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#150 「自由と責任」はセットじゃない

「自由」とセットで「責任」がついてくる
そう教えてもらったし、何となくそう思っている。

でも本当にそうでしょうか?
私は、特に子どもに対して「自由は自由だけ」でいいって思うんです。

循環として
大人になると「やっと自由になった」「自分で決められる」
となって、子どもには
「私達も我慢してきたんだから、子どものうちに忍耐力をつけておきな」
と言う。
社会の組織ではまだ新米なので新しい我慢がスタートする
そして自分が上司になると部下に
「我慢と責任」を学ばせる。

これが多分従来の社会循環です。

なのでこれを
「責任は大人が取るから自由にやりな」
って子どもに言い、子どもは大人になり
「今度は自分が子どもの責任を取る番だな」
となり、
社会に出ても、どんどん自由にやる
そんな循環が理想です。

私の少ない経験的には
小さい頃から積み重ねてきた家の手伝いや自立の練習は
茶番の延長であり
一人暮らしをして初めて「分からない」「できない」
が生まれて必死で調べたり聞いたりして身につけた。
親と一緒にやってこなかったけど、親がやってる所を見たり
一緒に場を共有していたから「なんとなくこんなだな」
というのがあって、結局親と同じような所で収まる。

例えば、整理整頓や掃除はやってなくても「このくらいでOK」
の基準はきっと親の影響を受けていて
「あれは持った?」とおせっかいで心配性な所もやっぱり受け継ぐ

そう考えると「背中で語る」じゃないですけど、わざわざお手伝いみたいな
ぬるいことをして自立の準備をしなくても、何とかなる
それよりも、子どもらしくというか、思いっきり失敗してもいいからやってみるという方向に向けた方が楽しいのではないでしょうか。

昔は本当に困っていたから一人前の労働力として子どもなりの仕事をしていたと考えると、そういうものはやってもらい後は自由にしてあげる。
尻ぬぐいは親がやればいいんです。

意外とそういう環境の方が、社会性とか礼儀とか諸々が能動的に身につく。
自分がそうだったからといって子どもにも自分の環境や価値観を押し付けなくてもいい。
部活の上下関係の伝統みたいに、悪しきものを変えるのは難しいかもしれません。
後のために変えるってことは、自分たちが割を食うから。
(少子高齢化社会や政治の話みたいに聞こえちゃいますね)

だけど、そこを楽しむことができるのが我々の強みでもあります。(多分)

これだけ世の中が発展してきた現代の日本という場所で、
皆がやりたいことをやって社会が崩壊するようならそれは政治が悪い。
我慢して辛い思いをして頑張るのが大人の社会だなんて未来の大人に言いたくない!!

自由を自由として選べるように

今日も心のままに☆

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