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けんか鶏の日はきりたんぽの日

秋田の冬の風物詩「きりたんぽ」。
きりたんぽといえば、日本三大地鶏の一つ「比内地鶏」を思い浮かべるのが普通。

しかし私は違う。

おいしいきりたんぽが食べられるのはシャモが負けた日。
じいちゃんにとっては痛恨の日が私にとっておいしいきりたんぽが食べられる日だった。

じいちゃんは動物好きで多趣味


じいちゃんはとにかく動物が好きだった。

家には、犬、金魚、コイ、亀、うさぎ、そして大量のニワトリがいた。

どっかからもらってきた雑種の犬は、じいちゃんの適当なしつけのせいで、散歩するときは体にまとわりついて前に歩かないし、通行人にはほえないのに家族の私らに吠えまくり、金魚はエサをやりすぎて巨大化し、玄関で気持ち悪いからだをうごめかし、コイは冬の間は池が凍るからと、秋に小屋の桶へのお引越しを手伝わされ、亀は水槽を洗っていたら、ひっくり帰って死に絶え、ウサギは家出してそのまま帰らなかった。

小学生の私がみても、中途半端な飼い方しているなと思っていたが、ニワトリは別格だった。

ニワトリ小屋は2つもあり、一つはじいちゃんがチャボと呼んでかわいがっていたちっこいころんとしたニワトリと生まれたてのひよこたちがいるほのぼの小屋。もう一つは、じいちゃんがシャボと呼んでいた目つきの悪いニワトリがいる小屋。シャボはシュッと細マッチョ長身で一見イケメンなものの、真っ赤なでかいとさかに、とさかと同じような赤いビラビラを口のまわりにこれでもかとまとい、どうだ俺いけてるだろ?と言わんばかりの挑発的な目を向け、かわいげもへったくれもない。

前者のほのぼのチャボ小屋にひよこがいるときはよく見に行って手のひらに乗せて遊んでいたが、自信過剰なイケ鶏がいるシャボ小屋にはよりつきもしなかった。
というのも、ほのぼの小屋はビニールハウスで日差しが入り、明るい雰囲気だったものの、シャボ小屋は、コンクリートに固められたくら~い部屋で、目だけがギラギラしてて恐ろしかったのだ。

とはいえ、同じニワトリ。
チャボもシャボも朝からコケコッコーとうるさく鳴きまくるもんだからゆっくり寝ることができず、おかげで元気はつらつ早起き子どもに育った。

生傷が絶えない体


じいちゃんはニワトリの鳴き声とともに起きて、出勤前にエサづくり。
50~70羽くらいはいたであろう、ニワトリたちのためにキャベツを刻み、よくわからない粉を混ぜ、エサを与えていた。

じいちゃんは一人でせっせとエサやりをしていたのだが、私が中学生のとき、くも膜下出血で救急車に運ばれていった。じいちゃんも大変だが、残された動物たちのほうが厄介だった。

お父さんもお母さんも働いているし、ばあちゃんはお嬢様育ちでニワトリのエサなんて作らないしで、思春期真っただ中でニワトリのエサやりなんてダサいことやりたくない中学生の私が無理やりやらされる羽目になった。

朝からニワトリ臭がこびりつくわ、頭を突っつかれてアホ毛勃発するわ、
しまいにはエサをやってる途中で手を突っつかれ、出血。

乙女のあたしに何してくれる!!!!
と餌箱でニワトリの頭をぶっ叩いたこともある。

突っつかれた手の甲の傷を絆創膏で貼り、なるべく突っ込まれないように、隠して歩いていたにも関わらず、そういうときに限って好きだった男子に

「あれ~手、どうしたの?」
と聞かれた。
いつもだったら、声をかけてもらってキャーーー!と絶叫しそうな場面なのだが、よりによってニワトリに噛まれたときの傷を心配するとは何事!
大量にいるニワトリを飼っている。朝からエサを作ってあげている。挙句の果てにはやつらに突っつかれた傷ついた。という一連のニワトリ話が非常にダサかっこ悪いことのように思え

