【小説】残光と巡礼

 真っ白な砂に足が沈まないように歩いた。深い藍色に染まった空を背負いながら、砂漠の真ん中にぽつんと建つ白いドーム型の建物を目指す。そこには知人が住んでいる。久しぶりに、会いにやってきたのだ。
 建物の前に立つと、外壁に、人が1人通ることができるほどの縦長の穴が空いた。知人が認めた人間以外立ち入れないよう、個体識別機能を壁に埋め込んだという。建物の外観が変わらぬよう、ごくひっそりと。
 つくづく彼は変わり者だ、と思う。こんな砂漠に家を建てるなんて。
 私が建物の中に足を踏み入れると、外壁に空いた穴は音もなく閉まる。
 入って真っ先に目を奪われるのは、おおよそ民家とは思えないほどにドームの中を埋め尽くすように植えられた木や草花。さながら植物園だ。光に満ち、白の天井がまぶしいドームの中で、青々とした葉や色鮮やかな花をつける植物たち。彼らは生きていない。生きているときの姿を保つように人工的に加工を施したにすぎない。
 ドームの中央には、地下につながる階段があった。階段を降りていくと、地下室に行くことができた。
 地下室は上の部屋とは違って、照明は暗く抑えられていた。天井にぽつりぽつりと、橙色の光を放つ電灯が埋め込まれている。
 一言で言えば、そこは博物館だ。ガラスの向こう側に、動物の剥製や骨格が飾られている。壁に沿うように綺麗に並べられた、コレクションの数々。そしてこれらの持ち主は、きっとこの部屋の奥にいるに違いない。
 剥製に見つめられながら進んだ先にはドアがあって。ドアを開けると、ソファにゆったりと腰掛け、読書に耽る彼の姿がある。
「久しぶりだね」
私が声をかけた。彼は読んでいた本から視線をこちらへと動かして、
「ああ、よく来たね」
と返す。
 まあ座って、と彼が言うので、私は彼の正面のソファに腰を下ろす。彼の私室は壁一面を本が埋め尽くしていて、いつ見てもなかなかに壮観だ。おまけに私たちが座るソファの間に置かれたローテーブルに至るまでに本や何かのスケッチが置かれている。
「いつ来てもすごいねえ、君の家は」
「だろう?」
すると彼は、何か思い出したように読みかけの本をローテーブルに置いて、
「新しい骨格標本を手に入れたんだ。紹介しよう」
そう言って立ち上がり、私を「展示室」ともいうべき空間に案内した。
 彼はある骨の前に立つ。かなり大きい動物のようで、頭には大きな角を備えていた。
「ヘラジカというらしい」
彼が指を鳴らせば、ちょうど視線の高さにバーチャルモニターが出現する。そこに映し出されていた画像は、この骨格の生物が生きていた頃の姿らしい。
「すごいねえ。こんな動物が、地球にはいたんだ」
「ああ。見たこともない生き物が、地球にはたくさんいたんだ」
遠い昔、人類は地球という星に住んでいたそうだ。しかし地球は、理由はさまざまだが、とにかく人の住める環境ではなくなってしまった。そこで地球を出発した人類は、どうにか自分達が生きていけそうな星を見つけて、そこにコロニーを作った。それが、今私たちが住んでいる世界。藍色の夕焼けと白い砂漠を持った星。
 地球を飛び出した人類は、どうにかして地球の動植物も一緒に連れていこうとした。でも結局、うまくはいかなかったようなのだ。そして研究は頓挫。この星の環境が合わなかったのか、技術的な問題なのか、私はよく知らない。
 結果として、地球時代の植物や動物は標本になり、博物館に飾られたり、彼のような個人が所蔵したりするようになった。なんとかオリジナルの個体の標本はさすがに博物館に管理されているけれど、そこから培養や合成をされた動植物たちの標本は、結構出回っているようだ。
「ねえ、君は」
私は彼に尋ねる。
「地球時代の動物たちと一緒に生きてみたい?」
彼は顎に手を当てて、少しだけ考えた後、「どうだろうね」と首を傾げる。
「生きている姿を見てみたかったような気もするんだ。どんな歩き方だったか、どんな鳴き声だったか。そういうものを、自分で確かめてみたかったとは思う」
彼は部屋を埋め尽くすほどの標本をぐるりと見回した。まさに日が落ちようとするその時、黄昏の光が消えていくのを惜しむような、そんな目をしている。
「でも、隔てられているからいいのかもしれないな」
「隔てる?」
ああ、と彼は頷いて、
「もう見られないとわかっているから、夢が見られるのかもしれない。実物を見てしまったら、存外、好きにはなれないかもしれないから」
彼はそこで言葉を切った。
 居住区とは白い砂で隔てられた世界、ガラス1枚で隔てられた場所に集められた、遠い昔の動物たち。そこで夢に溶け落ちるように彼はゆっくりとまばたきをした。
 それから私たちは、彼が集めた標本を、ゆっくりと見て回った。それはどこか、巡礼の旅にも似ているように思えた。