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#60 「生きづらさ」という言葉に引っかかる

「生きづらさ」
最近よく見聞きするフレーズ

社会の中で 大衆の中で
自分は少し合っていないと思う感覚

それを生きづらいと思うこと
共感はできます

でも
「あなたも生きづらさを抱えてますよね」
っていう雰囲気で語りかけて来る人には
あまり心を開けない

私は確かに人と違う
苦労もしている

だけど、生きづらいと感じたことはない

そんなもんだと思っていたからなのか
諦めていたからなのか

「その感覚を生きづらいと言うんだよ」
ってお前が決めるな

確かに昔よりは自分のことも世の中のことも分かってきたから
自分が社会によく適合しているとは言えないのは承知だ

でもそれを
「生きにくい」「生きるのが辛い」
とイコールにはならないような気がする

世の中のシステムの矛盾は当然あるけれど
自分次第でそれなりにやっていけるし
理解してくれる人もいるし
そこまで世の中に物申したいとは思わない

「生きづらさ」を乗り越えて、他人を救うカリスマ的な人になりたいとは思わない


そうだ。
きっと「生きづらさ」って言葉には
辛い人とそうじゃない人との区分けが存在している

辛い人が楽になればいいなとは強く思うけど
対象を絞る必要はないとも感じる

すべての人が楽に生きていけたらいい

そのために、特定のカテゴリーの人に関心を持ってアプローチする人も大切な役割だと思う

私も、不登校や引きこもり支援によっている
けど不登校支援の方に「仲間だよね」って言われると違和感がある

めんどくさい人なのである

言葉では伝えるのは難しいけど
「見方は味方だよ」って
言いたい人

解釈は自由だから
好きにやっちゃおうよ

って思っている人です。

今日も心のままに☆

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