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私は、臭わない男でした。

父。匂わない男。
父の辞書には、加齢臭という言葉は載っていない。 

あ、ちょいと違った、載ってはいなかった。そう、過去形。

加齢臭と聞いて思い出すのは、出張でよく泊まった昭和のビジネスホテル。の枕の匂い。
白い枕カバーは、糊とアイロンでパリパリ!な爽やかな外見なんだけど、枕自体には、ジワーッと染み付いているおっさんの、かほり。こほこほ。臭くて咽せますねん、、。
近代の出張ビジネスマン、そんなかほりを枕に残していないことを祈る、、。

で、そんな変な匂いが、我が父から発していた記憶はない。ゼロ。皆無。

匂わないと言っても、父が清潔好きというわけでは全然なくって、多分体質なのであろう。ラッキー、父。

幼かった頃、父の手のひらに顔を埋めるのが、大好きだった。
安心する暖かな手のひらに、うっすらなタバコの香り。
冬に、遊んでもらおうとガバッと背中に抱きついた時も、チクチクっとするセーターの、心地いいウールのセーターの匂い。
そんな匂いが、私にとっての父の匂い。

で、それから半世紀以上経った今。
88才の父は、一年くらい前から徐々に徐々に、匂う男になってきたのである。
がーん。

禁煙しているので、もうタバコの香りはしないし、フリースや極暖からはウールの匂いもしない。 
そう。それが、父が無臭でなくなった理由。
、、、、では全くなーい。

その一番の理由は、、お風呂が面倒になってきたことであーる。

わかるよ、わかる、わかる。お風呂場で滑っちゃ怖いもんね。
今の時期なんか、冷た〜いタイルに足を下ろした途端、心臓がキュッ!となるくらい寒いし。
髪洗うのも体洗うのも面倒で、ついつい「ま、風呂は明日でいいか!」って思っちゃうよね。
そして次の日も、そのまた次の日も、ま、明日でいいか!

でもさぁ、、1ヶ月以上も入らないって、どうよ?

私は過去に、ガス屋さんでも見つけられなかったガス漏れを2回も通報したりなど、警察犬のような鼻を持っています。という前置きですが、、
去年、実家に帰った時。
玄関を開けて、思わず片眉がゆがんでしまった。
空中を漂っている見えない何かが、私の鼻腔を刺激したのだ。
これはいったい、、?
と、鼻がいきなり警察犬。

これを表現するとしたら、何が一番ぴったりくるのだろう。
うーん。やっぱ、これだ、、。

酸っぱいかほり。

いろんな酸っぱいがあるが、バッドな方の酸っぱいである。
思わず、うっぷ、、、となってしまう、そっちの方である。

「恋焦がれた、キュンと甘酸っぱい思い出」
とかいう淡い感傷的な酸っぱいとは、全然違う代物。
「恋焦がれてたけど、いきなり遠のいてしまった、酸っぱい臭い」
であ〜る。
あぁ、6回も酸っぱいを書いてしまった、国語の先生に指摘されてしまうほどに。
だって、すごく酸っぱいんだもの。それも、バッドな方の!

で、玄関を入り、そのかほりを辿っていく私。
台所でもなく、、トイレでもなく、、ゴミ箱でもなく、、。
そして、、父に辿り着いた。

父よ?、、 えーー、お前か?!

匂わない男だったのに!? 

これはどうにかせねば。孫たちや訪問者から愛される父でいてもらうためにも。
頑固爺ぃのせいで遠巻きにされ気味な父だけど、これ以上人が寄り付かなくなってしまったら、大変だ。

なんて言っているが、実は、、私自身が父を遠巻きにしてしまいそう?
、、という不安もあったのだ。 と、正直に書いてみた。 

で、さっそく姉と私のプチ家族会議。
介護制度で受けられるお風呂サービスなるものは、200%以上の怒りと困惑と悲しみの顔で父は拒否るので、これは無理強いできぬ。
無理矢理の介護で、早死にさせるわけにはいかない。

姉や孫が訪問中にお風呂に入ってもらおうと言う案も、難しい。
家に誰かいればお風呂事故も防げるし、これが一番の希望なんだけど。
実はもうその案を何度か試していて、その度に父はすごぉぉーく嫌がる。
自分が入りたいタイミングで入りたいのだろう。促されることも命令されるように感じて、嫌なのかもしれない。
私でも、入りたくない気分なのに「風呂入れー!」は、イヤだもんな、、。

介護専門の方からのアドバイスで、なるほどと思ったこともあって、
「1人住まいのご老人。お風呂の回数が少ない。イコール お風呂内での事故リスクが減る」
おぉ、なるほど!

