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おにぎりがつなぐ絆

コンビニにいけばさまざまな具材が入ったおにぎりがあり、最近では、握りたておむすび屋さんなんかもあってどこでも気軽に食べられるおにぎり。
たかがおにぎり、されどおにぎり。

人生のさまざまな時で感じたおにぎりの味をたどってみた

おにぎりはただの米でしょ

ばあちゃんの実家が農家だったこともあり、米や野菜の収穫を有無をいわざずやらされていた子ども時代。

田んぼの真ん中にある柿の木の下で食べる昼ご飯はもちろんおにぎり。
しかも、中身は梅干し、おかか、鮭。
たまに何もないいわゆる塩むすびなんてのもあった。
戦国時代でもあるまいしと
「ハンバーグないとおにぎりだけじゃ食べられない!」
とブーブー文句を言いつつも、腹が減っては戦はできぬとばかりに渋々食べていた。

今でこそ、ご飯のお供はこれといってご飯をメインに食べるが、昔は、
おいしいおかずとともに、おなかを満たすために食べるのが米だった。

だから塩むすびがランチなんてありえない!と思っていたのだ。

収穫のお手伝いとしての対価は金ではなくもちろん新米。
泥だらけになりながら、土日返上で手伝った対価が米って、アルバイトしたほうがお金もらえてよっぽどいいじゃないか!と、高校になると手伝いも放棄した。

そんなこんなで朝ご飯はもちろんご飯。
夜ご飯ももちろんご飯。
お昼のお弁当はおにぎり+おかず。

特に秋の収穫時期ころに昨年の米がまだ倉庫にあったりすると
「古米になっちゃう」
とブツブツ言いながら、ばあちゃんとお母さんが嫌がらせのようにご飯ばかり炊く。

「たまには焼きたてのトーストにバターをたっぷり染み込ませて食べたいんだけど」

と言っても

「何言ってんのよ!もうすぐ新米きちゃうんだから我慢して!」

古米の何がいけないのかまったくもってわからない。
確かに新米の炊き立てはうまいような気もするが、別に味の違いなんて
子どもにわかるわけがない。

さらに、学校にいくとき、よほど米を消費したいのか米粒がつぶれるほどギュウギュウに握ったずっしりと重い通称「ぎっちぎっちおにぎり」を持たせられた。

小学校から高校までソフトボール部に所属し、土日の試合のときは弁当持参が基本。1個で満腹になるおにぎりはありがたいのだが、具材よりも米が多すぎて、ただただ体力をつけるためだけに無理やり食べていた感があった。

シーチキンおにぎりが食べたくて

高校のときは遠征があり、朝早くから出発することが多かった。

そんなときは、朝、バスの中で1個、昼ご飯に1個と、2個のおにぎりを持って行った。

忙しいわが母は、朝と昼の具材を変えてあげようなんていう思いはなく、いつも同じ具材2個だった。

この日のおにぎりは鮭。
しかも相変わらず、具材よりも米のほうが多くて、みんなで昼ご飯を食べるとき、おにぎりを見つめながらため息が出た。

隣に座っていたのは家から高校が遠く、寮生活を送っていた友達。
コンビニの袋をガサゴソと音を立てながらあけて、同時にため息をついた。

二人でどうした?という表情で顔をあわす。私が口火をきった。

「さっきさ、バスの中でおにぎり食べたんだけど、お昼も同じおにぎりでさ、またか~とちょっとげんなりしてさ。でも、試合前だから食べるんだけど、どうも進まないのよね」

というと、はぁ~?って顔をしながら

「それ、贅沢な悩みじゃん!作ってもらえるだけうらやましいよ。私なんていっつもコンビニおにぎりでさ、しかも朝買って昼になるともうすでに冷たくてパサパサで食べる気がしないっつ~の。ゆきんこは、いいじゃん、朝握ってくれたならまだちょっと温かいでしょ」

温かいうんぬんよりも気になることを聞いた。

「ちなみに何おにぎりなの?」

「え?仕送り前でお金ないから一番安いシーチキン」

シーチキン!!!マヨネーズと塩コショウであえた具材の神様シーチキン!!!

もうこれはお互いのニーズがあったということではないか。

「わたしのおにぎりと交換しよーよ」

そうきますよね!いうことで、交渉が成立し、友達はアルミホイルをあけ、うひょ~と喜びながらほおばり、私は、セロハンをはがしてパリパリの海苔の香りにうっとり。

二人同時に食べ

「うまい!」

と二人して声をあげた。

確かにパサパサなんだけど、シーチキンマヨネーズの味のパンチがすごすぎて全然気にならない。しかも、海苔がぱりっぱり!
友達はというとしっとりとして、さらにボリューミーなほんのり温かいおにぎりにご満悦。

ないものねだりとはまさにこれのことだ。

家に帰り、おにぎり交換の話をしたところ、自分が作ったものがおいしいといわれたのがよほどうれしかったのか、はたまた何かに突き動かされたのか、はたまた米を消費してくれる人発見と思ったかは定かではないが、次の週末から張り切っておにぎり4個を作り、持たせられた。

部活を引退するまでおにぎり配給は続き、その友人は今でもおにぎりを食べるとわたしのお母さんのおにぎりの味を思い出すそうだ。

私はといえば、シーチキンおにぎりにあやかることができなくなり、しかも、荷物ばかり重くなってふんだりけったりと思っていたのだが、卒業後、東京で進学し、寮生活になってその友人の気持ちがわかることになる。

