無知って残酷
私はライターであってカメラマンではない。
しかし、最近は媒体によっては取材も撮影も一人で!と言われることがある。正直、インタビュー取材のときは取材に集中したいのに、撮影のことも考えてしまうし、インタビュー風の撮影のときは、トーク感を演出するため
カメラを持ちつつ、ざっくばらんな質問を投げかけるも、
「私のほうには向かずに(カメラに目を向けず)今座っている方向でしゃべってください」
なんてわけわからんこというから、噴き出してしまう人もいる。
経費削減もいい加減にしてほしい・・・
というライター&カメラの二足の草鞋で挑んだ取材。
某機器の敏腕営業マンに営業ノウハウなどを聞く取材があった。
さすが敏腕営業マン!スマイルも最高だし、話がとにかくうまい。
こちらが引き出さなくても、こういうコメント欲しかった!というのをどんどん言ってくれる。最高に素敵な人だった。
さらにイケメンときた。
机にのせた左手の薬指に輝く指輪がなかったら恋が始まっちゃうところだった。
インタビューが終わり、苦手としている撮影タイム。しゃべっている風を撮影をするために、いつもの声かけをした。
「テーブルの上に手をあげて、手のひらを返した状態にしてみてください」
すると、左腕だけを延ばして、私の要望通りに手のひらを返してしゃべっている風の演出。
「あ、両手のほうがいいです!」
と言ったら、特に害する風でもなく普通に
「あ、僕、右手ないんですよ」
え?1時間もインタビューしてたのにまったく気づかなかった!
よ~く見ると、確かにジャケットの先がない。
しまった!と思い、かなりぺこぺこしながら
「気づかずに、ほんとにすみません・・・」
というと
「謝らないでください。なんにも悪いことしてないじゃないですか」
と笑顔で答えてくれた。
しまった!やっても~た。とかなり自分を責めつつも、ひとまずいつものように笑顔で
「いいですね~。いや~素敵な横顔!」
と、カメラマンさんから盗んだ声かけをし、モデルのスマイルをうまく引き出しつつ、撮影終了。
撮影が終わった途端、自分の失態を思い出ししょんぼり。
謝らないでといわれたからこのままスルーして退散するべきか?どうしたらいいのだ!!!と頭の中でぐるぐる考えていると
「ゆきんこさん、さっきのこと思っているでしょ?みんな、僕の右手に気づかなくて、僕が右手ないですっていうと、決まってすみません。っていうんですよね。なくした直後は、そのすみませんにいちいち傷ついて、右手がないのはやっぱりかわいそうなのか?俺?とか思ったり(笑)
まあ、最初は僕自身、かわいそうな人間になったと思ってたんですけど、
右手をなくして、得られたこともたくさんあったんですよ。それに気づいたときに右手がない自分を受け入れられた。
でも、僕自身が受け入れられても、初めて見た人は、すみませんっていっちゃいますよね。教えてくれてありがとうでもないですしね(笑)
友達に知らなかったことを教えてもらったときの感じで、お!そんなんあるの?へ~知らなかった!なんて明るくスルーしてくれていいんだけどね」
強い!って思った。
昔は傷ついたということは、つらく苦しい日々もあっただろうにそれを乗り越えて、こんなに明るくイケメンに生きていらっしゃる。
私も人生谷あり山あり、それなりに傷ついてくら~いトンネルの中をさまよっていたこともあるけれども、それを乗り越えたとき、人の痛みが少しわかる大人になれた。
そして今までの自分の無知さを恥じ、人に対して残酷な言葉を投げかけていたなと反省したときもあったのに、まだまだ成長途中だったことにに気づく。無知って残酷だ。
改めて思い返してみると、
右手がない=かわいそうな人
と上から目線で思っちゃってたんじゃないかと自分の罪深さを感じた。
それから「すみません」に妙に反応するようになった。
車いすの人が電車に乗ってきたとき、押していた駅員さんが
「すみません」と言いながら乗ってきたとき。
会社で数人でランチを食べていた時
ママA「あれ、結婚してたっけ?」
女子B「いえ、してませんけど」
ママA「あ、ごめん」
という会話のとき。
駅員さんは「ご協力ありがとうございます」
でいいし、ママAは謝るなら余計な質問をしなければいいだけの話。
でも、日本人ってなんでもかんでも謝る習慣があるのも事実。
すみませんって言わなくちゃいけないときももちろんあるけれど、
ありがとうと言い換えられるものがあれば「ありがとう」を使いたい。
そして人生、うまくいっているときでも調子に乗らず、謙虚さを忘れなければ「すみません」を発する機会も減るに違いない。
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