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カンヴァスの奥に想いを馳せる

感情も病気も、私たちの本質ではない。だけど、日本語でも英語でも名乗る時と、自分の状態を説明する時の文法は同じだ。

私はゆきのです。
I am Yukino.
私は嬉しい。
I am glad.

体感として、私たちの本質は心身の状態に簡単に乗っ取られる。腹立たしい出来事が続けば、怒りっぽい人格になったかのように感じるし、身体が疲れていれば憂鬱が自分のデフォルトかのように感じる。

本当の自分はどこにあるのやら。奥深くにいつも静かにあり続けているはずなのに、あれこれに邪魔されて簡単にみえなくなる。まるで色を重ねすぎた油絵みたいに。

妊娠すると、食の好みが変わると聞く。今まで想像もつかなかった感覚が、ゆるやかな気持ち悪さと共に私の元へもやってきた。

どちらかといえば和食好きで、好き嫌いのほとんどなかった私。それが今晩はサンドイッチを食べると言って聞かなくて、こんな状態。

本当の私はどこへあるのやら。身体の状態はいとも簡単に私の趣味嗜好を変えてしまう。

だけど、ひとつ確信がある。いくら色を重ねても、元のカンヴァスは変わらない。この波が去れば、今の色はさっとはけて元の色が顔を出すのだろう。

心身穏やかでない人もきっと多い今日この頃。カンヴァスの表面の色だけをちらりと見るのではなく、その奥にある本来の色かたちに想いを馳せる時間をつくってみるのも良いかもしれない。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。