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小池佑 「パンイチできみのツイート遡るとき気になっているインカメラ」について

まえおき
今、なぜか「あいどんわなだい」を聞いている。夜も12時を目前としており、ちょっと食傷してつらい。しかし良い。

小池さんの短歌を読んで、わたしは「あんまりよく知らない女ともだちととてつもなく分かり合う瞬間」を得た。何言ってるか分からないと思う。言ってるわたしもよく分からない。
でも、小池さんの詠む短歌の作中主体に、言いたいことがたくさんある。だから「あいどんわなだい」である。これは適当である。以下、歌評です。


こんなにも泣かされているマーガリンとバターの区別がつかぬ男に (小池佑)


こんな男に泣かされてる、たまらなく悔しい。でも大抵こういう男に泣かされてきた気がする。パプリカとピーマンの違いが分からない男はもういっそ可愛いけど、マーガリンとバターの違いが分からない男の小賢しさは腑に落ちない。アイテムがほどよいのだ。
いっぽう、やりすぎアイテムの短歌がこちら。


まごうことなき愛君が好きならばファンキー加藤もヘビロテで聴く (小池佑)


前もって言うが、ファンキー加藤は悪くない。
でも、この作中主体が、普段空気公団とかハンバートハンバートとかを聞いて、お付き合いのカラオケではしゃれた歌謡曲とか歌う女の子だとしたら?サカナクションとかハナレグミとか聞いてる男の子だとしたら?これはもうちょっとした地獄である。でもそんな地獄も愛である。愛の試練としてのファンキー加藤。実在の人物を愛の対比として持ってくるのも小池さんの技の一つである。


綾野剛、最近君に似てきたね 君中心で世界は回る (小池佑)


短歌では、おうおうにしてときおりとんでもないファンタジーがぶっこまれて、それがさも現実のように語られる、ということがあると思うのですが、このファンタジーの「さも現実でっせ」感はすごい。綾野剛が寄ってきちゃってるし、多分この「君」は綾野剛に似てないし。そんで「ちょっと綾野剛に似てるかも」とかって言って写メを見せびらかして苦い顔されるところまで想像できた。なぜならわたしも似たようなことをやったことがあるから。小池さんの短歌には、認めたくない共感がある。


トリセツのある女よりないわたしの方が全然めんどくせえわ (小池佑)


もう、ぐうの音もでない。
「トリセツのある女より」までを読んで、私は盲目的にこの主体をアゲる方向に向かうと思っていた。そこにきて結句「めんどくせえわ」である。猛省した。でもこの主体に迷いが無さ過ぎる。めんどくせえのはそういうトコだぞ。

それでも、わたしはふと「あなたたちの中で、罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい」という聖書の言葉を思い出した。わたしは小池さんの短歌に出てくる「女」たちに石を投げられない。むしろ彼女たちと一緒に、石を浴びたい。そして血まみれで、傷だらけで、笑いあいたい。傷付いてもいいんだと思えることは、勇気だ。

余談
小池佑さんとは2017年秋の東京文学フリマで初めてお会いした。同伴者が知り合いに話しているのにたまたま立ち会わせて、小池さんから直接フリーペーパーを頂いた。それが「パンイチできみのツイート遡るとき気になっているインカメラ」である。長いな。短歌ってタイトル向きじゃないんですね。これがタイトルじゃないのは重々承知の上で、今度はタイトルをつけてほしいな。「おっぱい短歌」くらいわかりやすいタイトルでもいいんじゃないか。小池さんならさぞバズるタイトルをお付けになるだろうとわくわくする。

冗談はさておき「パンイチできみのツイート遡るとき気になっているインカメラ」は私の肩を重くしていた「短歌へのあれとかこれとかめんどくさいな」って気持ちを軽くしてくれた。
フリーペーパーを貰ったときに居合わせた歌人の満島せしんさんと「小池さんの短歌はわかりみがすごい」と頷き合ったことを合わせて思い出しては、この短歌を読むとき、私は頭を抱えては、頷いている。

小池佑
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