見出し画像

【映画感想】オッペンハイマー/追体験は何を意味するか?

この男が、世界を変えてしまった-


ついに観てきました!

歴史の渦に巻き込まれながら葛藤するオッペンハイマーという人物に焦点を当てた映画

ストーリーは、オッペンハイマーの若いころ、原子爆弾を完成させ広島・長崎に投下したころ、戦後に水素爆弾の開発についての主張を強めるころ、と3つの構成に分かれています

180分の大作になったこの映画でオッペンハイマーの人生を、私も追体験してきました

まず、オッペンハイマーの不安定な心を表すかのように、音楽や演出が、最初からどこかずっと緊張感があって、観ているこちらの気持ちも不安定な浮遊感に包まれます

物語が進み、原子爆弾の完成が近づくにつれて高まる、オッペンハイマーの葛藤と緊張感、、、気が付けばのめり込み、オッペンハイマーを通して原爆に関する歴史を追体験していました

文字通り、原子爆弾を生み出し世界を変えてしまったこの男の追体験にのめり込むことで、兵器を生み出すことの責任、軍事利用されることの責任、戦争を原子爆弾で無理やり終わらせ救われる命と、無差別に奪った命の責任、色んな葛藤を観るものは考えざるを得ない状況に、、、

映画を観て思ったのは、この、のめり込むことで「考えざるを得ない」のが大事なのではないだろうか、ということ

ノーラン監督は作品の解釈についてインタビューなどで答えていないようですが、ここがこの映画のポイントなのかなと感じました

なぜなら、私たちはオッペンハイマー自身を追体験することによって、「自分で原子爆弾や歴史について、考え、結果を想像し、関心を持つこと」に繋がるから

私たちは、歴史を学び戦争の終結と原子爆弾は無くなるべきだ、という認識ではいても第二次世界大戦時の悲劇も、現在進行形の戦争も、どこか遠い話になりがち

正直私も、恥ずかしながら授業やニュースの話という感じ、、、

原子爆弾、またさらに強い兵器(になりうる研究)に関して、立場が違えば主張も違うだろうが、それを自分で考え葛藤することが正しい道に進んでいくために大事なのかもしれない

だからこそ、一方的な主張の仕方ではなく、一人の人間であるオッペンハイマーの人生史から揺れる感情を描くこの映画は、どんな立場の人にも受け入れられ、それでいて、世界が平和であることを願う映画になっているように感じました

最後に、きっとこの映画が製作されるにあたり原子爆弾や歴史に関する膨大な調査とインプット、表現に至る議論がされてきたと思います

映画からの情報量だけでも大変な量でした、、、

映画館にいる客層は幅広く、年齢や国籍関係もなく観られ、ヒットに繋がったことは、今も残る原子爆弾に関する問題や戦争の問題に対して深く問いかける作品になり意味あるものだと思いました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?