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#2 やっと会えたね〜壮絶な出産と入院生活

出産前は微弱陣痛を少しずつ感じていました。

なので、スマホのメモ帳に時間を記録して、間隔を把握していました。

書いては消し、書いては消し。
いつ出産、はたまた入院になるのか連日不安に思っていました。

予定日1週間前の早朝。

前駆陣痛の間隔が一定で痛みが増して来た気がしたので、出産予定の病院に連絡。
主人にお願いして送ってもらいました。

診察してくださった助産師さんからは、
「まだまだ微弱だし間隔も一定じゃないから、一旦帰宅しましょうか。」
と言われて帰宅しました。

その日主人は仕事だったので、憎まれ口も多少叩かれましたが、今後も遠慮なく起こしていいと言ってくれました。

それから時間経過して予定日の早朝から再び前駆陣痛が始まり、翌日の早朝には間隔が一定になりつつあったので、再び病院に電話。

この時は、私の母親が2ヶ月間サポートしてくれるために実家から出て来てくれていたのと、主人はこの日も仕事だったので、母とタクシーで病院に向かいました。

助産師さんからは、
「(前回の診断を受けて)まだ子宮口もそんなに開いてないけど、心配なら入院できます。どうしますか?」
と聞かれました。

初産で不安だった私は、即決で入院を選択。

母には事情を説明し、持ってくるのを手伝ってもらった入院バックを受け取って帰宅してもらい、私は助産師さんの案内で、陣痛室に通されました。

陣痛室は普通の病室とあまり変わらない印象でした。

ここで、今後の流れの説明を受けました。

内容は、初日は1日とにかく様子見。
翌日まで何もなければ、陣痛促進剤を使って出産まで持って行く、という流れです。

また、入院中は3食用意されますが、どれをどれくらい食べれたか、また排泄の回数、体温を記録することを義務付けられました。

一通りの説明を受けた後、助産師さん達は一時退室し、私ひとりの時間が始まりました。

とはいえ、入院直後はまだ微弱陣痛だったので、痛み度合いで言えば軽い生理痛程度。

スマホ見るか、水分補給するか、ご飯食べるか、トイレ行くか、寝るか、くらいしか出来ずその日は終了。

翌日の午前中に、予定通り陣痛促進剤を注射して出産を促しました。

すると、時間経過と共に痛みが増して来て、いきみ逃しが難しいくらいになってきました。

あまりの痛さに叫ばずにはおれず、腹の底から声を出してやり過ごすしか出来ませんでした。

助産師さんからは
「あまり声を出すと子宮が疲れちゃうから、しっかり呼吸してね。」
と注意されてしまいました。

しかし、それが出来なくて結局声を出してしまう私は、おそらくいきみ逃しが苦手だったのでしょう。

痛みが辛くて、まともに寝ることも、ご飯を食べることも、トイレに座ることもままならず、早くなんとかしてほしいという気持ちが増すばかりでした。

産褥パッドには血がつき始め、そろそろかと思いましたが、助産師さんが確認すると、まだ子宮口は5cmくらいしか開いておらず、まだまだ分娩台には程遠いと言われました。

痛みと闘いながら迎えた夕方、時間は18時頃だったかと思います。

産婦人科の先生が陣痛室にやってきました。

先生がおしゃるには、促進剤を打ってから今までの間に破水している可能性があること、しかし子宮口が未だ5cmから変化がないことを説明した上で、このままでは胎児にも母体にも悪影響が出てしまうので緊急帝王切開をしてもいいか、と提案されました。