「猫にひっかかれちゃって」

と意味不明なうそをついた。

猫を自宅で飼っている=セレブっぽい

というイメージがあったからだ。

かわいい孫が嘘つきになったぞ!じいちゃんどうしてくれる???
とニワトリに命をかけるじいちゃんを恨んだこともあった。

シャボ(軍鶏)の命をかけた戦い


命を懸けていたのはじいちゃんだけでない。

目つきが悪いシャボたちも命を懸けて戦う日のために準備をしていたのだ。

シャボは軍鶏と書く。

軍の鶏=戦うためのニワトリだったのだ。
どうりでぎらついていたわけだ。

冬になるとじいちゃんのカレンダーにけんか鶏の日のマークが増える。
けんか鶏の日は、家族総出。自宅の駐車場をあけ、白い息を吐きながら、稲わらで作った円形の囲いを二つ作り、わらをしく。これが結構な重労働なのだ。そしてこの円形こそシャボたちのけんか鶏(闘鶏)の舞台なのだ。

円形のセッティングが出来上がったころ、軍鶏を抱えたおっちゃんたちがワラワラと集まりはじめ
「おお、いいつらっこしてるな。」
「今日は調子いいべや」
なんてしゃべっている。

円形設営のお手伝いをしていた私と弟にじーちゃんは
「さび~し、もう終わったから、えさ(家に)入ってれ~」

いつもは言うことを聞いて、そそくさと温かい家の中に引き上げるのに、小学校高学年になった私は好奇心旺盛の真っただ中。円形の中で繰り広げられる戦いが気になり、そのまま居座った。

突然しゃもが一羽ずつ円形に入れられ、コングもなく闘鶏がスタート。

シャボたちも白い息を吐きながらにらみあう。どこから攻めようか・・・ニワトリのくせにいっちょ前に攻め時を見極めているかのよう。
かたや飼い主たちは円形のそばでたばこをくゆらせながら、自分のしゃもを見守る。

闘いがスタートすると、突っつきあい、飛び蹴り、背中に乗ったりと迫力満点。するとじいちゃんのしゃもが激しい飛び蹴りにあり、目から出血!鮮血が飛び散り、思わず目を背けてしまった。

片目が見えなくなったからか、一方的に攻撃され、背後から突っつかれまくったせいで、羽が勢いよく舞う。目が見えないにも関わらず、突っつかれた方向に体を回転させ、戦いつづけるじいちゃんのしゃも。

しかし、体中を攻撃され、体は限界。口が開き、あごがあがってきたところで、じいちゃんがシャボを取り出した。

負けてしまったのだ。
じいちゃんの腕の中でなおももがき続けるシャボはまだ戦える!と抵抗しているようにも見える。

「いんや~、今日は自信があったんだけんどもな~、おめ~んとこのシャボの脚げりはすんげがった。」

とじいちゃんは対戦相手のシャボをほめたたえているが、じいちゃんの腕の中でもがき続けるシャボが気になる。

目からは血がだらりとたれ、右羽部分がだらりとたれ下がっているところをみると骨が折れたようにも見える。腕の中でぎゅっと抱えられて落ち着いたからか、次第にじいちゃんの腕の中に頭をあずけ、抵抗をやめた。

エサをやっているときは、とにかく生意気で、餌箱にエサを入れてる途中からくちばしで手を突っつきまくり、タダでエサを与えてやっているのに、さも当然とばかりにガンとばしながら食べていたシャボが大嫌いだったが
負傷して、ぐったりしているのを見ると、
「痛いんだろうな~。早く手当してあげなくちゃ」

という気持ちになった私はエライ!

負ければ終わり


しかし、けんか鶏で負けた鶏は、生きて小屋には帰れないということをこのときはじめて知った。

じいちゃんに
「あっついお湯っこもってけ~」

と言われ、台所にいるお母さんにお湯を頼み、やかん持参でじいちゃんの元に戻る。

そのとき突然じいちゃんがシャボの首をシュッと切り、一発で絶命させてしまった。突然の出来事にあんぐりと口をあけて見つめていると、すでに息絶えたであろうシャボの足をつかみ、熱湯にぶっ込んだ!!!一連の動作は迷いがなく鮮やか。

「さ、こっからはおめたちわかるな?」

と本当に頭をたれてしまったシャボを差し出された。

戦っているシャボをみていない弟は、「は~い」と元気よく返事をして、羽をむしり始めた。

実は、羽むしり作業は私と弟のお仕事だった。

キレイに羽をむしった後は、お母さんが解体をし、大鍋に鶏ガラをいれ
グツグツ煮込み、おいしいきりたんぽのスープを作ってくれた。
煮込んでいるときの匂いがかぐわしすぎるのと、ストーブが温かいのと二重の幸せが味わえるとあって弟と二人で、ず~~~~っとクンクンしていたものだ。


