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〜だっせん〜ももたろうを追いかけたい ⑩ 最終回 岡山の桃太郎と共に生きる  #056

1.今回が最終回

岡山生まれ、現在も岡山で生きている私。

3月末から10回に分け「岡山と桃太郎」について調べて来ました。↓番号をクリックして頂ければ過去記事に飛びます。

岡山といえば「桃太郎のきびだんご」。
きびだんご食べ比べ。手作りしてみた。
きびだんごの歴史【前編】古代〜昭和。
きびだんごの歴史【後編】昭和〜現代。
桃太郎絵本読み比べ。
岡山の桃太郎を探す。
日本と世界の桃太郎話を読む
岡山に残る伝説、ゆかりの地巡り。
伝説と昔話の視点から違いを読む。

今回が最終回、「そもそも“岡山と桃太郎”がつながったのはいつ?どのような経緯で?」という疑問について調べました。

きっと、昔話の中で「桃太郎」は1番有名だと思うのですが、私は岡山県民として「そんな有名人が岡山出身って凄いし不思議…」と何だかソワソワしてしまいます。


桃太郎の初見から話を進めるので、少し遠回りになりますが、お読み頂けると嬉しいです。

2.桃太郎の初見

桃太郎の造形的な初見は福井県敦賀市氣比神宮本殿軒下に桃太郎の彫刻があったそうです。安土桃山時代(1568〜1600)の作ではないかと言われています。空襲で失い、今は写真のみ残っているそうです。

「その彫刻見たいな」と調べていたら、note記事で出逢いました!作成者の方にお尋ねすると記載を承諾して頂けたので紹介します。

こんな視点もあるのだなととても勉強になりました。渡部さんありがとうございました。

興味深いことに、福井県の氣比神宮と、岡山県の吉備津神社とは深い関係があったのです。

吉備津神社の祭神「吉備津彦命」の孫の婿が氣比神宮の祭神「日本武尊」です。

このようなつながりもあるのですね。


3.「桃太郎」最古の本

現存する最古の「桃太郎」の本は、江戸時代、1723(享保8)年に発行された「もも太郎」と言われています。1764年〜「赤本」「豆本」と呼ばれる「桃太郎絵本」が木版で量産され一般庶民へ広がっていきました。


江戸時代の桃太郎「豆本」


4.各時代の桃太郎

《明治時代》…天皇制絶対主義と富国強兵政策の中、この時期の桃太郎は「日本国に仇なす鬼を退治する皇国の子として活躍しました。

《大正時代》…明治時代の勇敢な武将姿から童心童顔の桃太郎に。大正末期、プロレタリア児童文学運動が盛んになり、子ども向けの雑誌は姿を消しました。この時期の桃太郎は卑怯な悪者に、鬼たちは真面目に働く労働者として描かれました。

明治〜昭和の絵本については、こちらの資料が参考になります。


《昭和10年代》…中国への侵略、日中戦争、太平洋戦争へ。真珠湾を鬼ヶ島に例えて、桃太郎は航空母艦の隊長。隊長は隊員の犬猿雉に命令する、桃太郎は戦争の子。

《第二次世界大戦後》桃太郎は戦犯に。教科書から追放され一般社会でも姿を消しました。

《昭和30年頃》…戦後再興してきた頃、桃太郎は、民主的、平和的な桃太郎に。

《昭和40年以降》…りりしい武士姿で「復権の子」として現在に至ります。

さて、次からが本題です。


5.桃太郎提唱のはじまりin Okayama

岡山市の彫塑.鋳金家の難波金之助が、1930(昭和5)年、『桃太郎の史実』を発表し、吉備津彦命の温羅退治が桃太郎のモデルである説を展開しました。『古事記』『吉備津神社略記』や口頭伝承から考証したもので、この説は引き継がれていきます。