私は、この痛みを早く治めたいこともありましたが、一番はお腹の子の命だったので、即決で緊急帝王切開を承諾しました。

そこから、仕事中の主人に連絡をして病院に来てもらい、私に説明した内容と緊急帝王切開の了承を主人にも取っていました。

夫婦の了承を得てからは早く、陣痛室から手術室まで車椅子、手術室内でストレッチャーに乗り換えてそのまま手術台に乗りました。

手術台に乗ってからは、まず背中から麻酔をかけられました。

麻酔は首から足先までにかかりますが、これが部分によっては痛かったです。

しかし、とても丁寧で手早く麻酔をかけてくださいました。

麻酔が十分に効いてきたところで、緊急帝王切開開始です。

本当にドラマなんかのセリフであるような
「?時?分 何某さんの緊急帝王切開を始めます。よろしくお願いします。」
を言うんだなぁと他人事のように感動していました。

緊急帝王切開はスムーズにすすみ、開始5分くらいにはもう胎児救出。

母子念願のご対面はチラリズムで終わり、我が子はそのまま洗浄されに一時退却。

さらに5分くらいで胎盤を摘出し、流れるように縫合に入りました。

しかし、そこでプチアクシデント。

私が急激に血圧が下がったようで、急な吐き気をおぼえました。

助産師さんにその旨を伝え、少し吐き戻させてもらいました。

吐き戻したあとは特に異常はなく、そのまま縫合も完了。

緊急帝王切開は一応成功で終えることができました。

何故「一応」としたかと言うと、我が子の方にいくつか異常があったからです。

1つは、産まれてすぐに検査をしたところ、飲まないはずの便を飲んでしまっていたこと。
1つは、陣痛の際にストレスがかかってしまったために、心臓部に穴が空いてしまったこと。

よって、我が子はしばらくNICUで治療しながら様子を見ることになり、母子同室はしばらくお預けになりました。

手術室から病室に向かう途中は、出産が一応無事に終わったことですごく心が軽くなっていました。

執刀医の先生からも「術後にそんな元気そうな人はいない」と苦笑いされる程でした。

病室についてから、退院までのスケジュールを看護師さんから説明されました。

とりあえず、手術当日は飲食禁止。
翌朝の問診で問題がなければ、水分補給が可能になり、同日の昼食から食事が可能になるとのこと。

また、赤ちゃんがNICUにいるので、授乳時間にその都度通わなければいけないことも説明されました。

帝王切開後のNICU通いは難易度が高いので、無理はしない程度に、でも合間を見て自分で歩いてリハビリをしてほしいと言われました。

諸々の説明に了承すると、看護師さんは一旦退室。
後から主人が病室に入ってきました。

主人からは労いの言葉をもらい、私からは先ほど看護師さんから受けた説明の内容を伝えました。

「ここからが本番だね」
「2人で協力していこうね」

と、出産後のお決まりのセリフを言い合い、面会時間が終了しました。

NICUには翌日の午前中には自力でたどり着けました。

(ちなみに、そのことを問診に来た執刀医の先生に話すと、目を真ん丸にさせて大変驚かれました笑)

改めて目の前にした我が子は、体の至る所に管が通っており、見るからに痛々しい様子でした。

担当の助産師さんから抱っこのレクシャーを受けて、初めて自分の腕で抱っこしてみましたが、とても小さくて愛おしくて、不思議な感覚だったのを覚えています。

私は母乳希望でしたので、しばらくは専用の容器に母乳を絞ってNICUに持って行ったり、自ら通って直母で練習しながら、足りない量をミルクで補填することになりました。

私も授乳初心者、赤ちゃんも授乳初心者。
なかなか上手くいかないときもありましたが、助産師さんのフォローもあり、あまり悩まず、前向きに取り組みました。

おかげで、退院する頃には注射器で十分だった量から、搾乳機でもそこそこ採取できる量にまで母乳量を増やすことができました。

そして、赤ちゃんも頑張ってくれたおかげで、出産から3日目には管が1本外れて、4日目にもう1本外れ、5日目に全ての管がなくなったことで、翌日退院を控えていましたが、5日目の昼から母子同室になることができました。

(そのことについても、後日執刀医の先生にお話しすると「親子揃ってすごいなぁ」と大変驚かれました笑)

退院の日は、退院前の診察がありましたが、母子共に目立った問題はなく(私の血圧がまだ高かったので、1か月検診まで毎日記録してほしいと言われた)私と赤ちゃん揃って退院することができました。

お迎えは、主人は仕事だったので、代わりに母に来てもらい、私、母、赤ちゃんの3人でタクシーに乗って帰宅しました。

今まで大人しかいなかった空間に、赤ちゃんがいることがとても不思議でしたが、何はともあれ、母子共に無事に帰宅できたことで、ものすごく安堵しました。

夜、仕事から帰ってきた主人は、自宅に赤ちゃんがいる光景にソワソワしながら一言。

「いる。」

この先、いろいろあるけど、楽しく子育てできたらいいなぁと思いました。


———#3につづく

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