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四つ葉のクローバーに惹かれるのは

四つ葉のクローバーをかたどったネックレスに惹かれたのは、駐車場の片隅のクローバーを目で追いかけ続けた日々が今でも身体に染み付いているからなのかもしれない。


「四つ葉のクローバーをみつけたら幸せになれる」

有名な言い伝え。小学生の私には幸せのイメージはあいまいで、その響きからは虹色の光に包まれた女神様をいつも連想していた。手が届かないところにある偉大で完璧な何か。

家族への誕生日プレゼントとして、四つ葉のクローバーを貼ったカードを何度か贈った。大人たちが本当に欲しいものをプレゼントできないことに、小学生の私は気づいていた。でも「幸せ」ならば話は別。幸せが何かはよくわからないけれど、大人たちはきっとわかっているだろうし、喜んでくれると思った。何より、四つ葉のクローバーはお金を持っていない私にも手に入れられる唯一の「希少価値のあるもの」だった。価値のあるものをプレゼントしなければ、という想いがあったのだ。

自宅マンションの敷地に入ってすぐ右手、砂利敷きの駐車場の脇にクローバーが繁っていた。幅1m、奥行き30cmぐらいのスペース。駐車場と通路の間は白いあみあみのフェンスで仕切られていて、私は毎日フェンス越しにクローバーの茂みを眺めながら歩く。すると、もしかして、と思う瞬間が度々ある。かがんでフェンスの隙間から手を伸ばして、四つ葉かどうかを確認する。アタリだったら「今日もみつけちゃった」とにんまりして、連れて帰る。家に着くと早速ティッシュに挟んで、分厚い国語辞典か図鑑で重石をして押し花にする。小学3年生ぐらいまで、飽きずに続けていた習慣だった。

それらのクローバーはいつのまにか全て手元からなくなったけれど、生まれて初めて見つけた四つ葉のクローバーだけはずっと大切に持っていた。厳密には2回目に見つけたクローバーだったとか、弟が見つけたものだったとか、そんな話もあった気がする。昨年末、実家の片付けをした際にお別れしてしまったけれど、20年以上、学習机の片隅で守り続けたことは小さな誇り。

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いつしかクローバーの茂みを見つけてもしゃがみこまなくなり、幸せのイメージも女神様ではなくなった。それでも四つ葉のクローバーに惹かれるのは、目に見えなくてつかみどころもない「幸せ」を具現化してくれているから。大切な人の幸せを祈っていることを、はっきり表すことができるから。


ずっとずっと惹かれてきた四つ葉のクローバー。それをかたどったネックレスは、きっと私にしっくりくると自分に言い聞かせたくて、長い思い出話をしてしまった。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。