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予感

「この会社に来年勤めている自分を想像出来ない」その予感は当たる。

予感以外は大凡妄想である。
願いも私の妄想である。
妄想は妄想として、知らないうちにお焚き上げされて、私の手を離れていく。

願いにしがみついた時、願いは逃げてゆく。
ずっと夢見ていることは、夢だから美しい。
叶えば現実であって、逃れようの無いものだ。

可愛げも消えてしまう、かつての夢に、今度は幻を見て逃避して、捕まり、息詰まる箱の中でかつて愛した夢と見つめ合う。

予感めいたものは空から来るようで、畢竟、脳やら精神の作用では無いと思っているが、わからない。霊感の類いにしても、私は見えないし、極度の怖がりの自分には不要の能力だ。第六感、千里眼、私は生まれる前に置き去りにしたのであろう。


秋晴れの日、予感めいたものが、郵便局まで歩いている私の後頭部に湧いて来た。後ろに惹かれるように、身体から何かが抜けてゆくような感覚が走った。

もう創作活動に戻るつもりは無かった。発信力の欠落、インターネット上での極度の人見知り、なるべく交流を避けたい気持ち、何もかも時代に着いていけていなかった。

流れてくる情報に酔う。表現したい自分、語りたい自分、装飾し続けた自分の言葉の所為で魂は救われない。厚化粧で何を隠している。見栄を張るな。素人が。私の影が突きつけてくる鏡を何度も割ったところで、破片は私を許さない。

他人に共鳴する霊性が鈍ってゆく。日に日に、現実味が薄れる日常。

私は苦しまなければならない、そういう信念が刺青のように私に刻まれている。だから私は苦しんでいる。誰に響くものか、呻き声のような文字列、寧ろ耳を塞ぐ。

予感めいたものが私の静脈を走ってゆくから、私は再び創作に戻った。閉じたままの心で、装飾した文字列で、それでも何かを書いていなければならない性である。

そう、何度も思い出す、私は何かを書いていなければならないのだ。朦朧もした素面なのに酔いどれのように書かれた文章だとしても。

私は書かなければならない。
何もかも諦めて、希望も絶望も失くした凪の心で、何かを書かなければいけない。

苦しむのなら、違う苦しみを味わうべきだ。

肉体が邪魔だ。重力が私にだけ法則無視して伸し掛かる。重たい扉を開く時、肩を痛めた。夜の匂いが遠い。この世のものが、とても遠い時、作家の声だけが私を繋ぎ止めてくれる。

他人と話せなくなった。

ここまで、来てしまった。
なにひとつ、他人と話せない。
話せば楽になる、それを過ぎ去った私には、他人と話せば苦痛になるばかりで、息苦しくなり、胃痛腹痛に伏せ、朝は力が抜けて歯を磨きながら床に膝をついて、暫く寒さに震えていた。

もう、駄目なのだと思いながら、それを言うわけにもいかない。前向き主義が、私に微笑む時、私の心臓は仕事を放棄しそうになる。

予感なのか思い込みかは、わからない。
手段が目的にならないように、平身低頭。
才能の行方を追う時間が無い。平身低頭。

思い込みか、思い上がりか、わからない。
全てが終わった後にこの文を覚えていた人と私だけが解ることだ。

感傷だけが私を創作に呼び戻す。
だから、私の心はいつまでたっても冬なのだ。

創作の為には感傷が必要だ。
感傷には創作が必要だ。

自分の二面性は知っていた。
あまりに極端であると、言われたことがある。

その極端さが、私の神経を削り続けた。

目、声、動作、言葉、抑揚、声色、何一つ溢さず、私には他人の情報が流れ込む。

いつも私の回答は正解であった。
いつも私の人間関係は円滑であった。

自分なんぞ出せるわけがない。
自分を出せと言える人間は幸福だ。

この予感は妄想と願いかも知れないが、私は限界など、もう過ぎてしまったのだと思う。


私は近代批評を読みながら、東向きの窓から入り込む日差しを浴びながら、嗚咽を漏らした。

頭だけが冴えて、珈琲を飲んで、調べ物に励む。晴れていれば散歩に出る。
体は健康である。

諦めの上に、息をしている。
何もかも諦めながら、何かを書こうとしている。

今日。

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