舞台「終わらない歌を少女はうたう~エターナルメロディー~2024」感想
アクタリウムのちぃちゃんこと岩﨑千明さんが寺林早紀役で出演されたStudio-K'z×アリスインプロジェクトの舞台「終わらない歌を少女はうたう~エターナルメロディー~2024」を観劇しました。
この作品、2017年に上演された「終わらない歌を少女はうたう」のリブート=再演作品とのことで、私は9月22日のよる公演を観ました。
私の感想や考察などを書きたいと思います。
あらすじ
このあらすじからもわかるように、3つの異なる物語が繋がり、収束していきます。
感想と考察
注意:ここから先には、物語の根幹に触れる部分の記載があります。
互いに全く干渉をすることをしてこなかったあゆみと佐江が、晴子の登場により、その仲を急速に縮め、親友にまでなっていく。
使い古された表現をするならば、晴子はあゆみと佐江の鎹なのだろう。
そして、鎹であると同時に、楔なのだろうと思った。
3人で作り上げたAIプログラム「ハルカ」の完成。
そして、晴子の突然の死。
喜びの絶頂からの絶望の奈落への転落。
晴子の存在がただの鎹であるのなら、鎹が壊れてしまい、それによって繋がれていたふたりが、バラバラになってしまうだけ。
しかし、あまりに深く、楔のように打ち込まれたそれは、無理矢理に引き裂かれたことによって、あゆみと佐江の心を大きく壊してしまう。
佐江があゆみに「晴子を失った痛みが消えるその日まで、ハルカを埋めよう」とを提案するが、結局、2100年の世界で空たち不思議部の面々が掘り起こすまで、ハルカは埋められたままだったのである。
晴子を失った痛みは、消えることはなかったのである……。
あゆみの絶望の深さを感じることができるのが、2100年の世界で世界を統治――支配する存在となっているメインフレームの存在とその行動。
掘り起こされたハルカがリエントラントコードとなっていたことや、メインフレームがハルカと名乗ったこと、メインフレームが20年の時を費やし、あゆみを慰める方法を探し続けていたことからも、メインフレームがAIハルカから発展したものなのは間違いないと思う。
そう考えると、メインフレームが行っている芸術規制や言語統制、寿命制限、架空労働――これらは全て人間から感情の動きを排し、単なる生体活動を行うだけにしているように思える。
それはあゆみが、佐江や晴子との関係で動いた様々な感情に対して、そんなものは不要である。嬉しさや喜び、楽しさというプラスの感情があるから、悲しみや怒り、絶望というマイナスの感情が生まれてしまう。故に感情さえ揺れ動かなければ、そういったマイナスの感情になることもなく、人は平穏に生きることができる。あゆみがそう感じたのか、進化していったAIプログラムがそう判断したのかはわからないけども、それほどまでに、晴子を失った痛みが凄まじいものだったのだろうと思う。
また、ハルカが対話型AIなのに対し、メインフレームが自立型AIというのも、他者との繋がりというものに絶望してしまった結果なのではないか?
勘繰り過ぎかもしれないが、2100年の世界がずっと雨続きなのは、あゆみと佐江の涙なのではないだろうか。
いや、泣いているのは晴子なのかもしれない。
3人の悲しみの涙が、2100年の世界でも雨となって降り続いていると考えると、その悲しみと絶望の深さ相当なものだということがわかる。
2100年の世界と2120年の世界、この2つの関係性で僕がきになったのが、ココロとハジメの関係性です。
作中に出てくるアンドロイドで夢を見たのはこのふたりだけ。
ハジメは朝美が美雪のために改造したアンドロイドである。
その改造元がココロなのではないか?
2100年の世界で、アンドロイドたちはメインフレームの手足として利用されていました。
しかし、ココロだけは空を助けた際の損傷が原因で、メインフレームとの通信の双方向性が損なわれ、片方向だけの通信になっている。
そして、通信の双方向性を失ったことによって、夢を見るようになったと。
そう考えると、ココロとハジメが同一個体という可能性があるのではないかと。
また、2120年の世界で、ハジメが人間に危害を加えていないという点も、改造元の個体であるココロがシステム障害で通信の双方向性を欠いていたと考えれば、それによって他のアンドロイドのように人間を襲うようにはならなかったのではないかと。
作中で気になっていたものがもうひとつ。
「リエントラントコード」です。
メインフレームに再入場するためのコードとされており、作中ではあゆみたちが作り上げ、埋めて、2100年の世界で空たちが掘り起こしたハルカがリエントラントコードになっています。
ここで疑問に感じたのが、なぜ「リエントラント」=「再入場」なのかということ。
再入場というからには、最初にエントラント――入場した人間がいるはずなのです。
それは誰なのだろうか?
前述したメインフレームをあゆみが作ったという過程で考えると、あゆみである可能性が高いのではないのかなと考えています。
悲しみの底にいるあゆみが作り上げたメインフレーム。
それに対して最初にエントラント――入場したのは、他の誰でもないあゆみ自身なのではないか?
だからこそ、メインフレームが芸術規制や言語統制、寿命制限、架空労働などということを行うに至ったのではないか。
僕の考えすぎなのかもしれないですが。
作品のクライマックスで、再起動したメインフレームが2017年の世界にシグナルを送ります。
作中では不可遡及定理により時間は遡れないことが定説となっていましたが、メインフレームが20年をかけて演算した結果、シグナルだけなら過去に送れると。
2017年の世界に届いたのは、晴子の声ではない、晴子の歌声。
このシグナル――歌声によって、晴子が事故に遭い、生命を失うこともなくなった。
3つの世界での小さな奇跡が繋がっての大団円。
エンディングでの主題歌「Eternal Melody」は、オープニングで聴いた時以上に、歌詞がぐっときました。
YouTubeに動画がありましたので、ここで紹介させていただきます。
最後に
今回の上演は7年ぶりの再演とのことでしたが、7年前の2017年の時点で、この脚本だったのは、先見性がすごいと感じました。
今でこそAI技術はとても身近なものになり、誰でも触ることが出来るものになっていますが、当時はそうではなかったと思います。
「みちこのみたせかい」の時にも感じましたが、Studio-K'zの作品の先見性、先進性は目を見張る物があるなと。
ちぃちゃん目当てで観た舞台でしたが、大大大満足です。
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