小学校低学年の弟はいっぱしの職人並みに、足先から根本にむかってキレイにむしっていく。
それをただただ眺めていた私に
「ねえちゃん、やんないの?僕全部やっちゃうよ!」

とうれしそう。
早く終わらせればきりたんぽをたらふく食べられるとあってやる気満々。

いつもは私も弟と同じように一心不乱にむしっていただろう。
今までも鶏の顔つきで羽をむしってはいたが、こんな気持ちにはならなかった。すでに絶命なさっていたからだ。

闘志満々で戦っていたあの姿、まだまだいけるぞと眼光ぎらつかせていた顔が目に浮かぶ。今は目をつむり、弟の手の中でなされるがままにはぎ取られている。

初めて「生」というものを感じた瞬間だった。

命をもらって生きる


弟に羽をむしり取られ、素っ裸になったシャボはもはや”肉”
さらに、カットし鍋に放り込まれてグツグツされ、いい匂いが充満してくるとさっきまで胸の中でモヤモヤしていたものがどっかにいき、よだれが垂れてきた。

一部始終をみていたであろうじいちゃんが
「昔、あのシャボは向かうところ敵なしの百戦錬磨だったんだよ。でも、もうおじいちゃんになってきてな、今日が最後の大会と思って出場させたんだ。あいつを小屋に戻してやってもよかったが、体力もないし、他のオス鶏たちに蹴られてそのうち死んでしまう。そうして死ぬよりも戦って死ぬ方が本望じゃろ。あいつは最後までよく戦った!かっこよかった!
骨までしゃぶってキレイに食べてやることがあいつにとっての幸せじゃ!」

言っている意味がわかったようなわからんような感じだったけれども、幸せといわれると、そうかおいしく食べてあげるのが幸せなのか!と納得した。

「鶏はエサであるキャベツとかの野菜を食べないと生きていけないだろ。
動かないけれど野菜も生きているんだ。そんでな、じいちゃんとゆきんこも生きるためにシャボを食べなくちゃいけないんだ。シャボは最後にゆきんこの成長のかてになれて幸せだな!」

とまたしても、幸せという言葉にそうか!と納得しそうになったものの、
それじゃ、あたしもいつか誰かに食べられるのか?

という質問には答えてくれなかった。
ピラミッド型食物連鎖は教えられたけど、サークル型の食物連鎖は教えられなかったじいちゃんであった。

シャボが負けたらおいしいきりたんぽが食べられる


秋田の郷土料理きりたんぽとは、ご飯をつぶして棒に巻き付け焼いたたんぽを鍋にいれたもの。手間暇がかかるため、一般家庭ではご飯をつぶして、団子状に丸めて食べるだまこ鍋が主流。

ということで、本物の長細い焼き色がついたきりたんぽを食べる日は特別だった。

けんか鶏の日は、いくつか対戦があり、その対戦ごとに敗者となるシャボが出てくる。負けたら確実に絶命し、きりたんぽのダシになるわけではないが、数羽は絶命させられるため、けんか鶏の日はおいしいきりたんぽが食べられる日となる。

負けたシャボが絶命させられ鍋に投入される一部始終をみたものの、おいしそうな匂いで食欲が増進し、結局ぺろりと平らげた。

羽むしりを頑張ればいっぱい食べていいぞ!と言われていたものだから、むしってない私がたべているのを見た弟が

「なんで、食べるんだよ~」

とぶーぶー文句を言っていた。

じいちゃんはくも膜下出血をした後、家族が多大な迷惑をこうむったことにより、ニワトリ放出の令をお母さん(娘)につきつけられ、かわいいチャボはなんとか死守したものの、シャボは泣く泣く手放した。


今でもきりたんぽのCMを見たり、食べたりするとほっぺを真っ赤にしてシャボを絞めていたじいちゃんを思い出す。

そんなことを思い出したことを母にいうと
「あ~あれね、じいちゃんの多趣味のおかげで、どんだけ振り回されたか・・・」
と苦笑いしていた。

孫にとってはいい経験、面白いネタ、娘にとってはただのめんどくさい思い出。

何にでも興味を持ち、何にでもクビをつっこみ、やりだしたらとことん楽しむじいちゃんと暮らした孫は、同じように多趣味になり、一通り楽しんだら次の気になることに邁進し、何一つ極めない大人に成長した。

でも、じいちゃん、おかげでどんな案件にも柔軟に対応できるライターになれたよ。


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