で会議の結果、
父が匂ってしまわない程度に、時々「お風呂への声かけ作戦」に、決定。
地味だな、、。

父にかける言葉は、これ。
「お風呂にでも、入らない?」
シンプル イズ ベストなのだ。

この作戦。動画電話で、大概こう言う流れになる。

1日目
娘:ねぇ、お風呂に入らない?
父:明日にしようかね。

二日目
娘:ねぇ、今日はお風呂に入らない?
父:なぜか寒気がするからやめておこう。(ウソつき)


三日目
娘:ねぇ、お風呂はどうよ?
父:(聞こえないふり)

これをしつこくない程度に繰り返してみて、「時を待とう」ってやつです。
聞こえないふりも、流石に毎回も出来ないであろうから。

でも、私は意地悪なので、三日目にはこんな会話をつい入れてしまいます。

私:ねぇ、今日はお風呂に入らない?
父:なぜか寒気がするから、やめておこう。
私:でもね、臭いよ。それも、そうとう臭い。
父:へー。画面越しで、なんでわかるの?
私:だって、見た感じが臭そうだもん。見てみて、頭のフケもいっぱいだよ、動くたびに舞ってるよ、服の染みもすごっ!

そうすると、父はこう言う。

「私もとうとう、匂う男になってしまいましたかっ!」

昔から私や姉がよく、「体臭のない男」と父に言っていたので、自分でも自覚しているのだ。
だけど、匂う日が来てしまったことを、どこか信じたくないのである。


この間、姉が言っていた。
父が「なんか匂う、なんか匂う」と台所や居間をクンクンと探し回っていたそうだ。
そして、「なんだろう、この匂いは?」と聞いたそうだ。
姉は、直接口にするのは傷つくかなと思い、なにげ〜に、
「それは、あなたでは、、?」
と目力だけで伝えてみたそうだ。
すると父が、
「あ!俺か!」

その後、なんと開き直って、こんなことを言ったそうである。

「だじょぶ、換気扇があるから。ひひ。」

と、我が勝利!みたいな顔をしていたらしい。

すごいな、、。そういう発想はいつだって豊富なんだな。
でも、すっぱい匂い自体は消えないんだから。知ってるか?

滅多に入らなくなったお風呂には、万が一に備えてジップロックに入れたスマホと一緒に入ってもらっている。袋の上からもちゃんと操作できるから、すごいよね、スマホって!


一度、「いま入ってま〜っす」と湯船から動画電話をしてきた。
湯気の向こうに、気持ちよさそうに浸かっている、父。

「気持ちいいなぁ〜♨︎」

入っちゃえば、極楽のご様子。画面の父は、いつもになく穏やか。
気分は別府温泉だ。鼻歌も聞こえてきそう。ビバノンノ〜♨︎

でも入るまでは、いつも心との戦いのようだ。そして挙げ句の果てには、
「なんで入らないといけない訳?」
となり、気がつくと一ヶ月も経っちゃうのだ。

せめて1週間、長くても2週間くらいで入ってくれないかなぁ、、。
これって、娘たちの高望みなのかしら。
もし父に問いかけたら、「そーだそーだ!」とか言いそうだから、絶対に言わないもんねー。

多感期のティーンエイジャーが、
「お母さん、お願いだからお父さんの服と一緒に洗濯しないで!」
なんて言うセリフ。 匂いの種類はちと違うけれども、今頃になってなんとな〜く分かったような、、。

兎にも角にも、我らの酸っぱい大臣、今日も闊歩闊歩と元気であ~る。

おしまい。


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