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私はきっと強すぎて弱すぎる


noteだけは素直な自分でありたい

人生なんて上手くいかないことの連続だ

よく色んな人が言う。本当にそう、上手くいかないことの連続。本当に大変。

友達とか仲間とかのSNSとか、noteもそうだけどみてて暗と明がいいバランスである人とかキラキラだけな人とかはいるけどあんまり闇で埋まってる人はいないからなかなかnoteを書こうと思っても進まない。

でも、みんな絶対上手くいくことと行かないこと行かないことがあるし、弱音を吐いても許してくれる人が周りにたくさんいることを知ったからnoteだけは自分に素直に文字に残せたらうれしい。

いつか振り返った時に「病んでんな」と自分で笑えたら嬉しい。笑




私にはグラデーションがない


そんなnoteを闇で埋めることを許容した私には最近めちゃくちゃ悩んでることがある。それは、人との関わり方。

色んなものがオンライン化されて、Zoomを使うようになってボタンひとつで自分の存在が消せたり、みんなが気を使って黙る機会が増えたりすごく難しい。

みんなが黙ると“やばい!”と勝手に危機感を感じて能天気にワーワー騒いでみたりたくさん意見を言ってみたり誰かの意見に食いついてみたりしちゃう。それで終わってからでしゃばりすぎた、他の人の機会を奪ってしまったと反省する。

反省を活かして次の回では静かにしようと試みる。そうすると静かにしすぎて機嫌が悪い人と思われちゃう。負のループすぎる。一体どうしたらいいんだろう…。

このこともそうだし、他のことでも“ちょうどいい”が私には少ない。みんながグラデーションで曖昧だけど適切なコミュニケーションとか人間関係を築いている中でやっぱり人よりそういうコミュニケーション能力が少ないことを最近ものすごい突きつけられる。

むずい。



弱い人間であり強すぎる人間でもある


人間関係で言うともうひとつ悩んでることがある。

それは、自分が弱い人間でありながら野生のような強すぎる人間でもあるから、人によって自分のブランディングの見せ方が全然違うから全部本来の自分のはずなのにそれぞれの見せ方を演じてしまっている気分になってすごく疲れる。

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私は、小学生の時被捕食動物という存在を知った。

被捕食動物とは、地球上の生態系の中の“食べる・食べられる”関係の食べられる側

要するに立場の弱い、他の生物に餌として食べられちゃう動物のこと。

私は被捕食動物という言葉を知って、食べる・食べられるの関係を知ってとても共感した。彼らのサイバイバル感と私のサバイバル感は似ていると考えたから。

学校では、弱い所を見せればいじめられる。
迷惑をかける立場にさせられる。
大変なことばかりやらされる。
味方がいなくなる。
お家では、少しでも足をもたつかせれば生命が危ない。
弱っていることを知られれば弱みを握られて有利に動けない。


野生の被捕食動物だってそう。

弱みを見せたら食べられる。

学校では、他人を傷つけてでも弱みを見せない。お家でも、何にも動じない強い人間として生きてきてしまった。

でも私には、こどもでいる期間がなかったからとんでもなくお子ちゃまな1面もあれば強く生きすぎて弱音を弱みを外に出すのが苦手な1面もあれば、嵐のように振り返らずに強く強く突き進む1面もある。

本来なら絶対共感しあえて仲良くなれると思うような人は何故か弱さを見せることが上手い。だからそういう人たちから見ると私は強すぎて怖い存在に写ってしまう。

私だって共感し合える人が欲しいけれど強く生きてしまった17年間は変わらないし仕方がない。

上手く使い分けられたらそれこそ天才的なんだろうけれどそうそう上手くいかない。上手く行ったとしても途中で心折れちゃう。

人間ってどうして、こう、複雑なんだろうか。


結局私はどんな人間として生きたいか


わからん。正直わからん。
私はきっと“完璧な普通”というあるのかわからないような理想の姿を思い描いては遠ざかり、無力さを感じたり自己否定に陥る。

でもひとつ思うのは今の悩みも、感じてる難しさも生きづらさも全部、私の場合はプロジェクトに直結する。

だったら、無理に綺麗に生きたりとか普通に固執したりとかせず、20代くらいのいわゆる若者?の時代は泥臭く生きていきたい。

いつか、過去を生きた私も、今を生きている私も、未来を想像した私も好きになれる日が来るといいな。

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