大正末期から昭和初期は、地方の鉄道など交通機関の発展により、観光地開発や娯楽施設などの整備が進められ、庶民に余暇を楽しむ余裕も出て来ました。観光旅行という新文化が広まる中で、桃太郎は岡山に提唱されていきます。

その根拠は3つ考えられます。
①岡山は桃の名産地。明治時代から桃栽培始まる。
②名物吉備団子がある。
③吉備津彦命と温羅伝説。

伝説に登場する場所は、観光名所として十分可能性がありました。

1935(昭和10)年、山陽新報(現山陽新聞)が行った「岡山十勝十五景」の公募投票では、総投票数1億2千万票で、吉備津彦神社は「十勝」の2位(約734万票)、鬼ノ城は(約329万票)

さらに、活発で健康、徳を備えた桃太郎は日本男児の理想像とされました。

このイメージは、日本アニメ映画『桃太郎の海鷲(1943)』『桃太郎 海の海兵(1945)』など国策宣伝にも利用されました。アメリカの歴史家j.w.ダワーは、戦時中の日本の敵味方の描き方を「桃太郎パラダイム」と名付けたそうです。


6.桃太郎が脚光を浴びるin Okayama

三木行治岡山県知事(任期1951 昭和26〜1964 昭和39)の時代。三木知事は大の桃太郎好きで「桃太郎知事」と呼ばれていたほどでした。

三木知事の任期

東京オリンピックを2年後に控えた1962(昭和37)年に開催された、第17回国体岡山大会。三木知事は、そのシンボルとして桃太郎を活躍させます。

岡山県選手のユニフォームは白桃色、ポスターなどにも桃太郎を採用。

第17回国体岡山大会の写真

この国体は、戦後の復興と新しい地域づくりの転換点であり、岡山と桃太郎の幕開けでした。

ちなみに、2005(平成17)年開催の「第60回 晴れの国おかやま国体・輝いて!おかやま大会」を盛り上げるために登場したのは、ももっち。

ももっち


7.桃太郎像、お祭りetc…

昭和35年、岡山青年会議所が桃太郎銅像を設置、その他の場所にも桃太郎像が作られます。

岡山駅前
岡山桃太郎空港

駅内外の売店で桃太郎の吉備団子や、岡山白桃などに合わせて「岡山こそが桃太郎の故郷」と印象づけられていきます。

全てきびだんごです


1991(平成3)年から岡山桃太郎まつりの開催、うらじゃおどりも名物に。
「第28回うらじゃ2023」


このような歴史を経て、岡山と桃太郎はつながってきたとわかり、より桃太郎に愛着をもつことができました。そして、熱い想いがある誰かの行動で歴史は変わっていくのだと改めて考えました。

8.感謝の気持ちをYouTubeで

10回に渡り読んでくださりありがとうございました!

「桃太郎調べは長くなりそう」と予想つつ、連載3回めくらいから考えていたことがありました。それは…“桃太郎YouTubeを作ってnoteに載せること!”。


9.おまけと次回のこと

岡山と言えば…もうひとつお伝えしたいのが「ままかり」。隣の家から「まま(ご飯)」を借りに行くほど美味しいとされる魚(ニシン科サッパ)。瀬戸内海で獲れる特産品です。私はままかりの酢漬けが大好きなんです。

桃太郎たちとままかり
一般的なままかりの酢漬け
ポン酢   酢漬け
私のチョイス


次回は、だっせんから本線へ戻り、先祖が生きた地(岡山県津山市)の歴史を辿っていきたいと思います!よろしくお願いします。

ミント強めです


【参考文献】
『岡山の桃太郎』市川俊介 岡山文庫 平成17年
『桃太郎は今日も元気だ』おかやま桃太郎研究会編 岡山デジタルミュージアム 2005
『江戸絵本とジャポニズム』国立国会図書館
『桃太郎を世界へ』日本桃太郎会連合会
「桃太郎海の海兵」YouTube
「全国知事会」hp
「岡山県」HP

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