仏王室800年の歴史を持つフォンテーヌブロー宮殿
こんにちは!ゆきです:)
先日は、パリ郊外にある世界遺産、フォンテーヌブロー宮殿に行ってきたので、皆さんにも共有したいと思います🎶
アクセス
フォンテーヌブローはパリのGare de Lyon (リヨン駅)から電車で40分ほどで到着します。
ZONE5まで使えるNavigo(パリの公共交通機関のICカード)で行くことができます。
Fontainebleau -Avon駅(フォンテーヌブロー・アヴォン駅)で下車し、そこからさらにバスに乗って15分ほどで到着します。
バス乗り場は、駅を降りると看板が出ていて大抵同じバスに乗る観光客が沢山いるので、すぐわかると思います!
宮殿内
【ディアンヌの庭】
バスを降りると、道路の反対側に入り口があります。
まずは敷地内のJardin de Diane(ディアンヌの庭)を通って宮殿まで行きます。
Dianeは英語で言うとダイアナ、ギリシャ神話の狩猟の女神です。
フォンテーヌブロー宮殿はもともと王侯貴族の狩猟の際の館として使われていましたが、芸術愛好家だったフランソワ1世がイタリア風の宮殿に再建しました。
これにより、フレンチ・ルネサンスが花開いたと言われています。
以降、ナポレオン3世に至るまで歴代のフランス王・皇帝がここを居住地とし増築を重ねました。
王家の歴史と、各時代を反映した目も眩むほどの芸術がぎっしりと詰まっています。
敷地内の広大な庭園は無料で自由に出入りすることができます。
チケットを買うと、宮殿内とナポレオン博物館を見学することができます。
【別れの中庭】
ディアンの庭を抜けると、有名な Cours d'Honneur(名誉の中庭)が見えてきます。
ここは、1814年にエルバ島への流刑が決まったナポレオンが近衛兵達に「Adieu(アデュー、永遠の別れの時に使うさようなら)」と告げたことからCour des adieux(別れの中庭)とも呼ばれている有名な場所です。
【ナポレオン博物館】
宮殿内の見学は、まずナポレオン博物館からスタートします。
ここでは、ナポレオンとその家族の歴史、所持品、武器、ナポレオンの遠征時のテントが再現された空間などが、彼の栄華から没落までの流れとともに紹介されています。
その後、宮殿内の大アパルトマンの見学がスタートします。
部屋数はかなり多く、そのそれぞれが贅沢の限りといったような煌びやかな装飾と芸術が限りなく続きます。
【タペストリーの部屋】
この部屋は元々女王の近衛兵の部屋だったようですが、19世紀に応接間に変わりました。
歴史愛好家だったルイ・フィリップの好んだアンティーク家具やプシュケの神話を描いたタペストリーで部屋中が満たされています。
【フランソワ1世の回廊】
こちらはフォンテーヌブローの中で最もルネサンスを象徴する回廊です。
フィレンツェの画家ロッソ・フィオレンティーノが装飾担当し、前にも後にもこれに匹敵するデザインはないと言われています。
至る所にフランソワ1世のシンボルであるFのエンブレムを見つけることができます。
【舞踏会の広間】
こちらはアンリ2世の治世下で装飾が施され、ヴァロワ王朝の祝祭の際に使用された部屋です。
【皇后の寝室】
こちらはマリー・ド・メディシスからマリーアントワネットまで歴代の王妃が使用した部屋です。
このベッドはマリーアントワネットが注文したものだそうですが、フランス革命が起こり彼女はこのベッドを使用することはなく、ナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌがこのベットに洗礼を施し使用しました。
【王の寝室】
この部屋はかつて王の起床と就寝の儀式が行われていた部屋だそうですが、ナポレオン1世の時代に玉座の間に作り変えられました。
現存するナポレオンの唯一の玉座だそうです。
ワシや蜂、月桂樹などナポレオンにまつわるシンボルを至るところに見つけることができます。
【ナポレオンの寝室】
ルイ16世の時代に洗濯用の部屋として作られ、その後ナポレオンの寝室となった部屋です。
ここでナポレオンは退位後服毒自殺を試みましたが、意識を取り戻した後「神はこんなことを望んでいない!」と叫んだと言われています。
【三位一体の礼拝堂】
この礼拝堂ではルイ15世とマリー・レクザンスカの結婚や、ナポレオン3世の先例が行われました。
おわりに
いかがでしたか?
フランス王室の歴史と、まばゆい各時代の最高峰の芸術で溢れているフォンテーヌブロー宮殿は、アートやフランス史に興味のある方にはもちろん一度訪れて欲しいし、そうでない方もこの豪華絢爛さだけで十分に楽しめると思います。
本日も読んでいただきありがとうございました🎶
また次の記事でお会いしましょう、良い1日をお過ごしください🌼
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