テセウスのかわいい私

 小さい頃、鏡を見て違和感を覚えないくらいには私は顔が醜かった。もっと言えば、醜いというより奇妙な形と言った方がいいかもしれない。テレビに映ってる女優やクラスの人気のあの子の顔が可愛いという感覚さえないくらいには、顔の相対概念がなかった。でも醜いことがまるで罪みたいに青春は咎めてくる。女の子でいるのはとても残酷である。可愛くないなら可愛くないだけ許されない。不遇の全てを産まれたての私の顔に押し付ける気は無い。しかし、ブサイクな顔で生きていくのがただただ辛かった。

 思春期真っ只中、恋を知った。見た目の不快なわたしにとって恋愛はあまりにもハードルが高すぎたのである。寂しい触れ合いたいと吐き出したい気持ちを嗚咽混じりに飲み込み、興味がないと虚勢を張る。それ以外に私は混沌とした欲を抑える方法を知らなかった。普通のハードルを上げ下げしては、せめて最低限の顔ならいいやって何回思ったかわからない。それが簡単じゃないことくらい、欲望を肥大させて心が耐えられなくなることくらい知っていた。

 
 毎晩、顔のコンプレックスが傷口のように疼く。ジンジンひびいて居ても立っても居られない、眠れない。どこにいるかわからない誰かとこれじゃいてもらえない気分になる。孤独が酷く攻めてくる。一緒にいてもらえないなら死んじゃいたいって神様にお願いするそんな時間。わたしの劣等感は希死念慮と共にスクスクと育っていった。

 元の私には戻ることはできない

 初めて美容整形をした時、私以外の私がほんとに変わっちゃったんだって思った。男の子って単純。それまで、女の子として私の肉体は1kcalも消費されてこなかった。言葉を交わして肌と肌が触れ合うだけでこんなに嬉しくて気持ち悪いことがあるなんて思わなかった。普通の女の子みたいに恋愛したいだけだったのに、消費されない寂しさと消費される苦しさを同時に思い知らされるなんて思わなかった。


 かわいくなるたびに、世の中の対応が変わる。前の私なんて存在してなかったみたいに私も私を振る舞う。たまに忘れてしまう自分が不細工だと言うことを。自分を磨く、削れた部分は細かすぎて愛着さえもない。一部一部、細部細部を入れ替えて連続した私だって認識できない。少し新しくなったわたしは少し前の私を忘れて過ごす。新しくなった当たり前に順応する。わたしがアップデートされるたびに、模倣を繰り返す。まわりの基準に反応を合わせる。昔ならもっと悲しんでたかも苦しんでたかもそんなことがどんどん平気になっていく、昔の私だけがどんどん傷ついていく。ときどき隠してきた小さい頃の私が顔を出して指を口の中に突っ込んでくる。愛されたいとか恋したいとかもっとわかってほしいとかお前だけなんでとか、昔飲み込んだ感情をゲロのように吐かせてくる。

 最初は世界がちょっと優しくしてくれればよかった。SNSで劇的before/afterの写真を投稿するインフルエンサーを見かけるたびにこの地獄は自分だけのものじゃなくなってしまったというあの寂しい感情に襲われる。最近トレンドは多様性!不細工も一つの個性らしくて、私が今まで受けてきたヘイトはもう流行りじゃないんだ〜って息ができなくなる。それでもかわいく作ることを諦めない。いつの間にか、普通の女の子になりたかった私にとってかわいくなることは延命処置に変わっていった。たとえ生活を切り詰めて死にたいという念慮が肥大しても、かわいくなることにこだわる。延ばして生きる、心は治さない、かわいく顔を作り直すことだけがわたしにとって必要。かわいいって認識できないかわいい顔への執着と死にたい気持ちだけがちゃんと残っても、まだ幸せになれるかもしれないとちょっぴり期待をしてまた、かわいく自分をリメイクする。


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