、と思った。それは、私の仲良しのフォロワーさんたちも同じ想いだ(繰り返しになるが、仲良しだと思っているのは私だけかもしれない)。

※見直しなしの一発勝負記事のため誤字脱字・意味不明瞭な箇所がある可能性があります。ご了承ください😣

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