天むすの衝撃

東京での一人暮らしを夢見ていたのに、最初の2年は寮生活といわれ、門限10時の寮に入れさせられた。
朝と夕は食堂のおばちゃんが作ってくれたご飯を食べ、お昼は学校の友達とお弁当を食べたり、外食をしていた。

ここぞとばかりにシーチキンおにぎりを毎日購入し、食べていたのだがさすがに数か月たつころ飽きてきた。肉入りとか高菜とかいろいろチャレンジしたが、どうにもこうにもパサパサしておいしくない・・・

は!高校時代の友人が言っていたのはこのことか。

やはり人間、経験しなければ相手の苦しみを理解できないものなのだ。

お母さんの米粒がつぶれるほどギュウギュウに握ったぎっちぎっちおにぎりが恋しい。これがホームシック・・・

ともう食べ飽きたシーチキンおにぎりを見つめながらため息をついた。

と目の前で友達が食べているおにぎりをみると、なにやら茶色いものがぴょこんとのっている。

「ねえねえ、おにぎりの上にのってるのな~に?」

と聞くと、

「エビ天だよ。天むすってやつ」

な、なんと!海老の天ぷらをおにぎりにいれるとはなんと大胆なこと。
しかも、食べなくてもわかる。美味しい組み合わせということが。

食べたいが顔に全面に出ていたのか

「食べる?うちのお母さん味付け薄いから、濃い味好きなゆきんこにはパンチ足りないだろうけど」

と一つわけてくれた。

初めて食べる天むす。
というか、なぜ東北には天むす文化がないのか。おにぎりの具材といえば、梅干し、おかか、鮭だけの世界で生きてきたものにとって刺激的すぎる。

手にとってみると天つゆの香りがふわり。
天ぷらの周りのご飯が天つゆに染みてほんのり茶色くなっているのもいい。素敵。

恍惚とした表情で、ゆっくりと口に運ぶ。

な、なんと!うまいのはわかっていたけど、実際に口に入るとこの初めてにしてにして最上級の味わいにうっとり。
しっとりとした天ぷらの衣とご飯があいまみれ、さらにぷりぷり食感のエビが追随。あまりのおいしさに、2口で食べてしまった。

目をつぶり、口の中に残った天むすの余韻を楽しみながら、相当、恍惚とした表情だったのか

「もう一つ食べる?わたし、ゆきんこのメロンパン食べたいし」

といわれ、もちろん二つ返事でOK。

家に帰り、友達が相当ご満悦だったという話をしたところ、友達のお母さまも、うれしかったのか、何かに突き動かされたのか、友人がおにぎりを持っていく日は、私の分も作ってくれるようになった。

週2日は天むすの日になり、すっかり天むすが大好物に。

最初はエビ天に集中していたものの、何回か食べているうちに、実家のおにぎりより米粒がたっていてふわっと握られていることに気づいた。

お母さんのぎっちぎっちおにぎりよりも軽く食べられていいじゃないか!
と握り方もいろいろあるんだな~と感じた学生時代。

卒業式では天むすお母さんと記念のツーショット。
この御恩は生涯忘れません!と誓ったもののいまだに御恩返しはできず。

ただ、友達の結婚式で手土産を渡したら

「鶴の恩返しならぬ、ゆきんこちゃんの恩返しかしら。いまだに天むすのこと覚えててくれてありがとう」

食べ物の記憶というのは忘れないモノなのだ。

機上で食べるおにぎりに涙する

今では自分の家族のためにおにぎりを握る。

なんだかんだ言っていたものの、おにぎりにはやっぱり梅干し、おかか、鮭があうと今では思う。
おにぎりは米粒がたつくらいふわっと握る方がおいしいよ!とか言ってたくせに、やはり母親譲りなのか、力いっぱい握ってしまう、遺伝だろうか・・・

ただ、いまだにお母さんの絶妙な塩加減が実現できない。

あれだけ文句を言われていたのに、昼頃の飛行機で帰省するとおにぎりを用意してくれているやさしい母。

そして、帰る日。
空港まで送ってくれるのは父だ。
お母さんは私の布団の片づけとかあるからと絶対に見送りにこない。

けれど、車の窓をあけて、
「体に気を付けてね」

というとそっと紙袋を渡してくれる。
中身はもちろんおにぎりだ。

紙袋の底に手を置くとまだほんのり温かい。

「あんたも体に気を付けて」

別れが寂しいのか車が出る前に家に入ってしまう。

機内サービスでお茶を頼み、早速おにぎりを食べる。

空の上で食べるおにぎりはまた格別だ。

お母さんが握るぎっちぎっちのおにぎりもおいしい。と今ではすっかりぎっちぎっちおにぎりのファンだ。

けれど、先月帰省したときもう二度とぎっちぎっちおにぎりが食べられないことを実感した。

味はおいしい、塩加減も抜群だ。

けれど、ぎっちぎっちではないのだ。
よくみると米粒がしっかり残っている。

そういえば、一緒に台所でご飯を作っていた時

「こないだ車ぶつけられて、首やっちゃったでしょ。なんだかそこから手がしびれちゃってね」

といってたののを

「ふ~ん、病院いきなよ」

と聞き流していたのだが、おにぎりで実感した。

しびれて握力がなくなっているのだ。

ふわっとした食感のおにぎりを食べて涙が止まらなくなった。

いつも作ってもらってばかりだったけど、今度は私がぎっちぎっちのおにぎりを作ろう。

「もう年なんだからこんなに食べられないわよ」

と音を上げるほどのボリュームたっぷりのおにぎりを。

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