私は私のままではたらく

 障害者採用の枠で面接を受けたとき、実は少しだけ、心が軽かった。人生で一番というほど緊張していたことに変わりはない。それでもどこか、気が楽だと思っている自分がいたことも事実だった。だって持病の説明をするのに、まず内部障害者だという前提だということから言わなくて済むのだから。

 エントリーシートを出した時点で、私がそういうひとだということは向こうにも伝わっていた。だから面接官も、私に対する質問は明白。何ができて、何ができないかということが中心になる。
 通勤はどれくらいの長さまでなら体調に支障が出ないかとか、階段は登れるかとか、どれくらいの長さなら歩けるのかとか。通勤中、ずっと立っていても大丈夫なのかとか。
 受け答えは、今でもあまりうまいものではなかったと思っている。絶対落ちたと思って、泣きながら帰ってきたくらい。しかしどういうわけか結果は最終合格していて、今はそこで働いているから人生何があるかわからない。

 自分の体のことは、自分が一番よく分かっている。生まれつき半分しかなくたって、人工血管や馬の心膜でつぎはぎしてどうにかここまで付き合っていた、私だけの心臓。何を質問されたって、きっと大丈夫。必ず答えられる。そんな自負を持って面接に臨んだ私だったけれど、私の想定はあっさりと砕けた。具体的な数字と、出来ることを証明するための具体的なエピソードを求められたからだ。
 「私が出来るって言うんだから出来ます」と言いたい気持ちもあったけれど、ここは面接。相手にも伝わるように話す必要があることは痛いほどに理解していたから、今までの学生生活で休んだ回数がどのくらいかとか、通学時間や電車の混み具合を引き合いに出してどうにか答えを出した。
 具体的な数値は、障害者と健常者の共通言語だ。一番分かりやすい。だから私は過去の就活中だった私に、声を大にして伝えたい。出来ることと出来ないことの境界線はきちんと数値化して紙に書き起こすくらいのことはしても絶対に損はしない、と。そして案外、自分でも自分のことは知らないんだよ、と。

 最終合格後も人事担当者との面談があって、そこで改めて自分の出来ることと出来ないことを伝えた。

 そして社会人デビューを飾った後にも、またさらに面談。出来ることと出来ないこと、何をしてほしいかとか、そういうことを伝えた。

 すべては、私が私のままではたらくために。自分のキャパシティを超えないように。どんな配慮が必要か伝えるのは当然のことだ。面接のときも面談のときも、その時々に合わせて専用の顔を作って臨んだけれど、体調までは取り繕うことはできない。私は一生、この内臓のままで生きていくことになるから、伝えるのは互いのための、当然の義務だ。

 それでもどうして、あんなに泣いてしまいそうになったのだろうか。

 思えば学生の頃から、ずっとそうだった。対面で、特に年上の人に自分の現状を言語化して伝えるとき、私は毎回どうしようもなく泣きたくなる。こうしてネットで、テキスト上で言語化することに躊躇いはないのに。

 本当に泣くことはしなかった。最後の理性じみた意地で、そこだけは踏み止まった。本心では泣きたくて仕方なかったけれど。

 何というか、ああいう場は、私じゃない別のフィルターを通して私が見られている気がする。そこに悪意なんてなくて、あるのはむしろ善意だ。必要なことだと分かっていても、それでも知られたくないと、教えたくないと思ってしまう。

 本当は、こんな記事にするつもりはなかった。純粋に、はたらくことについて書くはずだった。それでも私は自分の持病について書こうとするとき、どうしても、こういう気持ちを避けては通れないのだ。つまりは、普通でいたいという感情。

 周りがどんなに「普通でなくていい」「普通は人それぞれ」と言ったって、私は今までもこれからもずっと、長らく普通とされてきた普通になりたい。そして普通にこだわる私を、私だけは肯定したいのだ。そしてそのために、私は今こうして自分の気持ちを書いている。いつか本当に、こういう感情まですべてひっくるめて、私が私のままではたらくために。

 何が出来て、何が出来ないか訊いてくれるって、きっとすごくありがたいことだ。感謝だってしている。それでもどこかで、この体だから出来ないことじゃなくて、この体だから出来ることを見つけたくて、誰かに見つけて欲しくて、私は今日もこうして文章を書き続ける。心臓病で良かったと思える日なんてきっと一生来ないし、この障害は個性なんかじゃないけれど、ひとつくらい、答えがこの人生に見出すことはできるはずだから。

 いろんなことを書いたけれど、やっぱり私は障害者採用の枠で就職して良かったと思っている。私は私の、この体のままではたらくしかないのだから。

 明日からも、また頑張って働こうと思う。