赤ちゃんは五感で食べている
6年前に、長男が生まれて、初めての子育てが始まった。
1歳2ヶ月まで、完全母乳だったこともあり、
3時間以上離れたことはなく、振り返ると「密着した子育て」をしていたなあと思う。それは、誰かに預けることが不安だったことが大きい。
ちょっとでも泣いたら、抱っこするなり、オムツを変えるなり、おっぱいあげるなり、即、対応していた。
それから3年後、次男が生まれたが、そういうわけにもいかなかった。
長男の世話や家事やらで、泣いても、しばらくほったらかしにすることもあった。
それで、”こんな子育てで大丈夫かな?”と不安になった。
その時、見つけたのが
「子どもとのエピソードから、子どものことを知っていくセミナー」
次男が生後2ヶ月の時に「赤ちゃんのことをもっと知りたい」と、
上尾市つどいの広場「あそぼうよ」で開かれる、
そのセミナー『べるべる』(子どもらしく遊べる、私らしく学べる)
に通いはじめた。
そこでは、ママが子どもの写真とエピソードを持ち寄る。
子どものありのまま生きる姿から、
子どもって本当はどんな人なのかを知ったり、
社会的な視点から自分たちの子どもへの思い方を捉え直しようというもの。
例えば…こんな内容を。
http://www.sainoko.net/boshu/beruberu201710.pdf
** 『子どもの生きる姿から”ルール”について考える』**
「人のものは取らない」「叩いちゃダメ」「順番は守って」人とやっていける子になってほしいと思って、声をかけている私たち。当たり前のように思っているこのルールは一体どういうところからきてる?日々、いろんなことをやらかしながら成長する子どもたち。大人からすると困ってしまう行動ばかりで、辛くなってしまうことも。でも、子どもは直感的に身体が動いてそう。もしかしたら、大人が忘れてしまったヒト本来の関わり方をやっているのかも。大人だと相手に迷惑かな?と思う行動も、子ども同士では全く違うものに感じていたりして…。
本当に大事にしたいことは何だろう?子どものありのままの姿から考えてみませんか?
毎回、なんで?どうして?という不思議に思う子どもの姿を、
一人ひとり、どういう状態なのか、どういう気持ちでいるのか、を考える。
一緒に考えてくれるのが、『アドボケーター渡邉寛さん』
20年間、お母さんと子どもの姿を見つめ続け、
たくさんの赤ちゃん、子どもから教えてもらったことを、伝えてくれる。
そうすると、セミナーの後には、
子どもの成長を他の子と比べる必要がない、
”この子は、この子なんだ”と思える。
大変、困ったと思っていた子どもの見方が、180度変わって、
愛おしくなっている。
『私たちは赤ちゃんを知らない、そこからはじまる、はじめる』
そんな風に思いながら、私が3年、参加してきて、知って嬉しくなった子どものことを、そのおかげで、子どもと良い関係になれたことを、noteで、書いていこうと思う。
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ちゃんと食べなくて、困る!なんでなの?
6、7、8か月ぐらいから離乳食を始めると、食べないとか、すぐ歩くとか、食べ物で遊ぶとか、いろいろ悩みが増えてくると思う。
スプーンを落としては拾わせ、渡すと、また落とすのも、
離乳食あるある。
Q.福太(1歳6ヶ月)は、なぜスプーンを投げるのか?
A お腹いっぱいだから B 好きなものがないから C 食べるのが大変だから
なぜ、スプーンを投げるのか?
A お腹いっぱい、B 好きなものがないという時もあるかもしれない。
けれど、C 食べるのが大変というのが、いろんな時に当てはまるのではないかと思う。
スプーンを投げたり、椅子からすぐ離れたり、遊び始めたり。
子どもにとって、食べるのは緊張すること。
まず、座らないといけない。食べないといけない。こぼしてはいけない。
すごく緊張を強いられる状況。
そこから解き放たれたくて、スプーンをポーンと投げる。
何回も投げてみるのは、ママやパパと遊びたい気持ちもあるかも。
「食べなさい」と真剣な顔で言ってくるママやパパと、
笑いあいたい、楽しいことがしたいという気持ち。
この写真には、こんなエピソードがある。
スプーンを投げる福太に、パパが真剣な顔で諭すように「スプーンは投げるもんじゃないんだよ。食べるんだよ」と。
福太は、怒られると、名役者のようにうなだれ、フンフンとうなづき、半ベソで反省した表情に。
なのに、スプーンを拾ってもらい、手にした瞬間、
ニヤッとして、スプーンをまた放り投げ、大喜び。
それをパパと3度も繰り返した。
「この名演技は何なんだ?!」と思った。
「食べる」は、緊張すること
でも、それを福太の状態、気持ちから考えてみると…
パパの真剣さに”緊張”を強いられ、それが終わると、
”緊張”から解き放たれるために、思いっきりスプーンを投げて笑う。
いつの間にか「ハイ、きんちょー」「ハイ、かいほー」という、
パパとのやり取りが、遊びに。
1歳6ヶ月の福太にとって「スプーンは投げるものでなく、食べるもの」という、何かのことわりを理解するのが大事なのではなく、
こんな遊びをしている瞬間に、思いっきり”生きてる〜”と感じている。
確かに、私も、この時、福太が
「生きてるって素晴らしい」と人生を謳歌しているように感じられた。
並べられた料理を前に、椅子に座らされ、
「ちゃんと食べなさいよ」という顔でいるママやパパに囲まれる。
確かに、これは緊張するかも。
食べること=”緊張”と考えると、走り回るのも、遊び始めるのも、
解き放たれたい気持ちだと、納得できる。
子どもは、食べ物で遊んでるのか?
食べ物で遊ぶのは、よくないと思うかもしれないけど、
本当に遊んでいるのか?という問題もある。
福太がうどんを手づかみして、ひっくり返している写真
福太の表情を見ると真剣そのもの。
指で触って確かめて、それも子どもにとっては、
食べてるのと同じなのかもしれない。
五感を全部使って、味わっている。**
大人よりも豊かな世界がある。**
片付けは、心底大変だけど、
スプーンを使う、箸を使うことって、
子どもにとって本当に大事なことなのか?と思うし、
その豊かな世界を一緒に嬉しく、喜びたいな、と思える。
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