【随想】萩原朔太郎と式子内親王
式子内親王に興味を持ったきっかけは、ちくま日本文学『萩原朔太郎』((株)筑摩書房平成二十一年)掲載の「悲哀の歌人 式子内親王」を読んだことであった。萩原朔太郎の解釈は、和泉式部と対照的に式子内親王の「自由の生活が出来ない」境遇を強いられたとされている。こうした朔太郎の描写する式子内親王の神秘性に惹かれていったところである。
最近になって、式子内親王についてもっと知りたいという気持ちが湧いた。そんな時、田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』((株)KADOKAWA 平成二十六年)という本と出会い、これまでの自分の中での式子内親王へのイメージが百八十度変わることとなった。
古典作品についても、歴史同様、新しい発見や解釈が日々更新されているということを覚えてみるとこれほどわくわくすることはない。そのうち、自分の学生時代に習ってきた歴史が全て違っていましたということになっても、それは進歩であると喜べる。(当時の私の通知表が変わる訳でもないのだから…とも思っている。)
解釈が分かれ、学説も様々というところに学問の面白さがあるのではないかと思うのが今日の私の歴史への認識である。
一方で朔太郎の書いたことが間違っているとは思わない。彼は詩人的感性をもって式子内親王の歌を味わい、そこにひとりの女性の生涯に精神的実感を持って彼の表現を持ち浮かび上がらせた。だからこそ、私は式子内親王へ強く魅かれた。
先ず、式子内親王が卜定した賀茂斎院について。ここには未婚の内親王がつとめに行かねばならない。そうした点について朔太郎は「白百合のよう」という表現を用いている。
この斎院について、田渕氏の前書から引用する。
都と隔絶された伊勢斎宮に対して、洛中にある斎院御所は、独自の文化拠点となっており、式子内親王が居た斎院が閉鎖的で人里から離れた場所というイメージを適当ではいと田渕氏は述べている。
むしろ、宮中や後宮よりも自由であったとあり、自分の中にあった窮屈で孤独に胸に焦がれる思いを抱いて苦悩する式子内親王のイメージが完全に変わったのであった。
しかしながら、式子内親王の生んだ歌たちから、苦し気な許されぬ恋への熱情に涙を浮かべる人物像を思い浮かべることも、また一つの芸術鑑賞による解釈であるとも言える。よって、朔太郎が「式子内親王の一生は、実に薄命と孤独の一生だった。」(萩原前掲書、三百六十六頁)と結び行くことも今を生きる詩人と遠き歌人の激しい詩歌との共鳴の結果である。
同時に、朔太郎が生きた時代よりも現代の古典の解釈や研究が進んでいるということも考慮せねばならない。
いずれにせよ、令和の世になってもこうした平安の歌人たちの思いをそれぞれに読み取ることが出来るということはこの上も無い幸福ではないかと、私は思うのであった。
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