【ライターへの道】始まること、終わること #4
振り返りながら書いていたこの【ライターへの道】も、段々と現在に近づいている、、、
この先の出来事が、振り返る過去よりも、もっとワクワクするものでありますように。
第3の道
私はどうやってライターを目指していけばいいのだろう。
退職して、ライター講座に通おうか。
それとも、異動の打診を受け入れてライティングの経験を積もうか。
悩みに悩んで、私の尊敬する人がつくったキャンプ場に出かけた。
帰宅後、早速上司に「答えが出たのでまた面談してほしい」とチャットした。
数日後にオンラインで面談することになったが、最後に「期待してるよ」というメッセージ。
心を決めたとはいえ、期待に応えられない罪悪感でいっぱいだった。
上司との面談までのある朝、いつものようにアラームを止めるついでにSNSをチェックしていたら、いつも何となく見ている求人サイト『日本仕事百貨』の記事が目に留まった。
島暮らし。
住まいと仕事が用意されている。
給料をもらえて家賃は無料。
色んな仕事を相談しながら決められる。
様々な経歴の人たちと出会える。
え、そんな面白そうなことある?って、読み進めながらワクワクが止まらなかった。
それは『大人の島留学』というプログラムへの参加者を募集する記事だった。
島根の隠岐諸島(島前地域)で、1年間仕事をしながら島暮らしができるというもの。
島暮らしだけで面白そうなのに仕事まで出来るなんて。
しかも、その記事の中でインタビューを受けていた留学生が、まさに私のやりたいようなことを仕事にしていた。
島留学生や島の人たちを取材してnoteにまとめる仕事。
色んな生き方や働き方をしている人たちに出会って、文章が書ける仕事。
とにかく経験を積みたいと思っていた私にぴったりのプログラムだと思った。
気が付いたら記事を全文読み終えていて、遅刻ギリギリ。
慌ててベッドから起き上がり、パンをかじりながら家を出た。
1時間の通勤時間で、大人の島留学についてnoteやHPで色々調べて、職場に着くまでには行くことを決めていたと思う。
とりあえず母に帰ったら話したいことがある!とLINEした。
母は絶対共感してくれると思っていたが、想像通り、私と同じように島暮らしにワクワクしてくれた。
でも、父にこういう話をするのはちょっと緊張する。
最終的には応援してくれるというのはわかってるけど、一旦は嫌な顔をされるのもわかってるからだと思う。
どんなタイミングで父に話したか覚えてないけど、「1年後に本州のどこかに戻ってくるならいいよ」という条件付きで応援してくれた。
寂しさはあるけど、父から見ても良い選択だと思ったのだろう。
母が「あんまり何も言ってこなかったね」と言うほど、父は案外あっさり許してくれた。
久しぶりの面接
私は、そうと決まれば行動は早い。
早速申し込んで、面接の日程が決まった。
久しぶりの面接。
緊張はするけど、これだ!と思った直感は自信になる。
面接は、志望動機とか島でやりたいこととか、基本的なことを聞かれた。
答えられなかったこともなかったし、落とすような面接じゃないだろうと思ってたけど、結果が出るまではやっぱりソワソワした。
1週間〜10日後くらいに結果が出て、無事合格。
メールには、「ぜひ大人の島留学へ飛び込んで来ていただきたいと思っております。」と書いてあった。
きっと飛び込んだら受け止めてくれる温かさが、ここにはあるんだろうなと安心した。
最後の面談
島留学の面接後、選考結果が出る前に上司との面談があった。
お互い緊張の中始まった面談は、アイスブレイクもなくいきなり本題へ。
「やっぱり1月末で退職しようと思います。」と最初に伝えると、上司の焦りが伝わってきた。
結局、異動する道でもなく、辞めて講座に通う道でもなく、島留学で経験を積むという第3の道に進む決断に上司は驚いたと思う。
「道を踏み間違えるな」
「何で伝わらないかな」
割と強い口調でそんなようなことを言われた。
覚悟を持って臨んだけど、その覚悟も揺るぎそうなくらいに、上司は言葉を選ばず、必死で想いをぶつけてきた。
本当に苦しかったけど、「充分伝わってます。でもやりたいんです。」と、そう押し切った気がする。
納得はいってなかったかもしれないけど、最後には「わかった」と受け入れてくれた。
私はあの時の上司の顔をきっと忘れることはないと思う。
別の上司と最後に意思確認の面談をしたけど、想いのぶつけ合う本気の面談のした後は、覚悟も余計に固まっていた。
こうして、私は計7回の面談を経て1月末に退職することが確定した。
こんなにも一社員のキャリアに向き合ってくれる会社は他にない。
本当に大正解のファーストキャリアだった。
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